佐竹 本 三 十 六 歌仙 絵 と 王朝 の 美。 特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を見に行くリン♪エピソードⅠ

佐竹本三十六歌仙絵巻

佐竹 本 三 十 六 歌仙 絵 と 王朝 の 美

京都国立博物館で11月24日まで開催されている 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」。 NHKでかなり取り上げられていたので、予備知識ありで見た。 鎌倉時代に制作された 〈佐竹本三十六歌仙絵〉。 大正時代に元の所有者の秋田藩佐竹家から実業家の手に渡ったが、2年後に再び売りに出される。 絵巻のままではあまりに高額なので誰も買えず、海外流出の危険もあるので、37枚に分割して売りに出し、どの歌仙があたるかは買い取り希望者でくじを引くという方法で決めた。 人気は十二単をまとった女性に集中し、1番高額だったのは「斎宮女御」で4万円。 4万円というと、今ならざっと3億円くらいになるようだ。 男性1番は柿本人麻呂で1万5千円。 十二単の威力はすごいってことだ。 絵巻をバラバラにするってとんでもないことだけど、こだわりの表具で掛軸になり、新たな文化財としての命が吹き込まれ、大部分は重要文化財指定を受けている。 和歌関連の展示もあり、見応えのある展覧会だった。 十二単のお姫さんの帯を締めて観に来てはるマダムなんかいて、雅でしたわ。 私は会いたかった彼にも会えて大満足。 彼の名は「虎形 琳丿丞」くん。 トラりんだー!! 京都国立博物館蔵 尾形光琳の「竹虎図」がモチーフの墨画風キャラさん。 トラりんは動きが可愛く、サービス精神が旺盛。 さすが国立の施設のキャラさん、デキる子ね。 あまりに可愛いので、 分身を家にご招待しちゃった。 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」が開催されていた平成知新館前から、 夕闇せまる景色の中に、京都タワーが見える。 旧本館の明治古都館(重要文化財)が夕焼けに映えている。 この展覧会は11月24日(日)まで 京都国立博物館 京都市東山区茶屋町527.

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「佐竹本 三十六歌仙絵」の見どころをご紹介します【2】米川千嘉子さんが語る「小大君」

佐竹 本 三 十 六 歌仙 絵 と 王朝 の 美

37件中、空前の31件の出品が実現 京都国立博物館で 10月 13日(日)、特別展「流転 100年 佐竹本三十六歌仙絵(さたけぼんさんじゅうろっかせんえ)と王朝の美」が始まった。 台風 19号の接近で会期初日の 12日(土)は臨時休館を余儀なくされ、 1日遅れのスタート。 今から 100年前の 1919年(大正 8年)、 2巻の絵巻物が分割されて巻頭の「住吉大明神」と「三十六歌仙」を描いた計 37の断簡が売却されて以来、美術館の展覧会としては最多となる 31件(会期中の展示替えを含む)の出品が実現した展覧会に多くの観客が訪れている。 「三十六歌仙」とは、平安時代中期の歌人・学者の藤原公任(きんとう)が飛鳥~平安時代のすぐれた歌詠みから選んだ柿本人麻呂、大伴家持、小野小町、在原業平、紀貫之など 36人。 彼らはスターとして崇められ、個人歌集(家集)などが編まれて流布し、姿を想像して描いた肖像画(歌仙絵)も江戸時代に至るまで盛んに描かれた。 「佐竹本三十六歌仙絵」は鎌倉時代・ 13世紀に作られた絵巻物。 縦 37cmほどの大ぶりの料紙に一人ずつ歌仙の名前と和歌を記し、広い余白を取って肖像画(歌仙絵)を添える。 詞の筆者は後京極(ごきょうごく)良経、絵は藤原信実(のぶざね)と名うての人物が伝えられてきたが、いまだに特定されていない。 「佐竹本」の名称は江戸時代~幕末に入手したとみられる旧秋田藩主・佐竹侯爵家にちなみ、その前は京都の下鴨神社が所蔵していたらしい。 佐竹侯爵家は明治維新で境遇が大きく変わった旧大名家の多くがそうであったように、家伝来の重宝を維持できなくなり、 1917年(大正 6年)に大規模な売立を行った。 その目玉となった歌仙絵は「船成金」「虎大尽」の異名を取った実業家・山本唯三郎が高額で購入したが、すぐに財産を失い、手放すことになった。 しかしあまりに高額であることから、実業家・茶人の益田孝 号・鈍翁 らが発起人となり、絵巻を分割して財界人、古美術商などが個別購入することを申し合わせた。 分配は 1919年(大正 8年 12月、東京・御殿山の益田邸「応挙館」(現在は東京国立博物館に移築保存)で行われたクジ引きによって決定。 その日までに歌仙絵の糊付けをはがして分割されたが、「切売」「切断」などのショッキングな表現で報じられた。 当時の読売新聞が「この名品の散逸の前提ともいふべき分割の擧(挙)は惜しみても餘(余)りある事と云はなければなるまい」 1919年 12月12日付 と憂えたように、この事件はやがて文化財保護のための法律整備につながっていく。 「身売り三十六歌仙の行き先が定った」とクジ引きの結果を伝える読売新聞(1919年12月21日付) 歌仙絵を入手した人々は、それぞれに凝った表装を施して(「おべべを着せる」という言い方があるという)茶席で披露し、あるいは秘蔵した。 その後、戦争や財閥解体、高度成長や不況などの荒波の中でほとんどの歌仙絵が持ち主を替え、個人から法人に所管が移ったものも数多い。 1983年には歌仙絵のその後を追った NHK番組「絵巻切断~秘宝 36歌仙の流転~」が放送されて反響を呼び、翌年にはドキュメント本も出版された。 今日、所在が判明している「佐竹本」の歌仙絵の大半は重要文化財に指定されている。 しかし、行方が分からなくなったり、所蔵者が門外不出としたりするものもあり、 1986年にサントリー美術館(当時は東京・赤坂)が「佐竹本」の展覧会を開いた時には 29の所蔵者に出品を要請し、 20件しか集められなかったという。 今回は 2月に京都国立博物館がを開いた時点で 28件の出品が決まっていたが、開幕までに 3件を追加。 開幕時点で 24件が一堂に会した。 まずは国宝「三十六人家集」と平安古筆から 展示は平成知新館の3階から1階まで、全館をフルに使用。 3階の会場入り口の壁には「もう、会えないと思っていた」「あの日からやっと会える」という言葉が掲げられ、離散した歌仙絵たちが久しぶりに相まみえる奇跡への期待を否が応でも高める。 ここに集められた古筆も見どころで、「継色紙」「升色紙」「寸松庵色紙」の「三色紙」にはじまり、「高野切」(第三種)、国宝「本阿弥切『古今和歌集』巻第十二残巻」、京都・本願寺が所蔵する国宝「三十六人家集」=躬恒(みつね)集・素性(そせい)集・重之集・興風(おきかぜ)集を展示替え=などの名品が惜しみなく並ぶ。 国宝の手鑑「藻塩草」は奈良~室町時代の経文、和歌、消息などの断簡を貼り込んだもの。 「三色紙」も本来の姿は冊子で、巻物や冊子をバラバラにして鑑賞の対象とする伝統が古くから存在していた事実を教えられる。 また、茶の湯とともに古筆や絵巻の断簡を表装して茶席に飾る趣向が生まれ、「佐竹本」を分割購入した益田鈍翁ら近代数寄者(すきしゃ)にもそれが受け継がれていったことが理解できる。 脇息にもたれて体を傾けたり、紙と筆を手にしたりするおなじみのポーズの系譜を紹介している。 現存最古かつ平安時代の遺物として唯一という 重要文化財の硯箱「州浜鵜螺鈿硯箱(すはまうらでんすずりばこ)」(平安時代・12世紀)も見のがせない。 益田鈍翁邸で行われたクジ引きを振り返るコーナーの入り口。 写真は「応挙館」 「佐竹本三十六歌仙絵」と対面。 益田鈍翁邸「応挙館」の写真が掲げられた最初の展示室に入ると、応挙館の名前の由来となった円山応挙筆の襖絵や、佐竹侯爵家が絵巻物を納めていた蒔絵の箱、クジ引きに使われた道具などが並んでいる。 解体前に古筆研究家の田中親美が木版刷りで制作し、各購入者や皇室などに贈られたという「佐竹本」の摸本は、絵巻物だった時の姿を伝える貴重な資料だ。 また、この展示室には「佐竹本」のクジ引きから10年後の1929年(昭和4年)、京都・本願寺が所蔵する「三十六人家集」から分割・売却された「貫之集下」「伊勢集」の断簡も並ぶ。 この時もやはり益田が相談役となり、応挙館とは別の建物が会場に使われたという。 今日ならコストカッターならぬ「絵巻カッター」「古筆カッター」などという異名が益田に奉られそうだ。 「佐竹本」2巻を納めていた蒔絵の箱。 左奥はクジ引きに使われた竹筒を仕立て直した花入 開幕時点で24件。 圧巻の展示空間 いよいよ「佐竹本三十六歌仙絵」と対面。 巻頭の「住吉大明神」(東京国立博物館 全期間展示)と歌仙絵は、1件ずつ茶室を思わせる落ち着いた色調の壁に掛けられている。 絵巻物としては大きい部類なので、ガラス越しでもよく観察できるが、混雑していなければ単眼鏡で拡大して眺めることをおすすめする。 なぜなら「佐竹本」の歌仙絵の見事さは、歌仙の肖像表現の細やかさにあるからだ。 顔の表情、まなじり、朱を点じた唇など、生々しいほどにリアル。 展覧会を担当した京都国立博物館の井並林太郎研究員は、報道内覧会に先立つ説明会で「佐竹本は歌仙絵の最高峰と言われるが、歌の詠まれた心とか情というものが肖像表現の中に巧みに描かれているのが他の歌仙絵と一線を画しているところだと思う」と指摘した。 たとえば藤原敏行。 古今和歌集の有名な一首「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」の内容そのままに、ふと振り向いたさまを描いている。 井並研究員は「冠の垂纓(すいえい=冠の後ろに垂らした部分)が大きく揺れ動き、肩も上下に動く。 佐竹本の歌仙絵の中でも動きのある一幅。 この和歌を詠んだ敏行の心に近づける表現がなされている」と解説した。 右:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 紀貫之」 広島・耕三寺博物館 全期間展示 左:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 藤原元真」 文化庁 全期間展示 所蔵者が美意識を注いだ表具も見どころ 展示室に並んだ歌仙絵を見渡すと、表装の美しさも目を引く。 作品を入手した人物は、それぞれに趣向を凝らして掛け軸に仕立てた。 古い裂(きれ)を使い、とりわけ坂上是則の「み吉野の山の白雪積もるらしふるさと寒くなりまさりゆく」は、吉野の山に積もる白雪を想像した歌の内容に合わせ、室町時代の作と思われる雪山の絵を切り取って歌仙絵の表装に用いている。 今回の展覧会図録は、表装も含めて撮影した画像と、断簡の本紙だけの画像を2種類掲載。 貴重な文化財の分割という痛恨の出来事とともに、「佐竹本」を入手した人物がみずからの美意識を賭けて表装をほどこし、いつくしんできた行為もあえて排除せず伝えている。 ところで今回、所蔵者の意向を尊重して報道内覧会における撮影はもちろん、メディアに掲載する画像を提供することも不可とされた歌仙絵が、開幕時点における展示24件中、10件にのぼった。 ミュージアムショップで買える絵葉書も、図像の使用が許可されたわずかなものに限られる。 しかし展覧会図録(税込み3000円)には、出品が実現した31件すべての画像を掲載。 井並研究員は「分割から100年経った2019年時点の状況が、かなり正確に記録されているのではないか。 50年、100年と(研究などに)使っていただける図録になったと思う」と述べた。 左:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 源公忠」 京都・相国寺 全期間展示 右:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 壬生忠峯(みぶのただみね)」 東京国立博物館 全期間展示 右:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 清原元輔」 東京・五島美術館 展示期間:~11月4日 左:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 藤原兼輔」 全期間展示 所蔵者が変わらなかった歌仙絵も 数奇な流転に目が向けられがちな「佐竹本」だが、最初にクジ引きで購入した時から所蔵先が変わらなかったものもある。 十五代住友吉左衛門友純(ともいと)が入手した「源信明(さねあきら)」は住友家に受け継がれ、現在は住友コレクションを保存展示する泉屋博古館(京都市)が所蔵。 野村徳七が入手した「紀友則」は野村美術館(京都市)に所蔵されている。 この2件は2人の写真、愛蔵した茶道具とそれぞれセットにして展示し、その審美眼も紹介している。 重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 紀友則」 京都・野村美術館 全期間展示 また、戦後まもなく「藤原仲文」を入手した実業家・茶人の北村謹次郎が1964年(昭和39年)、自身の還暦記念の茶事で一度だけ用いた際に取り合わせたという、景徳鎮窯の「青花高砂花入」(重要文化財)を再現した一画も。 どちらも現在は北村美術館(京都市)に所蔵されている。 第4章「さまざまな歌仙絵」では「佐竹本」と並ぶ歌仙絵の名品とされる「上畳(あげだたみ)本三十六歌仙絵」(鎌倉時代・13世紀)をはじめ、鎌倉~室町時代の代表的な歌仙絵の類例を紹介。 第5章「鎌倉時代の和歌と美術」では、武士が台頭した時代にもなお絢爛たる文学・美術作品を生み出した王朝文化を重要文化財「西行物語絵巻」(展示は11月10日まで)、西行筆の国宝「一品経和歌懐紙」(同)などの名品によって示す。 最後の第6章「江戸時代の歌仙絵」は土佐光起、鈴木其一(きいつ)などの筆による三十六歌仙の屏風3件(全期間展示)を並べ、江戸時代に至っても画題として好まれ続けていたことを伝える。 報道内覧会だけではとても時間が足りず、早々に買っておいた前売り券で開幕初日に再び訪れた。 午前11時過ぎに入館し、閉館時間の午後6時ぎりぎりまで。 昼食や休憩を除いても、展示室にたっぷり5時間いた計算になる。 こんなに長居をする観客は主催者にとって迷惑かもしれないが、展示替えを待ってぜひもう一度、眼福を得るために秋の京都まで出かけたい。 その代替として、休館日の11月18日(月)を特別に開館。

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情報|京都国立博物館「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」2019/10/12~11/24[京都]

佐竹 本 三 十 六 歌仙 絵 と 王朝 の 美

二巻の絵巻物が37枚に切断された歌仙絵が集結するという京都国立博物館の特別展『佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』を観てきました。 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」 京都国立博物館 2019年10月12日(土)~11月24日(日) 《佐竹本三十六歌仙絵》全37件のうち、過去最大31件集結! 三十六人の優れた和歌の詠み人「歌仙」を描く、鎌倉時代の名品『佐竹本三十六歌仙』。 かつて二巻の絵巻物だったこの作品は、大正8年 1919)に一歌仙ずつに分割され、別々の所有者のもとに秘蔵されました。 離れ離れになった断簡31件が一堂に会します。 そんな心配はまったく必要なく、前に進みながらその面白みを浴びるかのような素晴らしい展示方法で美しい絵巻物の世界のような美しい展示でした。 だけに終わらず、この拝観日記をまとめていくと、構成の素晴らしさを気づきました。 本題「佐竹本三十六歌仙絵」が第3章に。 もうここで大正時代の大事な絵巻が分割されることも大きく展示されます。 しかし第6章まである。 第3章で大きな山が終ったかのようですが、第1章から第6章まで「佐竹本三十六歌仙絵」の飛鳥時代から江戸時代まで流れるように歴史となっていました。 そして江戸時代の主流な絵師に繋がっている。 それほど「佐竹本三十六歌仙絵」は偉大な存在のものであると。 実際に観たときも、最後が鈴木其一筆「三十六歌仙図屏風」で締めくくられたのに出会い、はるかかなたの時代のものでなく繋がっていたことを目にしたようで震えた。 そんな特別展を拝観日記に残したいと思います。 記念撮影スポット 「重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 坂上是則」 目次• 三十六歌仙 歌人・藤原公任の『三十六歌仙』に選ばれた三十六人の優れた歌詠み人。 柿本人麻呂や小野小町、在原業平など飛鳥時代から平安時代に活躍した歌人が挙げられています。 三十六歌仙〈上巻〉 柿本人麻呂 凡河内躬恒 大伴家持 在原業平 素性法師 猿丸大夫 藤原兼輔 藤原敦忠 源 公忠 斎宮女御 源 宗于 藤原敏行 藤原清正 藤原興風 坂上是則 小大君 三十六歌仙〈下巻〉 住吉大明神 紀 貫之 伊勢 山辺赤人 僧正遍照 紀 友則 小野小町 藤原朝忠 藤原高光 壬生忠峯 大中臣能宣 源 重之 源 信明 源 順 清原元輔 藤原元真 藤原仲文 壬生忠視 中 務 佐竹本 鎌倉時代以降多く描かれるようになった歌仙の肖像を歌仙絵といいます。 『佐竹本三十六歌仙』は旧秋田藩・佐竹侯爵家に伝わったことから「佐竹本」と呼ばれます。 歌の意味に寄り添って歌仙一人一人の表情や姿勢に微妙な変化を加え、詠んだ人物の心情さえ感じさせる肖像表現が、他の歌仙絵や同時代の肖像画に比べて大きく優れています。 その美しさは、一歌仙ごとの断簡になっても損なわれておらず、まさに歌仙絵の最高峰といえます。 その上に、 表具の模様が帯のようにかかっている表紙となっています。 図録も佐竹本三十六歌仙絵となっていて 何とも素晴らしい表現。 中も、 歌も、現代訳も、歌仙絵だけでも 表装された全体像でも、しっかり納められています。 音声ガイド ナビゲーター 瀬戸麻沙美さん アニメ「ちはやふる」より 音声ガイドスペシャルトラック 綾瀬千早役 瀬戸麻沙美さん 宮野真守役 真島太一さん 特別収録 ・「巻物切断」当日の目撃者のお話 ・佐竹本三十六歌仙絵「在原業平」の障壁画のお話 今回の音声ガイドは、機械が足りなくなり借りるのに待ち時間がかかるということがありました。 音声ガイドも人気であったのだと思います。 第1章 国宝(三十六人家集)と平安の名筆 平安貴族の生活や儀礼を彩った和歌は、仮名文字の発達により、美しい料紙に記された造形美としても鑑賞された。 国宝 三十六人家集 重之集 京都・本願寺 料紙装飾の傑作 三十六歌仙の人物ごとに和歌を記した冊子で、贅を尽くした料紙装飾がページごとにきらびやかな世界を展開します。 平安貴族の三十六歌仙への憧れが伝わる名品中の名品。 大事なことは、人麻呂像こそ優れた歌人の姿を描いた先例であり、後の時代に歌仙絵を数多くつくられる展開を導いたと考えられるということである。 重要文化財 柿本人麻呂像 性海霊見賛 詫磨栄賀筆 東京 常盤山文庫 柿本人麻呂像 伝中御門宣秀賛 伝藤原信実筆 京都国立博物館 重要文化財 維摩居士像 京都国立博物館 上から2つの柿本人麻呂の肖像画は、筆・紙を持たず、脇息にもたれかかって画面左方を見る。 上から3つめの維摩居士の肖像画の姿勢とは左右反転でよく似ています。 住吉蒔絵硯箱 住吉明神は和歌の紙として崇められてきた。 もともと上下二巻の絵巻として伝わったこの作品は、大正八年(1919)、一歌仙ずつの断簡に分断されてしまう。 絵巻切断• 大正に入り 「佐竹本三十六歌仙絵巻」が売りに出されるが、あまりに高額のため買い手がつかず、海外への流出さえ危ぶまれる。 経済界の中心人物、増田孝(号・鈍翁)を中心に、 絵巻を一歌仙ずつに切断し、共同購入する方針を決定。 37枚に切断された歌仙絵をそれぞれ誰が購入するのかは、 くじ引きで決められる。 益田孝(鈍翁) 「佐竹本三十六歌仙」分割の主導者である益田孝(号・鈍翁)は、旧三井物産を設立し、日本経済新聞の前身、「中外物価信報(中外商業新報)」を創刊するなど、近代日本経済界の重鎮でした。 茶人として、また古美術の蒐集家としても名高く、国宝「源氏物語絵巻」(現・五島美術館)をはじめとする名宝を数多く所有していました。 応挙館 「佐竹本三十六歌仙」分割の舞台となった鈍翁の邸宅。 当時は東京・品川区御殿山に所在。 「応挙館」という呼称は、円山応挙が描いた障壁画で飾られていることに由来します。 くじ引きが、応挙の障壁画がある邸宅で行われたということでしょうか。 表具 分割された歌仙絵は、それぞれの所有者によって趣向を凝らした表具を施され、掛け軸に仕立てられました。 「佐竹本三十六歌仙 坂上是則」は、鹿の住む雪山を描いた中世の絵画を切り取ったものを用い、歌と肖像が一体となって季節感を演出されています。 表具は、刺繍があったりそれぞれ違いがあったので、とても興味深く観せて頂きました。 中でも、雪山の「坂上是則」と、扇の模様で本願寺の能装束を転用したとも伝えられる「紀貫之」。 背景が描かれていない肖像の表情だけの歌仙絵と和歌の紙を飛びだした表具で雪山があったのを確認した瞬間、その歌仙絵を大事に活かし楽しむ、その心に豊かさ広さに本当に震えました。 扇もその織りの良さは輝いていました。 いかにその歌仙絵を大事に想われてのことか伝わってくるようでした。 月丸扇文蒔絵物箱 「佐竹本三十六歌仙」二巻が納められていた箱 籤取花入 佐竹本断巻式に用いた籤取りの竹筒を一重切花入に仕立て直したもの 重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 柿本人麻呂 鎌倉時代 13世紀 東京・出光美術館 別格の「歌聖」、柿本人麻呂 柿本人麻呂は三十六歌仙に選ばれるより古くから多くの尊敬を集めた別格の歌人です。 「人麻呂影供」という歌会も有名です。 本図は、男性歌人の中では最も高い値がつけられました。 重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 素性法師 鎌倉時代 13世紀 「僧侶」を引き当てたのは? 「佐竹本」分割を主導した益田孝は、くじで僧侶を引き当ててしまいます。 一番人気の「斎宮女御」を引き当てた人物がこれを譲ることになりました。 くじで引き当てた人にスポットが当たっていたとなれば、どのような内容のものなのかとても興味があるところ。 それが、描かれているのは僧侶であるけれど、歌は女性の立場から詠まれたものだそうです。 和歌は立場を置き換えて詠む楽しみもされたとのこと。 重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 小大君 鎌倉時代 13世紀 奈良・大和文華館 華やかな十二単をまとう女性歌仙には人気も集中し、「斎宮女御」、「小野小町」に次ぐ高額な評価が与えられました。 十二単の女性歌仙の前は、やはり現代でも大人気で熱気がちがいました。 重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 源信明 鎌倉時代 13世紀 京都・泉屋博古館 100年愛され続けた「家宝」 流転を繰り返した佐竹本の各断簡ですが、最初の所有者の家を離れないまま100年の時を過ごしたものもあります。 本図は十五代住友吉左衛門友純(号・春翠)が入手したのち、流出することなく今日に伝えられました。 重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 藤原高光 大阪 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館 最初の所有者、その後箕面有馬電鉄(阪急電鉄の前身)の創業に関わり、宝塚歌劇団や東宝映画を設立した小林一三の手に渡り、逸翁美術館所蔵に至る。 小林一三さんのお名前を発見して、佐竹本そして籤引きがより現実に近く想像できるように。 そして所有し続けられるということの大変さも知ったのでした。 第4章 さまざまな歌仙絵 歌仙絵は、佐竹本のほかにも白描のものや彩色のもの、愛らしいものや凛としたものが残されている。 本章では、鎌倉・南北朝時代の歌仙絵から代表的なものを紹介。 何がちがうかは、人物が上畳に坐す姿で描かれています。 第5章 鎌倉時代の和歌と美術 鎌倉時代には、『新古今和歌集』から『続後拾遺和歌集』まで、九本もの勅撰和歌集が成立している。 さらに、古筆、装飾料紙、物語絵巻など質の高い王朝美術が陸続と生み出されており、歌仙絵もそのひとつであった。 重要文化財 公家列影図 ズラッと束帯姿の公家五十七名の坐像を上下二段に描かれています。 一瞬は同じように見えますが、大臣初任の配列となっているようです。 第6章 江戸時代の和歌と美術 室町・桃山時代には、神社に奉納する額に三十六歌仙を描く例が増加する。 それらの中には、狩野派など今日に名を残す絵師の作品もみられた。 そして江戸時代の三十六歌仙絵は、土佐派、狩野派、琳派といった主要な流派の絵師たちが手掛けるポピュラーな画題でありつづけた。 その基底にはいつでも、華やかな王朝文化と三十六歌仙への憧憬があったのである。 三十六歌仙図屏風 鈴木其一筆 酒井抱一の弟子の鈴木其一。 三十六歌仙をひとつの画面中に群像として描く。 色鮮やかで華やかでした。 さすが琳派という感じで最後に締めくくりに感動したのですが、それだけ「佐竹本三十六歌仙絵」のものが引き継がれてきているということ。 佐竹本の存在の大きさを思い知ったのでした。 巻物切断という決断も大きなことですが、日本に「佐竹本三十六歌仙絵」が残っていてくれることになった。 これからもどのように引き継がれてゆくのでしょうか。 ネットでも仏具販売を「法輪堂ドットコム」としてしています。 プロフィール写真は店主。 拝観日記はヨメが書いております。 関連する記事• 2008. 21 奈良国立博物館の特別展「西国三十三所 観音霊場の祈りと美」の 観覧が終わり売店・出口に方向に歩いていくと、 「写真と仏画で巡る 西国三十三所展」があり[…]• 2008. 17 奈良国立博物館の特別展「西国三十三所 観音霊場の祈りと美」へ行きました。 すると、入り口近くの池に植えられていました。 以前は、確か何も植わっていなか[…]• 2017. 29 快慶展と聞けば、やはり観ておきたいと行ってまいりました。 美しいだけでなく知識や信仰心や同じ思いの人々があった部分に触れられた特別展でした[…] アーカイブ• メタ情報•

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