木村 屋 本店。 木村屋本店の店舗一覧やお得なクーポン情報

パン

木村 屋 本店

銀座木村家は、明治維新後、西洋の食べ物であったパンに日本独自の製法を加え、庶民に広めました。 以来140年以上に渡り、銀座で伝統の味を守り続けています。 今では日本の食文化の一つとなったパンの発展に、今後も貢献してゆきたいと考えております。 1869年 (明治2年) 木村安兵衛(写真左)と次男英三郎(写真右)が芝・日陰町に文英堂(木村家の前身)を創業。 1870年 (明治3年) 火災により店舗焼失したため、芝・日陰町より(現在の新橋駅近辺)京橋区尾張町。 (現在のGinza Place付近)に移り、屋号を「木村家」と改め営業再開。 1874年 (明治7年) 銀座4丁目(現在の銀座店の向かい側)に木村家の店舗完成。 酒種あんぱん誕生 イーストがなかった当時のパンは、ホップで作られていたが、食感は固く日本人の口には合わなかった。 そこで、英三郎は日本人に合うパンの研究をした末、酒種酵母を作り出す事に成功し、酒種あんぱんを発明した。 しっとりとした生地にあんこの入ったあんぱんは、瞬く間に有名になり大好評となる。 新しく出来た銀座煉瓦街であんぱん作りに熱中していた木村親子は、以前より親交のある、山岡鉄舟に試食をお願いしたところ、西洋から入ってきたパンとは違う、酒種を使い、その生地であんを包み焼き上げるという技術が彼の心をとらえた。 山岡鉄舟は木村親子の成長が嬉しく、この年「木村家」の看板を書いて賜っている。 1875年 (明治8年) 明治天皇にあんぱん献上 明治天皇が水戸藩下屋敷(現在の向島)を行幸される折、巷で評判の酒種あんぱんを献上してはどうかと侍従山岡鉄舟よりお薦めの言葉を頂戴し、四月四日、奈良の吉野山より取り寄せた八重桜の花びらの塩漬けを埋め込み焼き上げた、季節感たっぷりのあんぱんが明治天皇に献上された。 ことのほか、皇后陛下のお口にあい、両陛下より「引き続きおさめるように」とのお言葉を賜った。 1885年 (明治18年) パン宣伝第一号 鹿鳴館時代を反映して銀座に「広目屋」という楽隊を率いる後の「チンドン屋」がお目見えする。 木村家が宣伝のためにいち早く採用し、巷間の人気を呼んで木村家の名は一躍して津々浦々まで響き渡った。 さらに明治20年、広目屋の様子が歌舞伎の中嶋座正月興行にとりあげられ、当時人気絶頂の初代市川猿之助、中村時蔵、中村寿三郎らの名演技に東都の人気を集め大盛況、おまけにその主演場面のフィナーレを描いた目のさめるような錦絵が売り出され、評判をとった。 1900年 (明治33年) 木村家三代目儀四郎、ジャムパンを新発売、大好評となる。 日露両国の関係が緊迫して衝突が必至な状況の中、日本陸軍はパン屋、菓子屋を集めて軍指定の大規模なビスケット工場の建設を計画した。 その理由は日清戦争後の義和団事件で日本兵は飯を食わなければならないが火を使って飯を炊くからその火を目がけて敵弾が降りそそぎ、多くの犠牲者を出した。 しかし欧米の兵士たちはビスケットと缶詰めだから火は使わない。 日本軍は各国から近代戦争の基礎を知らないと嘲笑されたのが原因である。 日本軍の食糧政策の大転換により、真剣に戦時食糧の研究を始め、その実験にあたったのが儀四郎らが作った東洋製菓であった。 この東洋製菓は日本の近代的ビスケット工業の始祖となった。 そして研究の末、乾パンが完成した。 むろんこの乾パンが日露戦争の食糧となったのは言うまでもない。 明治33年、儀四郎はこの東洋製菓で実験を重ねていた時、ビスケットの生地にジャムをはさんで焼く作業を見ているうちに、これをあんの代わりに酒種生地にしてみたらと思いつき、銀座の店で売り出したところ大変な評判となった。 ジャムパンの完成である。 1924年 (大正13年) 電気ガマ第一号の設備を開始(電気運行ガマ)• 1958年 (昭和33年) 動物パン「かめパン」が大ヒット• その後、現在に至る•

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銀座木村家のあんぱん

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概要 [ ]• 創業のパンメーカーである。 2018年現在、1日約30万個の袋パンを製造する製パンメーカーであり 、その事業構成は、デパートなどで伝統的なあんぱんを中心に販売している「直営店事業」と、袋パンを製造・販売している「スーパー・コンビニ向け事業」に分かれ、後者が売上全体の80%を占める。 銀座にある関連会社の株式会社銀座木村家(銀座本店)は、明治時代からの同地に店を構え、7・8階にある工場で焼いたパンを1階で販売するインストアショップ形式をとっている。 には、創業者のとその次男で二代目の英三郎が、を考案し、翌年にはに献上された(この時に木村屋の特徴でもあるの塩漬けが、英三郎のアイデアで取り入れられた)。 また、には三代目・儀四郎がを考案した。 これらのパンは現在でも同社で人気の看板商品として親しまれている。 「むしケーキ」とは従来のを改良したもので、これも同社が元祖の商品である。 ・の直営所を兼ねた工場に加え、の東京工場を合わせた3工場で製造を行っている。 かつてにあった「藤沢工場」は、に三芳工場へ統合され、操業を終了した。 のを中心とする21箇所の直営店舗を運営するほか、や等で製品が販売されている。 前者の直営店舗で販売される商品には「銀座木村家」、後者で販売される商品には「木村屋總本店」のブランドが使用されている。 沿革 [ ]• 2年 - が日陰町 現:付近 に「文英堂」を開業。 明治3年 - 尾張町 現:付近 へ移転、屋号を「木村屋」へ改称する。 明治7年 - 酒種を発売。 銀座に移転し木村屋工場創業。 明治8年 - へ酒種あんぱんを献上、に加わる。 明治26年 - ・・に直売店を開く• 明治30年 - キールンに進出• 明治32年 - 京浜地方の菓子店を集結させた近代工場「東洋製菓」設立に参加(翌年設立)。 明治33年 - 東洋製菓のジャムを挟んだビスケットからヒントを得てを考案し発売。 明治34年 - 東洋製菓に倣って機械化を図る• 明治35年 - 木村屋系統店による木村屋世襲会結成し、木村屋統一餡として製餡専門工場の根津製餡所へ外注開始。 ビスケット製造の木村屋製菓合資会社(代表は木村屋出身の志村吉蔵)設立。 明治36年 - 第五回を契機に大阪日本橋に進出• 明治37年 - が始まり、軍用パン製造のため工場増設など事業拡大する• 明治38年 - に進出• 明治44年 - ・に進出。 軍需景気により平沼製菓を買収し、日本製菓を設立。 2年 - 現在の銀座本店が落成。 昭和5年 - に改組、「株式会社木村屋總本店」を設立。 昭和31年 - 設立にあたり初代会長に5代目木村栄一就任。 昭和40年 - に三芳工場を新設。 昭和42年 - に藤沢工場を新設。 昭和44年 - 創業100周年。 昭和45年 - に柏工場を新設。 昭和61年 - 中央区6丁目に「木村屋總本店ビル」が竣工、本社機能を同地へ移転させる。 昭和63年 - に「西新宿木村屋ビル」が竣工。 13年 - に東京工場を新設。 平成14年 - 本社を西新宿木村屋ビルへ移転させる。 平成20年 - 三芳工場に藤沢工場の業務を統合し、藤沢工場を閉鎖。 平成21年 - 株式会社銀座木村家を設立し、銀座本店内の業務を委嘱。 平成22年 - 本社を東京工場内へ移転させる。 平成24年 - ウェブサイトをリニューアル。 平成25年 - 再生経営者としてより代表取締役副社長を迎える。 事業所 [ ]• 本店 株式会社銀座木村家 - 4-5-7• 株式会社木村屋総本店所属の他店舗とは独立した運営をしており、株式会社銀座木村家が下記の事業を展開。 1階は、2階は、3階と4階はとして営業。 上層階にはパン工場がある。 過去に多くのをしていることから、この建物を指して「木村屋總本店」と呼ばれることもある。 直営店で販売する酒種あんぱんなどを製造。 三芳工場 - 大字竹間沢381• 最大規模の工場。 スーパーやコンビニなどの小売店へ卸す商品を製造。 柏工場 - 新十余二14-1• スーパーやコンビニ向けの商品を製造。 かつての事業所 [ ]• 藤沢工場 - 神奈川県綾瀬市上土棚北5-10-20 歴代社長 [ ]• 初代-木村安兵衛(次男は木村英三郎)• 2代目-木村英三郎(木村儀四郎の兄)• 3代目-木村儀四郎(木村英三郎の弟)• 4代目-木村栄三郎• 5代目-木村栄一• 6代目-木村周正 長男は()社長の、次男は()社長の木村寛。 33代 1982 理事長も務めた )• 7代目-木村光伯(木村周一郎のいとこで 、学習院大学卒業 ) のれん分け [ ] 明治末期から大正初期にかけての東京のパン業界では、木村屋系と三河屋系が二大勢力であり、その暖簾分けでなければ絶対繁盛しないと言われたほどだった。 木村屋3代目の木村儀四郎は1902年(明治35年)に木村屋系の店の集まりである「木村屋世襲会」を作ったが、日露戦争(1906年)ころまでは10軒程度だった木村屋名のパン屋が大正初期には100軒以上となって混乱状態となったため、直接の暖簾分け以外の孫店やひ孫店とは関係を絶ち、正統な木村屋系統店にのみ認可証を出し、月に1回30名程度の関係者が総本店に集まって研究を重ねた。 これをもとに、1949年には木村屋睦会が結成された。 蔵六餅本舗木村屋 - 株式会社木村屋。 (明治15年)に第2号店として千葉県佐倉市で創業。 佐倉歩兵第57連隊へ納入していた。 - 有限会社木村屋。 (明治20年)にで創業。 田村町木村屋 - 株式会社キムラヤ。 (明治33年)に現在の東京都で創業。 酒田木村屋 - 有限会社木村屋。 (明治35年)に山形県で創業。 築地木村家 - 株式会社木村家ペストリーショップ。 (明治43年)に東京都中央区で創業。 - 株式会社岡山木村屋。 (大正8年)にで創業。 のれん分けされた中では最大規模である。 KIMURAYA - 有限会社木村屋商店。 銀座木村家でした人物が(大正15年)にで創業。 - 株式会社札幌キムラヤ。 (昭和2年)にで創業。 現在、總本店の支援の下で経営再建中である。 ヨーロッパンキムラヤ - 株式会社ヨーロッパンキムラヤ。 1927年(昭和2年)にで創業。 - 株式会社木村屋。 (昭和25年)にで創業。 (平成29年)に事業を終了。 関連企業 [ ]• 株式会社銀座木村家 - 銀座本店の運営を行う。 代表取締役社長に木村美貴子(6代目木村周正の弟:信義の娘)。 株式会社キムラヤフレッシュライン• 都不動産管理株式会社• 株式会社木村屋ダイヤモンドヒルズ - 不動産賃貸業• 株式会社ブーランジェリーエリックカイザージャポン• 木村屋總本店の6代目社長周正の長男・周一郎が叔母の資金援助により起業した専門の。 フランスの有名パン職人エリック・カイザーの店「メゾンカイザー」と同じ店舗名で展開。 因みに「メゾンカイザー」はフランスパン専門店である為、キムラヤの看板商品である「あんぱん」や「メロンパン」などのは置いていない。 参考文献 [ ]• 『「老舗」味めぐり』、東京・グラフ社、「姉・泰葉が檄怒したあんぱん事件の真相」、P100、2006年(平成18年) 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] []• ビジネス・ジャーナル、2015. ビジネス・ジャーナル、2018. 木村屋総本店• 山梨県中小企業団体中央会• 日経新聞、昭和51. 木村屋総本店• 菅田耕司、日本パン菓新聞社、2013年01月24日• 公益社団法人 東京青年会議所• 銀座公式ウェブサイト、2018. 週刊現代、現代ビジネス、講談社、2013年3月6日 外部リンク [ ]• - 築地場外市場による店舗紹介ページ• - あす. ぱによる店舗紹介ページ• この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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木村家本店 (きむらやほんてん)

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代々守り受け継ぐ酒種 明治7年に開発された酒種(さかだね)あんぱんを受け継いで140年以上、酒種発酵種は代々酒種を守る種師に受け継がれてきております。 酒種は米、麹、水から出来ており、あんぱんに最適な材料とは何か。 工程とは何か。 酒種をどのように伝承していくのか、社内で数名集って酒種伝承会議を開催して産地、品種等の原材料の選定から作り方まで、常に試作と試食を繰り返し、もっともおいしいあんぱんを探求し続けております。 酒種とは米と麹と水から作られた発酵種です。 正式には酒種酵母菌のことを言い、米食文化である日本独特の酵母です。 日本では古来から、日本酒を造る時の発酵源として使われています。 イーストとの違い イーストも酒種も同じ酵母と言う仲間ですが、増殖するために栄養源として食べるものが違います。 一般に市販されているイーストは、砂糖を製造する過程でできる糖蜜を栄養源として化学的に管理された機械ラインで大量に製造されます。 一方、上記のように米と麹と水から作られた発酵種である酒種は米を栄養源とし、空気と水のきれいな所で自然の中より酵母菌を採取し、麹を手助けとして日数をかけて増殖します。 酒種は簡便性に於いてはイーストには劣りますが、風味の点においては優れています。 ただし自家製造のため、特別な環境・場所が必要であり、しかも酒種の管理は難しく、勘・コツ・経験が必要になります。

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