いのちにきら。 命

いのち (NHK大河ドラマ)

いのちにきら

「 死 しにたいなんて 言 いうなよ。 」 「 諦 あきらめないで 生 いきろよ。 」 そんな 歌 うたが 正 ただしいなんて 馬鹿 ばかげてるよな。 実際自分 じっさいじぶんは 死 しんでもよくて 周 まわりが 死 しんだら 悲 かなしくて 「それが 嫌 いやだから」っていうエゴなんです。 他人 たにんが 生 いきてもどうでもよくて 誰 だれかを 嫌 きらうこともファッションで それでも「 平和 へいわに 生 いきよう」 なんて 素敵 すてきなことでしょう。 画面 がめんの 先 さきでは 誰 だれかが 死 しんで それを 嘆 なげいて 誰 だれかが 歌 うたって それに 感化 かんかされた 少年 しょうねんが ナイフを 持 もって 走 はしった。 僕 ぼくらは 命 いのちに 嫌 きらわれている。 価値観 かちかんもエゴも 押 おし 付 つけていつも 誰 だれかを 殺 ころしたい 歌 うたを 簡単 かんたんに 電波 でんぱで 流 ながした。 僕 ぼくらは 命 いのちに 嫌 きらわれている。 軽々 かるがるしく 死 しにたいだとか 軽々 かるがるしく 命 いのちを 見 みてる 僕 ぼくらは 命 いのちに 嫌 きらわれている。 お 金 かねがないので 今日 きょうも 一日中惰眠 いちにちじゅうだみんを 謳歌 おうかする。 生 いきる 意味 いみなんて 見出 みいだせず、 無駄 むだを 自覚 じかくして 息 いきをする。 寂 さびしいなんて 言葉 ことばでこの 傷 きずが 表 あらわせていいものか そんな 意地 いじばかり 抱 かかえ 今日 きょうも 一人 ひとりベッドに 眠 ねむる 少年 しょうねんだった 僕 ぼくたちはいつか 青年 せいねんに 変 かわっていく。 年老 としおいていつか 枯 かれ 葉 はのように 誰 だれにも 知 しられず 朽 くちていく。 不死身 ふじみの 身体 からだを 手 てに 入 いれて、 一生死 いっしょうしなずに 生 いきていく。 そんなSFを 妄想 もうそうしてる 自分 じぶんが 死 しんでもどうでもよくて それでも 周 まわりに 生 いきて 欲 ほしくて 矛盾 むじゅんを 抱 かかえて 生 いきてくなんて 怒 おこられてしまう。 「 正 ただしいものは 正 ただしくいなさい。 」 「 死 しにたくないなら 生 いきていなさい。 」 悲 かなしくなるならそれでもいいなら ずっと 一人 ひとりで 笑 わらえよ。 僕 ぼくらは 命 いのちに 嫌 きらわれている。 幸福 こうふくの 意味 いみすらわからず、 産 うまれた 環境 かんきょうばかり 憎 にくんで 簡単 かんたんに 過去 かこばかり 呪 のろう。 僕 ぼくらは 命 いのちに 嫌 きらわれている。 さよならばかりが 好 すきすぎて 本当 ほんとうの 別 わかれなど 知 しらない 僕 ぼくらは 命 いのちに 嫌 きらわれている。 幸福 こうふくも 別 わかれも 愛情 あいじょうも 友情 ゆうじょうも 滑稽 こっけいな 夢 ゆめの 戯 たわむれで 全部 ぜんぶカネで 買 かえる 代物 しろもの。 明日、 あした 死 しんでしまうかもしれない。 すべて、 無駄 むだになるかもしれない。 朝 あさも 夜 よるも 春 はるも 秋 あきも 変 かわらず 誰 だれかがどこかで 死 しぬ。 夢 ゆめも 明日 あすも 何 なにもいらない。 君 きみが 生 いきていたならそれでいい。 そうだ。 本当 ほんとうはそういうことが 歌 うたいたい。 命 いのちに 嫌 きらわれている。 結局 けっきょくいつかは 死 しんでいく。 君 きみだって 僕 ぼくだっていつかは 枯 かれ 葉 はのように 朽 くちてく。 それでも 僕 ぼくらは 必死 ひっしに 生 いきて 命 いのちを 必死 ひっしに 抱 かかえて 生 いきて 殺 ころしてあがいて 笑 わらって 抱 かかえて 生 いきて、 生 いきて、 生 いきて、 生 いきて、 生 いきろ。 「 死 shi にたいなんて nitainante 言 i うなよ unayo。 」 「 諦 akira めないで menaide 生 i きろよ kiroyo。 」 そんな sonna 歌 uta が ga 正 tada しいなんて shiinante 馬鹿 baka げてるよな geteruyona。 実際自分 jissaijibun は ha 死 shi んでもよくて ndemoyokute 周 mawa りが riga 死 shi んだら ndara 悲 kana しくて shikute 「 それが sorega 嫌 iya だから dakara」 っていう tteiu エゴ ego なんです nandesu。 他人 tanin が ga 生 i きてもどうでもよくて kitemodoudemoyokute 誰 dare かを kawo 嫌 kira うことも ukotomo ファッション fassyon で de それでも soredemo「 平和 heiwa に ni 生 i きよう kiyou」 なんて nante 素敵 suteki なことでしょう nakotodesyou。 画面 gamen の no 先 saki では deha 誰 dare かが kaga 死 shi んで nde それを sorewo 嘆 nage いて ite 誰 dare かが kaga 歌 uta って tte それに soreni 感化 kanka された sareta 少年 syounen が ga ナイフ naifu を wo 持 mo って tte 走 hashi った tta。 僕 boku らは raha 命 inochi に ni 嫌 kira われている wareteiru。 価値観 kachikan も mo エゴ ego も mo 押 o し shi 付 tsu けていつも keteitsumo 誰 dare かを kawo 殺 koro したい shitai 歌 uta を wo 簡単 kantan に ni 電波 denpa で de 流 naga した shita。 僕 boku らは raha 命 inochi に ni 嫌 kira われている wareteiru。 軽々 karugaru しく shiku 死 shi にたいだとか nitaidatoka 軽々 karugaru しく shiku 命 inochi を wo 見 mi てる teru 僕 boku らは raha 命 inochi に ni 嫌 kira われている wareteiru。 お o 金 kane がないので ganainode 今日 kyou も mo 一日中惰眠 ichinichijuudamin を wo 謳歌 ouka する suru。 生 i きる kiru 意味 imi なんて nante 見出 miida せず sezu、 無駄 muda を wo 自覚 jikaku して shite 息 iki をする wosuru。 寂 sabi しいなんて shiinante 言葉 kotoba でこの dekono 傷 kizu が ga 表 arawa せていいものか seteiimonoka そんな sonna 意地 iji ばかり bakari 抱 kaka え e 今日 kyou も mo 一人 hitori ベッド beddo に ni 眠 nemu る ru 少年 syounen だった datta 僕 boku たちはいつか tachihaitsuka 青年 seinen に ni 変 ka わっていく watteiku。 年老 toshio いていつか iteitsuka 枯 ka れ re 葉 ha のように noyouni 誰 dare にも nimo 知 shi られず rarezu 朽 ku ちていく chiteiku。 不死身 fujimi の no 身体 karada を wo 手 te に ni 入 i れて rete、 一生死 issyoushi なずに nazuni 生 i きていく kiteiku。 そんな sonnaSF を wo 妄想 mousou してる shiteru 自分 jibun が ga 死 shi んでもどうでもよくて ndemodoudemoyokute それでも soredemo 周 mawa りに rini 生 i きて kite 欲 ho しくて shikute 矛盾 mujun を wo 抱 kaka えて ete 生 i きてくなんて kitekunante 怒 oko られてしまう rareteshimau。 「 正 tada しいものは shiimonoha 正 tada しくいなさい shikuinasai。 」 「 死 shi にたくないなら nitakunainara 生 i きていなさい kiteinasai。 」 悲 kana しくなるならそれでもいいなら shikunarunarasoredemoiinara ずっと zutto 一人 hitori で de 笑 wara えよ eyo。 僕 boku らは raha 命 inochi に ni 嫌 kira われている wareteiru。 幸福 koufuku の no 意味 imi すらわからず surawakarazu、 産 u まれた mareta 環境 kankyou ばかり bakari 憎 niku んで nde 簡単 kantan に ni 過去 kako ばかり bakari 呪 noro う u。 僕 boku らは raha 命 inochi に ni 嫌 kira われている wareteiru。 さよならばかりが sayonarabakariga 好 su きすぎて kisugite 本当 hontou の no 別 waka れなど renado 知 shi らない ranai 僕 boku らは raha 命 inochi に ni 嫌 kira われている wareteiru。 幸福 koufuku も mo 別 waka れも remo 愛情 aijou も mo 友情 yuujou も mo 滑稽 kokkei な na 夢 yume の no 戯 tawamu れで rede 全部 zenbu カネ kane で de 買 ka える eru 代物 shiromono。 明日、 ashita 死 shi んでしまうかもしれない ndeshimaukamoshirenai。 すべて subete、 無駄 muda になるかもしれない ninarukamoshirenai。 朝 asa も mo 夜 yoru も mo 春 haru も mo 秋 aki も mo 変 ka わらず warazu 誰 dare かがどこかで kagadokokade 死 shi ぬ nu。 夢 yume も mo 明日 asu も mo 何 nani もいらない moiranai。 君 kimi が ga 生 i きていたならそれでいい kiteitanarasoredeii。 そうだ souda。 本当 hontou はそういうことが hasouiukotoga 歌 uta いたい itai。 命 inochi に ni 嫌 kira われている wareteiru。 結局 kekkyoku いつかは itsukaha 死 shi んでいく ndeiku。 君 kimi だって datte 僕 boku だっていつかは datteitsukaha 枯 ka れ re 葉 ha のように noyouni 朽 ku ちてく chiteku。 それでも soredemo 僕 boku らは raha 必死 hisshi に ni 生 i きて kite 命 inochi を wo 必死 hisshi に ni 抱 kaka えて ete 生 i きて kite 殺 koro してあがいて shiteagaite 笑 wara って tte 抱 kaka えて ete 生 i きて kite、 生 i きて kite、 生 i きて kite、 生 i きて kite、 生 i きろ kiro。

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いのち (NHK大河ドラマ)

いのちにきら

この記事はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2012年4月) 命(いのち)は、多様で奥深いを持つであり、の生きる力や期間、生きていく大もとの外に現れる働きのもと。 「唯一のよりどころとなる、最も大切なもの」という象徴的な意味もある(例:このラーメンはスープが命だ)。 人間の命は特に人命と呼ばれることがあり、人命は第一に守られるべき(最も尊ばれるべき)であるという社会的通念がある。 命(めい)は、命を賭けて果たすべきことであり、は「命じる」こと、 厳密には命を賭けて果たすべきのことである。 [ ]しかし、現代のでは、単なる・指示等と同義で用いられることが多い。 概要 [ ] あらゆるものに命は宿っており、使命を持っているとする考え方であり、が尽きても新たな命を育むと考えられている。 この様な場合には、「」と同様に用いられている。 狭義には、生物の根源であると同義である。 命あるものとないものの境界は必ずしも明確ではなく、例えば、が生命体であるか否かは諸説ある。 「命」はの「」に選ばれた。 アメリカ政府のに使われる算定値では、1人の命を救う価値は約700万ドルとされている。 旧約聖書における命 [ ]• として翻訳されたにおいて、 命はと同義である。 9章4節()ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。 9章5節()また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。 いかなる獣からも要求する。 人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。 として翻訳されたにおいて、 命は、必ずしも人ひとりのの限りではない。 17章2節()わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。 Genesis 17:2 And I will make my covenant between me and thee, and will multiply thee exceedingly. として翻訳されたにおいて、 命であるの源は、女性の月経であると考えられている。 20章18節( 生理期間中の女と寝て、これを犯した者は、女の血の源をあらわにし、女は自分の血の源をあらわにしたのであって、両者共に民の中から断たれる。 Leviticus 20:18 And if a man shall lie with a woman having her sickness, and shall uncover her nakedness; he hath discovered her fountain, and she hath uncovered the fountain of her blood: and both of them shall be cut off from among their people. 関連語 [ ]• 使命 - あるものに命を使わす目的と役割のことを指す。 - 使命を果たし命が尽きることを指す。 - 生まれいづる命のことを指す。 - 最初からその命に宿っていたと考えられているもの・運命を指す。 - 命が運んでくるもので、定まっていたものを指す。 - が授けた命のことを指す。 「五十にして天命を知る。 」(『』)• - 余った命のことを指す。 の命(めい) - 天命、運命、宿命、などのように、生まれつき決められた定めを表す概念。 五術には・・という五項目があり、なかでも命は命理ともいい、自分の天命や運命を知る方法という意味。 脚注 [ ] [].

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命に嫌われている。 歌詞「初音ミク」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

いのちにきら

概要 [ ] (昭和59年)の『』、(昭和60年)の『』に続く「近代大河3部作」 の第3作。 『山河燃ゆ』以降近代路線に転換してから的に苦戦していた大河ドラマの桿入れのため、『』()『』( - 1984年)で当時人気の実力派・を起用した。 当初、NHKは原作の明治物の脚色を依頼していたが、オリジナルに拘る橋田が難色を示し、自らの戦後史に擬えての史となった。 時代設定は、終戦直後の昭和20年()から「放送当時の『現代』」である昭和60年()前後で、(31年・元年)までの大河ドラマでは最も新しい時代を取り上げた作品 である。 なお、昭和60年()の前作品『』の最終話ラストのナレーションにおいて、主人公のについて「戦後間もなくした。 」と語られており、時系列的にはそのまま前作から引き続く形になった。 主人公の岩田(旧姓:高原)未希は、作中のナレーション(昭和32年6月ごろに32歳の誕生日を迎えたなど)によると大正14年()の生まれであり、実在・架空の人物を問わない場合、これまでの大河ドラマの主人公(西暦まで放送予定の作品も含む)としては最も新しい年代に生まれている。 歴史的人物・事件を主要な題材とする大河ドラマとしてはかなりの異色作で、当時の資料映像を除き、話を進行させる名前のある登場人物は全員架空の唯一の大河作品であり、実在の人物の名前が出たのはナレーションや登場人物の台詞でも、(内閣総理大臣)などごくわずかである。 しかしとこれに伴う地主の没落、下の農村、、、核家族化など昭和20-50年代の社会的事象や事件は多数描かれており、史実と無関係のドラマではない。 配役としては映画『』などで、当時注目されていたベテラン女優のを橋田の希望で主演に迎えた。 その他についても、庶民派大河を意識した地味なキャスティングとなった。 制作費の面では、例年に比べて出演者が少なく、過去の局資産も流用できるため、思い切って本建築の高原家セットを組むなど、バランスのとれた予算配分となった。 オープニング映像はに光をあて光がうねるような描写と燃え盛るが交互に現れるという、物語を象徴するような激しくも幻想的な作りとなっている。 そのバックには、ドラマ中の重要なシンボルであるの眺望がのように浮かび上がる。 音楽はが『おんな太閤記』以来の再タッグとなった。 のちに同じ橋田作品の『』も担当し、橋田脚本の大河作品すべてを担当したことになる。 なお、全大河ドラマ中でタイトルが完全にで表記されているのは本作のみである。 平均視聴率は29. 1984年度の『山河燃ゆ』から続いた「近代大河3部作」中では平均視聴率が一番高かった。 しかし「近代大河3部作」1作目の『山河燃ゆ』は評判が悪く、続く『春の波涛』では著作権侵害事件が起き、またいずれも視聴率が低かったため、今作はヒットしたものの 5作連続する予定であった [ ]近現代シリーズは打ち切られることになった。 その後、大河ドラマで近現代、特に昭和以降が舞台となる作品はに『』 が放送されるまで33年もの間途絶えた。 2006年12月から1年間、CS放送「」で再放送した。 あらすじ [ ] (から4日後)、へ向かう汽車にの自宅を焼け出されて故郷へ向かう 高原未希・佐智姉妹がいた。 佐智はで足が不自由になっており、この旅で弘前へ男を訪ねる妊娠中の 村中ハル、高校生(旧制)の 中川邦之と知り合う。 故郷へ帰り、母の 千恵、の 工藤清吉・イネ夫妻と再会したのも束の間であった。 男に裏切られ、海に身を投げようとして、海軍予備学生から復員した浜村直彦に助けられたハルが連れて来られ、千恵、イネらの奮闘に関わらず流産する。 一時は自殺すら考えたハルだったが、清吉らの説得により「男に頼らず一人で生きる」とへの道を志す。 間もなく千恵が吐血して倒れ、・ 坂口一成の診察によりを宣告される。 へ抑留された父 正道と結婚式を挙げたへ未希とハルの助けで参拝して間もなく亡くなり、このことがきっかけで未希は医者を志しに進学。 しかし高原家はの嵐に見舞われ、で幼馴染の 岩田剛造の努力も虚しく、父のシベリア抑留を理由に不在地主に認定された高原家は全ての土地を失ってしまう。 東京で共に農村医療を志す直彦と未希は惹かれあい、医専を卒業した未希は故郷へ帰り念願の医者となる。 佐智も姉の医療を補助していたが、無資格での行為が問題となって、を目指し、看護婦の資格を取った。 シベリアから父・正道が帰って来るが、長い抑留生活のため、余命幾ばくもないことがわかり、を出て医師となった中川邦之は正道が元気な内に佐智と結婚したいと申し出る。 その結婚式の夜、妻・千恵の墓前で、正道は息を引き取った。 その後も開業医としては順調な日々を送る未希だったが、妊娠中の剛造の妻初子の体調不良の訴えをと誤診、で初子をともども亡くす結果となり、医者としての自信を失った未希は・へ留学し、そこで直彦と再会する。 留学も終わりに近付いた頃、一旦は直彦のプロポーズを受けた未希だったが、帰国後地域医療を捨て大学に戻る途を選んだ直彦と決裂する。 帰国後、周囲の反対を押し切って剛造と結婚した未希は、姑のテルと激しい確執を演じるが、剛造と初子の娘・典子の病気を治療したことをきっかけに和解する。 故郷が町村合併したことを契機に公立の診療所ができて、次第に経営が苦しくなった未希は東京でダンスホールの経営者として成功していたハルの勧めで、東京郊外のに1年間だけの予定で開業、故郷の医院は義弟の邦之に留守を託した。 東京で開業した医院は急速に開発が進んだ結果医師不足となっていたため多忙となり、未希は自らが必要とされている地域があることを知った。 約束の1年後、未希は、テルや清吉、佐智らに故郷への復帰を懇願され、邦之も交代を提案しながらも、未希の医師としての生きがいを見た剛造が東京での医院継続に賛成し、剛造の後ろ楯で本格的に移転を決める。 しかしその過程で典子との確執を生むのだった。 未希が東京での医院継続を決めた頃、故郷から集団就職で征子が上京した。 しかし征子は、上京時に約束された定時制高校への通学もままならず惨状を見かねたハルは征子を引き取り、都内の難関全日制高校へ進学させ、大学まで出し医者にさせるほど征子に愛情を注いだ。 同じ頃、剛造と初子の息子・竜夫も継母の未希を頼って上京、竜夫は都内の高校から大学の経済学部へ進学し、卒業後は未希の医院の事務を担当した。 後に征子は竜夫と結婚。 その新婚旅行の最中、が起こり、これに対応して乗り切った竜夫は、やがて病院の実務を切り回していくことになる。 一方、青森で父と暮らした典子との確執は収まらず、結婚式の日、典子は未希が用意した婚礼衣装に袖を通さず、初子の形見の着物を身につけて式に臨むが、テルがにかかり、未希は彼女を東京に引き取り介護することで和解する。 やがてテルは未希に看取られて死去。 それから間もなく親友のハルの末期が発覚。 ハルは弘前での最期を望み、親しい人たちに囲まれて高原家で息を引き取る。 やがて、竜夫による医療保険不正請求事件が発覚。 竜夫を問い詰め叱責する未希に対し、竜夫は謝罪するが、病院の経営状況が火の車であり、やむなくしていたことを聞かされた未希は愕然とするのだった。 剛造が長年のの品種改良の努力が実って、農業賞を受賞。 喜びも束の間、剛造もまた病に冒される。 意識不明になった剛造の自発呼吸がついに停止し、気管切開をしようとする医師とそれを望んだ家族に対し「もういい。 お父さん頑張ったんだから」と未希は延命治療を拒み、安らかに旅立たせるのだった。 それにより、典子は、剛造を殺したのはあんただ、それでも医者かと罵倒、激しい憎しみを燃やし、竜夫や征子が説得しても剛造が建ててくれた家に未希が入ることを許さなかった。 しかし、失意の未希に清吉は剛造が生前農業雑誌に寄稿していた記事(品種改良の結果できた新種のリンゴの名を未希にちなんでつけたことと未希への感謝の念が書かれていた)を見せてくれ、それを読んだ未希は喜びに涙する。 その記事は典子も読むこととなり、剛造の未希への愛情を知り、典子が未希に土下座して謝罪、和解する。 その後、典子達の農作業を手伝おうとする未希だったが、慣れない農作業では却って足手まといとなり、自責の念にかられた未希は、全てを投げ出そうと家を出、青森県内のとある山奥の温泉宿に逗留する。 そこで働いていた女性の難産を助け、自分にも役目があることを思い出した。 東京の医院は征子に任せ、未希は離島の診療所へ赴く。 そして「いのち」を守るため、今日も診療を続けるのであった。 母の死をきっかけにを目指すようになる。 高原家 [ ] 高原正道 演: 未希の父。 高原本家の当主であり、実業家。 小作たちからは「高原のだんな」と呼ばれ慕われている。 戦時中にに渡り事業を起こすも、終戦直前のソ連侵攻によりされる。 終戦後の正道の不在によりの際に高原家は不在地主とみなされ、高原家の家屋敷を除いてすべての土地が小作にわたってしまう。 数年後に帰国できるも、千恵は既に他界しており、自身も抑留中の極度の栄養失調と疲れから先は長くない状態であった。 佐智と邦之の結婚を邦之の両親に納得させ、二人の結婚式を見届けた当夜、雪の降る中、千恵の墓前で一人祝い酒を飲みそのまま眠り、亡くなる。 自分の死期を悟っていた正道にとって覚悟の死(自殺)だったとの描写がなされた。 眠る直前、未希と浜村直彦の結婚を予感していたが、二人は最終的に破局となる。 高原千恵 演: 未希の母。 戦中、女学生だった未希と佐智を東京の家に残して、正道の代わりに津軽の高原家を清吉やイネと守っていた。 終戦後に津軽に引き上げた娘たちとつかの間の親子の時間を過ごすも、末期の胃がんで余命わずかであると判明。 無医村地区のため初期段階に医者にかかることができなかったからであった。 死の床にあってようやく正道の消息が届けられるも、手紙と一緒に送られたオルゴールが奏でる千恵の好きな曲を聴きながら亡くなる。 その死によって未希は医者を志し、特に母を死に追いやった無医村問題に目覚めていくことになる。 台本では、まだ病名を告げられる前に自身の死を予感し、一人涙ぐむ描写もある。 戦争が原因で足が不自由になるも、坂口の執刀で治癒。 資格を取り、姉や夫を支える。 邦之とはお互い一目ぼれに近い出会いだった。 中川邦之 演: 未希姉妹とハルが故郷へ帰る列車の中で出会った旧制高校生。 中川家の三男。 跡取りでないため自由気ままな性格だが、一度決めたことは貫き通す意志の強さをもっており、それは未希や直彦に感化され、一から勉強し医者になったことにもあらわれている。 またをこよなく愛しており、終戦後のねぶた復活に同郷の若者とともに奔走した。 佐智との結婚を反対していた両親も正道のとりなしで納得し、りっぱな結婚式をあげることができる。 未希が上京の後、津軽の高原家で医院を引き継ぐ。 自称「水を飲んでも太る」とのことで、戦中後の食糧難にあってもりっぱな体格をしていた。 高原弘道 演: 正道の弟。 高原家の分家の主。 本家の問題に正枝ら妹たちと何かと首を突っ込み、未希や清吉につらくあたる。 特に婿も迎えず医者にもなり、本家の跡取りとしての自覚を見いだせない未希と衝突することが多く、剛造との結婚に激怒し、半ば絶縁してしまう。 工藤清吉 演: 高原家に仕える使用人。 自殺未遂をし、自暴自棄のハルに生きる希望を諭す。 農地改革の際に弘道の強い助言で高原家の財産を一部隠匿し過少申告したことが何者かに密告され、より多くの財産を接収されてしまったことを悔やみ刀で自殺しようとするも、駆けつけたハルに「あたしが死のうとした時、命を粗末にするなってひっぱたいたのはどこの誰なんだよ!」と叱咤され思いとどまる。 以前、絶望の淵から救ったハルに今度は清吉が救われたのだった。 その後は地主でなくなった高原家であっても、以前と同じように未希姉妹をお嬢様と敬い、時には私財をなげうって支えていく。 工藤イネ 演: 清吉の妻。 清吉と共に未希を支えていく。 でもあり、佐智の赤子も取り上げる。 未希と剛造の結婚を最後まで反対し、未希と姑・テルとの仲を何かと案じていた。 末期のがんで死にゆくハルに来世への希望を語り、安らかな最期をおくらせてやる。 岩田家 [ ] 高原家のだった。 岩田剛造 演: 青森でのリンゴ農家を営む男。 後に未希の夫になる。 岩田テル 演: 剛造の母。 農地改革で高原家の小作という立場から離れても、未希のことは「お嬢様」として立てていたが、剛造との結婚後は姑として対立や和解を繰り返す。 後に認知症(放送当時は『』)を患い、未希の介護を受けるが、最期は未希に「ありがとう、おら、幸せもんだ…」と言い残して息を引き取った。 意外に新しもの好きで、発売されたばかりのを乗り回していたこともあった。 岩田初子 演: 剛造の最初の妻。 未希の誤診によって亡くなってしまう。 大学卒業後は、医療機器や薬品の製造販売会社に就職。 後に征子と結婚し、高原病院の事務局にはいる。 剛造と未希が結婚した時は未希になついていたが、未希が東京に出たのをきっかけに「剛造を捨てた」未希との折り合いが悪くなる。 その後未希がテルを引き取ったことで一時和解するが、剛造の死により亀裂は決定的となる。 しかし剛造が書いた記事を読んで剛造の未希に対する思いを知り、未希と和解する。 除隊となり東京の女子医専に復帰。 未希にとって生涯の師となる。 坂口美代 演: 一成の妻。 未希やハル、直彦たちの面倒を何かと見る。 村中ハル 演: 未希とは故郷へ帰る列車の中で出会い、生涯の友となっていく。 東京大空襲では家族全員を失う。 男に捨てられ入水自殺するも、直彦に助けられる。 運び込まれた高原家で流産。 東京の土地を売った金を元手に、金太と組んで津軽・東京間のりんごのヤミ売買を始め、りんご景気に乗じて財を成す。 後に会社を経営するなどの実績をあげていく。 浜村直彦 演: 戦死した兄たちと同じ海軍士官だったが、特攻間際に終戦を迎える。 これからの人生に失望し自殺しようと立ち寄った海で、先に入水したハルを助ける。 そのことで吹っ切れ、医者を志すようになる。 未希の初恋の相手。 浜村とも子 演: 直彦の母。 夫と二人の子を戦争でなくす。 もとは軍人一家の妻として親戚からも羨ましがられるような暮らしをしていた。 終戦後は東京から津軽へ引き揚げ、実家の兄の海産物問屋を手伝っている。 八木金太 演: 津軽の運び屋。 未希の友人。 大場甚一郎 演: 未希が病院を立ち上げた時の副院長。 水田教授 演: 直彦の母校の教授。 直彦の妻となる。 中川忠之 演: 中川家の長男。 中川圭子 演: 忠之の妻。 八田修二 演: 八田鶴松 演: 正道のシベリア抑留仲間。 花田健作 演: 津田平吉 演: 津田浅子 演: 平吉の妻。 征子の母。 田所久治 演: 正道が社長を務める満州の会社の社員。 終戦後満州を脱出し、正道から託された荷物を高原家に届ける。 その中に千恵と正道の思い出の曲を奏でるオルゴールが入っていた。 田所久子 演: 荒井壮太 演: 未希が不在中の高原医院に脚を骨折して運ばれてくる。 留守を任されていた絹子と昭子が他の病院へ搬送し事なきを得た。 料理屋に修行中の身で、板前になるのが夢。 昭子と恋仲になり結婚。 やがて自分の店を持つことになる。 実家で肩身の狭い思いをしながら慣れない仕事をしている妹をなにかと面倒見ている。 山内京子 演: 高原医院の看護婦。 小松 演: 信吉 演: 松子 演: 信吉の妻。 出産の際に出血が止まらず、同じ血液型の未希が自血を輸血。 松子の命を救っている。 平田 演: 曾我 演: 今井 演: 草野 演: 文造 演: 正枝、君枝、時枝 演:(正枝)、(君枝)、(時枝) 正道の妹たち。 昭子と同じ工場で働いていたが、過酷な労働条件に耐えられなくなり二人して辞めてしまう。 見かねた未希によって高原医院で働くこととなり、後に看護婦資格を取得して昭子と共に高原医院や後の高原病院の看護婦として未希を支えていく。 絹子の父 演: 絹子の母 演: スエ 演: フキ 演: 信吉の母。 ハマ 演: スタッフ [ ]• 作:橋田壽賀子• 音楽:• 語り:• 演奏:(現・新音楽協会)• テーマ音楽演奏:(ピアノ・、ヴァイオリン・)• テーマ音楽指揮:• 監修:、• 医事監修:、• 衣装考証:、• 方言指導:、• 制作:• 美術:川口直次、蒔田穣• 効果:広瀬洋方、中村真一、米本満• 技術:大沼伸吉、田村久男• 撮影:入倉道治、遠藤信明• 照明:増山実、久保富雄• 音声:岩崎延雄、仲野次郎• 記録・編集:高室晃三郎• 演出:、、、、、、 放送 [ ] 特記が無い限りで確認。 通常放送時間 [ ]• 、:毎週日曜 20時00分 - 20時45分• (再放送)NHK総合テレビジョン、衛星第1放送:毎週土曜 13時25分 - 14時10分 放送日程 [ ]• 第1回、最終回は4分拡大で放送。 放送回 放送日 題 演出 視聴率 第1回 1月5日 帰郷 伊豫田静弘 26. 富沢正幸 26. 富沢正幸 28. 書籍 [ ]• いのち : NHKテレビ・シナリオ 上 (1986年3月発売、)• いのち : NHKテレビ・シナリオ 中 (1986年7月発売、NHK出版)• いのち : NHKテレビ・シナリオ 下 (1986年11月発売、NHK出版) その他 [ ]• この番組の放送を記念してに拠点を構える菓子メーカー・が、「いのち」というスポンジケーキを発売した。 放送終了から30年以上経った2020年現在でも発売しているため、命名の理由を知らない消費者も増えている。 林檎の新種「未希ライフ」はこのドラマにちなんでつけられた。 このドラマの林檎農家の描写を開発者が指導したためである。 これでもか、これでもかと主人公にふりかかる不運の連続に相当の批判の投書がNHKに寄せられた。 ただし本作の脚本家である橋田壽賀子のいわゆる「橋田節」に対する支持も同等以上あったことは視聴率が証明している。 脚注 [ ] 注釈 [ ]• 31年・元年()放送の『』は明治後半から(昭和39年)の前後までの時代を扱うため、『いのち』の舞台となった時期と一部が重なったが、(昭和42年)で話が完結した。 ただし、「春の波涛」のストーリー自体は大正期までしか描かれていない。 一部放送日時の変更あり 出典 [ ].

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