俺ガイル 最終巻 挿絵。 やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14

【俺ガイル13巻】感想・ネタバレあり 雪ノ下雪乃の最後のお願い|俺の人生二次元に捧げる!

俺ガイル 最終巻 挿絵

12巻、楽しませていただきました! いったい、いったい誰が表紙を飾るんだろう…ワクワクしながら待ってましたが… いやあ、今までと比べるとずいぶんと大人びてますね 可愛いと美しいが入り混じっているこの表紙、まったくもって素晴らしいですね• やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 12巻 あらすじ紹介&購入前雑談 たとえ、その選択を悔いるとしても バレンタインデーのイベント、水族館での雪の日を経て、自分たちが踏み出すべき一歩を定める八幡たち。 そんな奉仕部に、ある大きな依頼が持ち込まれる。 その依頼に対して、今までとは違ったやり方で取り組むのは、三人にとっては自然な流れのはずだった。 たとえ、その選択を悔いるとしても。 時間の流れがいつか自分たちを大人にするのかもしれない、出会いと別れを繰り返して 人は成長するのかもしれない。 雪乃、結衣、八幡。 それぞれの想いを胸に抱えながら、各々が選択する「答え」とは。 新たなる青春群像小説、物語は最終章へ。 シリーズ12巻。 あらすじからして、もう、鳥肌ものにゾクゾクしますね 後悔すると分かっていても、その選択をしてしまう 後でどれほどに苦い後悔が待っていたとしても、選んでしまう そのどうしようもない衝動こそが、青春であり若さなんでしょうね 年老いれば、後悔すると分かっていれば「やらない、選択しない」というのもありえますから 俺ガイルは、どのキャラも好きだから、どのキャラも幸せでいてほしい 衝突や摩擦で、傷つかないでほしい でも、それだけじゃないんですよね 今までとは違う自分になるためには、色々ある たしかに、それが成長であって、そんな瞬間が青春なんだろうな…と なんだか、あらすじを読んでいるだけでポエミーな気分になってきますね いやあ、今までも時折熱い展開を見せてくれましたが、今回も青春させてくれそうです もう学生には二度と戻れないおっさんも、楽しみにみさせてもらおうと思います 最終章…ではあるけど、最終巻…ではないんだよね? と そんなことだけ心配しながら、発売日を待とうと思います やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 のアニメ 第一期、第二期ともに全部見られます! 各キャラの声が脳内再生できるようになって原作読むとね 一味も二味も変わって広がりを楽しめます! 特にやっはろー&いろはす! まだ見てない方は、をぜひご利用ください! 月額325円! あわせてお読みください 最新刊の発売日が決定しましたっ! お見逃しなくっ! 新刊を発売日順にならべて購入リストにしました! 他作品の感想を見る際にご利用ください 俺ガイルの二期も、もう2年前か… 待ちわびたような、あっという間だったような不思議な感覚ですね アニメ化したライトノベル一覧も、あわせてお楽しみください blackgamer.

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『俺ガイル』14巻 感想・考察 だから青春は「本物」を求め続ける

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それにしても由比ヶ浜さんのおだんご周りはどうなってるのかちょっと謎ですよ。 ピロリンとお団子から出てるのはリボンと言う訳では無いのかね。 結衣はアニメと原作挿絵で眼の色が違うのでちょっと印象が変わるのね。 ハニトーとバースデーとバレンタインがいっぺんにやってきたガハマさん。 5巻のお団子ペアに小町を加えてみる。 5巻で出た時は厄介そうなキャラかと思ったけど、 予想以上にいいキャラだったので今後も奉仕部に関わって欲しいと思いました。 亜麻色の地毛ということですが、思ったより茶髪だったかなと。 伏線もたまってるし、9巻では本格的に話に絡んでくれるんじゃないかと期待です。 いよいよ9巻発売直前ですが、3の倍数巻と言うことで 今度こそスッキリさせてくれることに期待します。 袖とかも修正。 8巻では八幡的にマイナスな役回りでしたが、 個人的に(中学時代のことは擁護出来ないとしても)それほど悪印象は無かったので、 9巻での再登場でフォローがあって良かったですよ。 今後は、八幡定義のハードルの高い「友達」になるのは難しそうですが、 それな りにニュートラルに話せる知人になってくれればと思います。 どうでもいいけどこの位置関係だと八幡正座してそうですよ。 pixivでこの絵を元にSSをでっちあげてみました。 わしわしわしわし。 わしわしわしわし。 そうだな。 世界一可愛いよ」 「わぁー、適当だなー」 総武高校に合格した小町を描いてみました。 本編は2年生3学期末で完結かも知れませんが(あくまで仮説)、エピローグとか番外編とかでも高校生小町が見れるといいなと。 (八千代さん食い) 6. 5巻のクリパが楽しみです。 5巻クリパ話を読んで浮かんだイメージを そのまま絵にしてみました。 10巻発売まで1ヶ月ちょいなので楽しみですよ。 わしわし。 その、なに、せっかくだし。 これ、どうかな?」 (う、かわ…、いやいや…。 それにしてもなんだこれ、お団子ヘアに異様にフィットしてる) 「えーと、まあ、似合ってるんじゃないか?」 「えへへー、そう?」 「あー、でも、羊ってオスの角は大きいけどメスの角は小さくてまっすぐだとか何かで読んだような気もするな」 「え、嘘。 じゃあこれって男の子用ってこと?」 「男の子用…、いや戸塚用か。 …有りじゃないか。 むしろ戸塚専用じゃないか!?」 「もー、ヒッキーったら…。 でも、だったらこれって女子が付けるのは駄目なのかなあ」ショボン 「う、でもまあ、さっきの話も適当なウロ覚えだし、俺も別に動物博士じゃないし、羊の種類によるかも知れんし、その、可愛ければいいんじゃないか?」 「え、か、かわいい?」カァァァァァ (し、しまった…)カァァァァァ … … … あけましてやっはろー! そんなわけで明けガハマさんです。 今年もよろしくお願いします。 おまけ iPad用スライタスペンを買ったので描いてみた落描きです。 前回描いた漫画の1コマが妙に気に入ったので、 枠外まで描いてみたものです。 5巻絵ということで簡易人間炬燵な結衣・雪乃・いろはを描いてみる。 八幡があのまま結衣に人間炬燵に誘われる展開も見たかったですが、 普通に照れて断るだけでしょうね。 ペン入れした後で、ブランケットってもうちょっと大きくて 足が隠れるのが正解じゃないかと気付きました。 これじゃマフラーくらいですよ。 なんという圧迫面接。 八幡に追いつこうと頑張る結衣と、距離感に戸惑う八幡という、 2人の関係性がよく出ていてイイですね。 二十音声っぷりが良かったです。 パートナーシップがシナジー効果でウィンウィンだね。 3人でやっとこさ仲直り出来て、嬉しくてはっちゃけちゃったんだろうけど、昨日の今日でいつの間に貼ってたんだよ結衣。 やっぱり昼休みか? 笑 1期ラストで雪乃に叱られてたのにねえ。 ところでエンドカードは2期のかっちりしたSDもいいですが、1期のゆるゆる絵も割と好きだったりします。 原作ではエプロンを付けてるかどうか分からなかったのでナイスでした。 「寝てるのかー」はカットだったけど、まあいーや。 前に雪乃がプレゼントした「ふわふわぽわぽわした頭の悪そうな」エプロンなあたり ポイント高いですね。 ところで1期6話を見返してみると、 このリボンって最初からエプロンの方についてるんですね。 」のガハマさん八結本 「やはり俺の天気予報はまちがっている。 」の表紙絵と中身のサンプルです。 他に既刊の創作漫画本「美術部ゆーれー」(1〜6巻+番外編)、 「TELぱしぃ」を持っていきます。 当日はどうぞよろしくお願いいたします〜。 」の裏表紙絵です。 」の 書店委託の取り扱いが始まったようですのでお知らせします。 ヒッキーくん?」 「マ、ママ!?、 い、いや、べ、別にそういうわけじゃ……、って、いつから聞いてたの!?」 「え〜と、『あっ、ヒッキー? 今ちょっといい?』、ってあたりから?」 「最初からじゃん! ママのバカーーー!」 俺ガイル続BD特典小説「o」ネタバレ…、には特になってないかなと。 「o」に由比ヶ浜マ出てこないし。 どっちかと言うと「干物兄!八幡ちゃん」(ヒモ兄)の方が合ってそうな気もしますけど。 うまるちゃんは6話くらいから見始めたので序盤を見ていないのですが、惜しいことをしました。 前回の干物小町絵を描いた時に、「干物兄の方が合ってそう」と思ったので描いてみました。 はやっぱり平塚先生だなと思いました。 雪乃と結衣といろはを干物にしてみる。 あまり干物成分は無い人達な気がしますが、せっかくだし。 どの色がいいか迷ったので結局3パターン作ってしまいました。 」の表紙絵です。 」のとらのあなさんでの委託が始まりました。 以前書いたSSを元に漫画化したもので、 居眠りしている八幡の隣でガハマさんがひたすらニヤニヤしたりプンスカしたりラブラブしたりと百面相する話です。 」の書店委託について、 COMIC ZINさんでの取り扱いも始まったので、あらためてお知らせします。 夏コミで出した俺ガイル八結本 「やはり俺の天気予報はまちがっている。 」も 在庫があります。 」 の他、過去の創作漫画本 「美術部ゆーれー」シリーズ等も 在庫があります。 ウェーイ! 続EDの小町いいですよね。 本編でも高校生小町をちょっとでも書いて欲しいですねえ。 r」 (anotherシリーズ)のネタバレショートマンガです。 「r」ラストからの話です。 (前に描いた「俺ガイルrネタバレマンガ」に描き下ろし漫画を足して本にします) 昔描いた絵2枚と合わせて 「だんだん距離が近づく八結後ろ姿三部作」とか言ってみたりして。 表紙込み12ページの超薄い本です。 他の既刊「やはり俺の天気予報はまちがっている。 」「おやすみヒッキー。 」「美術部ゆーれーシリーズ」と、俺ガイルイラストのポストカードも持って行きます。 この絵を元にSSを書いてもらったりしています。 描いていて12巻の時に描かなかったか理由を思いだしました。

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【冴えカノ】13巻でついに恵ちゃんと安芸くんが…!?最高に胸がキュンキュンするメインヒロインが、まさに目の前に!

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言葉への批判意識 言葉一つじゃ足りねぇよ。 本音も建前も冗談も常套句も全部費やしたって、伝えきれる気がしない。 そんな単純な感情じゃない。 たった一言で伝えられる感情が含まれているのはまちがいない。 けれど、それを一つの枠に押し込めれば嘘になる。 (中略) こんな言葉でわかるわけない。 わからなくていい。 伝わらなくても構わない。 (渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 398より) この 言語への批判意識が、『俺ガイル』の 核心部分だと思います。 疑り深い人は 「言葉」の裏を読みたくなる。 すると人の心理が見えた気がして、その人を「知った」気になる。 そうして人を「知る」と今度は心理だけではなく感情が伝わってくる。 そうするともう「うわべ」だけでは我慢できない。 だからこの終わり方は、結果だけ見れば当然の帰結だとは思います。 しかしここまでの筆致で、リアルな等身大で、絶妙な「青春ラブコメ」を書いた作品が他にあったでしょうか? 私はないと思います。 だから私は『俺ガイル』が本当に素晴らしい作品だと思っています。 今読み終わったところなので、考えもまとまっておらず、一発書きなのですが、いまここで感じていることをメモさせてください。 「言葉」という殺害行為 言語化というのは、基本的に 殺害行為です。 ある感覚、ある感情を言葉にすると、 その感覚や感情はある意味死にます。 例えば、「犬のふわふわした温かみのある触感」と書いたとき、読み手はリアルな毛並みや体温を想像するでしょうが、そこにあった本当の犬の感触を言葉だけで完全に再現することはできません。 そのように、 本当にそこにあったはずのリアルな「感覚」というのは、言葉で完全に再現することは不可能です。 だから言葉はその意味で 「殺害行為」だと言えます。 他にも例えば、「彼と彼女は恋人だ」と言えば、聞き手は各々の想像する 「恋人」という概念にその二人をおしこめるでしょう。 「恋人」は「普通」デートをするとか、キスをするとか、そういう 「恋人」という言葉の枠に二人を当てはめようとするでしょう。 でも、実際には二人はもっと特殊な関係かもしれません。 「普通の恋人たち」のようにデートはしないかもしれない、キスもしないかもしれない、傍から見れば仲が悪く見えるかもしれない…… そういう独自の関係性は、「恋人」という言葉に押し込めた途端に捨象されてしまいます。 関係を名付けてほしくなかった だから、『俺ガイル』では「普通に」告白してほしくなかった。 「普通の恋人」になってほしくなかった。 なぜなら、 『俺ガイル』で求められている「本物」というものは、言葉にできない関係性、言葉にしがたい関係性だと思っていたからです。 端的に言えば、いわゆる「誰々エンド」というのは 全くナンセンスだということです。 なぜなら「誰々エンド」という言葉で語れるくらいの関係が 「本物」のはずないからです。 八幡は絶対にそんな関係を選び取らないからです。 実際、彼らが得た関係はそんな 既存の言葉に簡単に当てはめることのできないものでした。 その証拠として、例えば一色に「お二人はどういう関係になるんですか」と聞かれたときに、「どう、なるんですかね……」、「こういうのは説明が難しいのだけれど……」と 雪乃と八幡が逡巡している場面が挙げられます。 これは照れ隠しなどでは決してなく、 言葉で説明できない関係性だということを2人も自覚していたからだと考えられます。 また、嬉しかったのは 由比ヶ浜もそのような2人の言葉にならない絶妙な関係を察知していたという点です。 由比ヶ浜はラストで「あたしの好きなひとにね、彼女 みたいな感じの人がいるんだけど」と、 「みたいな」と言っていて、彼らの関係が はっきりと「彼女」という言葉にできるものではないと察していると考えられます。 以上のように、 言葉に批判意識をもちながら、言葉にならない関係性を、「本物」を、彼ら彼女らが求めていたということを確認できた点が、最終巻で本当に良かったと思える点でした。 『俺ガイル』は共同体論である 私は『俺ガイル』は 共同体論だと思います。 人と人がどれほどの関係を結べるか、どこまで深く付き合えるか、人と人との間にどれほどの可能性があるのか、それを真摯に探究したのが『俺ガイル』だと思います。 だから、彼ら彼女らが最後まで彼らなりの「本物」を求めていたことが、私にとっては救いでした。 その点で、最終巻は本当に良かったです。 「舞台装置」? それに加えて良かったと思ったのは、陽乃の扱いです。 『俺ガイル』でずっとネックだな、と思っていたのは陽乃の扱いでした。 彼女だけが少し浮いていて、彼女だけがずっと 舞台装置っぽいなという感じがしていたからです。 「舞台装置」というのは、 陽乃が作品の都合のいいように「アンチテーゼ」として利用されていた感が大きかったということです。 しかしそれも最終巻を読み、さらに考察を深めていくことで かなり解消されたように思いました。 人間味のある陽乃 というのは、最終巻ではとくに陽乃が舞台装置ではなく、 一人の人間として機能していたと思ったからです。 「ちゃんと決着つけないと、ずっと燻るよ。 いつまでたっても終わらない。 わたしが二十年そうやって騙し騙しやってきたからよくわかる……。 そんな偽物みたいな人生を生きてきたの」 (渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 289より) このあたりに陽乃の 人間味が垣間見えていました。 しかし単純に人間味のあるところが描かれたから良かったというわけでもなく、むしろこれで、陽乃の 人間としての「底」がある程度見えてしまったという感じがしなくもありません。 というのは、これだけだと陽乃が 「うわべ」の代表格、あるいは 捻じ曲がったシスコンというふうに読めなくもないからです。 陽乃=「うわべ」の代表・捻じ曲がったシスコン 1. 「うわべ」の代表 「うわべ」の代表格というのは、 『俺ガイル』において陽乃は強化外骨格みたいな「うわべ」を駆使して、「うまくやって」生きてきた人間の代表として描かれているということです(ただもちろん彼女には「裏の顔」もあってそれゆえに彼女は苦悩しているわけですが)。 陽乃は父親の仕事を手伝う過程で、 「うわべ」をうまく使って人と良好な関係を結び、また、その 「うわべ」によって何でもできる「雪ノ下陽乃」像を構築してきたのだと考えられます。 ここにひとつ陽乃の 「底」があります。 つまり、陽乃がそうした「うわべ」だけで生きてきた人間なら、彼女は ある意味で「偽物」の人生を歩んできたわけで、そういう意味で、 陽乃は八幡の言う「本物」に近いものにすら触れたことがないと考えられるからです。 <追記 2020. 14> しかしむしろここに陽乃が「本物」を求める理由があるわけで、このことによって陽乃はより舞台装置ではなく一人の人間として描かれていると今では考えています(詳しくは参照)。 捻じ曲がったシスコン 「捻じ曲がったシスコン」というのは、陽乃が雪乃のためにわざと嫌がるような行動をとり続けているという読み(解釈)のことです。 この解釈では、陽乃には、自分の通る道を綺麗にたどる雪乃を本当にかわいいと思いながらも、 彼女に違う道を歩んでほしいという願いがあった、と読むことができます。 あるいは、「うわべ」の人生しか選べない自分を自己批判し、 それとは違う「本物」を彼女も求めていて、その「本物」の夢を雪乃に託したと読むこともできます。 どちらかというと個人的には、 陽乃も「本物」を心の底で求めていた、そしてその実現を雪乃に託したという読みの方がしっくりくる気がします。 <追記2020. 14> 陽乃の雪乃に対する感情はそんな生半可なものではないように今では思います。 なぜなら陽乃は雪乃に「偽物」の人生を突き付けられると同時に、 いわば自分の人生をまるごと否定されたようなものだからです。 だからここの読みは甘いと今は思います。 これについては追い追いアニメ俺ガイル完の考察とともに記事にするつもりです。 「雪ノ下雪乃の救済」というテーマ 雪ノ下雪乃の救済というのが後期『俺ガイル』のテーマでした。 「救済」というのは、9巻で 「いつか、私を助けてね」という雪乃のセリフに起因しています。 「いつか、私を助けてね」とはどういうことか そもそも「助けて」とはどういうことかというと、 依存してしまう自立できない私を助けてねということです(もちろん助けを他者に求めてしまう時点でむしろ依存しているわけですが)。 雪乃が依存体質であることは13巻でも陽乃から指摘がありましたが、1巻から雪乃はそのような面を見せていました。 というより、それこそが 雪乃が奉仕部を創った理由だと考えられます。 雪乃が奉仕部を創った理由 そもそもなんで雪乃が奉仕部を創ったかというと、 依存せず自立したいからだと考えられます。 ただそれはいわば隠された理由(はっきりと書かれてはいない理由)であって、彼女が言葉で言っている理由は違います。 彼女が口で言っていた理由は、「持っているもの」が損をする世界はおかしいから、 「変えるのよ、人ごと、この世界を」というものでした。 ではどういうふうに変えるかというと、 魚の獲り方が分からない人=自立できていない人に、 「魚の獲り方を教える」というやり方で「自立」をうながすのでした。 つまりみんなが 「自立」して、皆が 「持っているもの」に近くなる世界を目指していたわけです。 「持っていない」 ただそれは、 雪乃がある意味で「持っていない」ことの裏返しだと考えられます。 たしかに雪乃は何でもできます。 勉強もスポーツも、容姿も端麗。 そういう意味では「持っている」人間です。 しかし、それは 「依存」の延長線上として得てきたものです。 というのはそれらは 誰かに与えられたものを完璧にやり遂げて得たものにすぎないからです。 では誰が救われたかったのか この点で雪乃は「自立」できていないと言えます。 しかしだからこそ雪乃は奉仕部を立ち上げたと考えられます。 すなわち、雪乃は誰かから与えられたことを完璧にこなすのではなく、 自分から主体的に何かを成し遂げる経験をするために奉仕部を立ち上げたと考えられるのです。 したがって、 人に「自立」をうながしながら、本当に「自立」したかったのは雪乃の方だったのではないでしょうか。 人に救いの手を差し伸べておきながら、本当に救われたかったのは雪乃自身だったのではないでしょうか。 「別のものが欲しかった」 おそらく、生まれてからずっとなんでも完璧にこなしてきた雪乃は、それでも常に自分の上をいって何でもそつなくこなす 陽乃に コンプレックスを抱いていたのでしょう。 というよりも、 陽乃に自分のアイデンティティを奪われてきた(消されてきた)という言い方の方が正確かもしれません。 完璧にやる陽乃がいる、親から必要とされているのは陽乃だ、では自分(雪乃)の居場所はどこにあるのか……と、雪乃はそう考えていたのではないでしょうか。 そうして彼女は 「なんで私はそれを持っていないんだろうって、持っていない自分に失望」した。 だから、「別のものが欲しかった」。 そして雪乃は奉仕部を創った。 姉が持っておらず、自分だけが持っている、 雪乃自身のアイデンティティ、それが 奉仕部だったのではないでしょうか。 そのように奉仕部は、 雪乃が自立してできるのだということを示す証のようなものだったと考えられます。 救済は果たされたか? だから、 雪乃が最後に救済されるのか? ということが『俺ガイル』の1つの大きなテーマでした。 雪ノ下雪乃は「自立」という奉仕部設立当初の目的を達成出来たのか、それが1つの大きなテーマだったわけです。 では14巻で雪乃は「救われた」でしょうか? 私は 救われたと思います。 というのは、 雪乃は彼女の意志で父親の仕事を手伝いたいということを伝えたし、また、 八幡を選ぶという選択もしたからです。 父親の仕事を手伝うというのは、一見陽乃の後追いのようにも思えますが、これは 雪乃の意志だと解釈してよいのではないでしょうか。 というのは別に誰にそうなれと言われたのでもなく、彼女自身が言ったことだからです。 それよりも、「わからない」といっていた雪乃が八幡を自分で選択し、そのことを由比ヶ浜にきちんと自ら打ち明けたことは、 明確な「自立」(誰から与えられたわけでない主体的な選択)と言ってもよいのではないでしょうか。 これも一見すると、雪乃が八幡への依存を深めたように見えるのですが、「ちゃんと言うわ」と自ら気持ちを口にする選択は、依存ではないでしょう。 以上のことから、雪ノ下雪乃の救済という大きなテーマは果たされたと、今のところ私は考えています。 <追記>ここの読みは甘かったと思います。 雪乃は一時的に「救われた」に過ぎないというのが今の読みです。 <追記2019. 26>俺ガイルの結末にある意味絶望している話 わけあって、俺ガイルの結末に絶望しています。 詳しくは以下のツイートをご覧ください。 相変わらず俺ガイルの感想を見たり聞いたりしているのですが、14巻で八幡が本物を見つけたという解釈は、私の解釈から言うと絶対に違うのではないかなと思いました。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 私は「本物」は、そこに究極的に近づくことはできても原理的には到達不可能なものだと思っていて、八幡が最後にたどり着いた雪乃との関係性は、あくまで「本物」までの一過程にすぎないと考えています。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 何も言わなくても分かり合える、その関係性の一形態として、八幡は雪乃の人生を歪める許可をとろうとした。 人生を分け合った。 でもそれはそれでしかなくて、それが「本物」の到達ではない。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 大事なのはむしろその後で、その人生を分け合った関係性で、果たして「本物」に近づけるのかということ。 場合によってはその関係性は、人生を歪められた挙句他者に依存してしまう、まさに「共依存」のような関係へと堕ちてしまうこともあるだろう。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail そしてもちろん場合によってはうまく関係を構築して、「本物」に近づくこともできるだろう。 でも問題は、その「うまく関係を構築する」というのはどういうことかということ。 「本物」に近づくには果たしてどういう関係をもてばいいのかということ。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail ここに、私にはある種の絶望があって、「本物」を担保するものなんてあるのか、ひいては「本物なんてあるのだろうか……?」という疑問にたち戻らざるを得なくなった。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 「本物」なんて、あるのだろうか。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail まとめると八幡たちは「本物」に到達したわけではなく、その途上であるということに気が付いたので、そこにある種の絶望があるという話なのです。 しかしその経過が見事なのであって、またその経過自体を「青春」と名付けることもできるでしょう。 問題はやはりでは「本物」を求めた先に、14巻で八幡と雪乃がたどり着いたその先に何があるのかということです。 例えば人は「恋人」のように親密になっていろいろなことを知った後に互いを嫌いになるということもあるわけで、もちろん八幡と雪乃は「恋人」ではないのですが、では彼らが結んだある種の関係の先にももっと多くの困難が横たわっているのではないかということは思わざるを得ないということです。 終わりの始まり もしも言葉がなかったら、私たちはどういう存在になっているのだろうか。 言葉のおかげで私たちは、現にあるような存在になっている。 言葉だけが、限界で、もはや言葉が通用しなくなる至高の瞬間を明示するのである。 (ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』酒井健 訳 ちくま学芸文庫,2004 p. 470) いささか大げさかもしれませんが、『俺ガイル』はこれに非常に近いところまでいったと思います。 言葉は無力です。 言葉には限界があります。 しかし 言葉はそれが表現しようとするところに究極まで近づき、その当のものを指し示すことができます。 そこに言葉の力があります。 『俺ガイル』が「本物」という言葉で語ろうとしていたことは、そのようなものなのではないでしょうか。 <追記> 後から見返すとかなり甘いところもあったように思います。 甘いところはアニメ3期1話ごとに考察を書きながら、さらに深く考えていきたいと思います。 <俺ガイルの記事一覧> ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・.

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