さよなら を 教え て 歌詞。 山口百恵 さよならの向う側 歌詞

ネタバレ注意「さよならを教えて」とは?鬱すぎる内容とエンディング

さよなら を 教え て 歌詞

自信のない自分を棚に上げて、自分よりも弱っている相手に手を差し伸べる。 自分以外のなにかを救うフリをすることで自分を納得させるんです。 文句なしに面白かったが、なんかもうつらいの一言だった。 人見先生のことが全く他人事だとは思えなかったからである。 このゲームはプレイヤーの名前をデフォルトから変えることができるが、この仕様もそんな効果を狙ってのことだったかもしれない。 物語には結局救いも何もあったものではないが、だからこそゲームと現実の境界を歪める勢いで我々に迫ってくる。 上記に該当する方はご遠慮くださるよう、あらかじめお願い申しあげます。 は、非常に的を射ていると感じた。 以下メモ帳。 厄介なことに、人は自分だけで自分の意味を決めることができない。 私が私であるという保証は対自的には決して明らかにはならず、他者の承認に依存するよりほかにないのである。 だからこそ、学歴や収入といった、社会共通の地位が価値を持つことになる(否が応にも価値を持たされてしまう)。 そこにしか自分の価値を見出せない人間は、一生満たされないか、他者を卑下するかの二択を迫られることとなる。 さて、その、承認をくれる他者を自らによって仮構したところで、それは対自的な承認にすぎず、自己愛の域から出ることはできないだろう。 ゆえに想像の美少女からの承認を得て自己の意味を規定しようとする人見の試みは、破綻せざるを得ないのである。 たとえばお互いに弓矢を向け殺しあうこよりとのシーン。 何度殺しても/殺されてもやりとりは終わることがない。 自己承認の闘争はどこまでも続く。 どうあがいても失敗するこの試みを形だけでも成立させるためには、現実と虚構、自己と他者の線引きがあいまいになる黄昏時=誰そ彼時に留まるよりほかにないために、人見の時間は黄昏の時のなかで止まることになる。 そしてそれが限界に達した時(すなわち、人見が自らで作り出した世界の矛盾に耐えられなくなった時)、彼は仮構された己の意味さえも失ってしまう。 彼が己の意味を得るためには、唯一実在するヒロインであり、重度の鬱病で入院している睦月を現実に救済しなければならない。 だが、睦月の救済は、死体蹴りレベルの皮肉として描かれる(注1)。 人見は先生としての自分の意味を仮構し、「自分よりもかわいそうな誰か」を救済することで自身もかりそめの救いを得ようとするが、重度の鬱で入院していた睦月が病院から出ることができたのは、彼女が「自分よりもかわいそうな人見」を見たからである。 唯一の実在する他者である睦月との会話によって一時的に妄想の世界から脱するきっかけを掴んだ人見は、結局妄想の世界へと回帰することになる。 睦月との最後の会話で、人見は「先生」ではなく「人見さん」と呼ばれるのだが、彼はそれに耐えられず(誰でもない「人見さん」である事に耐えられず)、結局妄想世界のなかで会話を閉じることになる。 そうして現実世界にも、教育実習生として仮構された世界にも居られなくなった人見は、新たにインターンとしての意味を仮構することになる。 実習生にせよインターンにせよ、彼は「先生」と呼ばれることにしか自己の意味を見出せなかったのだ。 そうして世界は黄昏の、自己と他者の境界が曖昧になった妄想世界へと回帰する。 そうして一度は「さよなら」を告げたヒロインたちが再び現れ、「先生!」という声とともに物語は終わりを迎える。 この結末は、どのような道筋をたどろうとも決して変わることはない。 人に怯え、自分自身を憎み、そこから目を逸らすことすらできず、絶対的弱者にすがることでしか自身の意味を見出すことができない。 この話を、単なる不快なものとして受け止められるのならその方が良い。 しかし現実に敗れ、戦うことも逃げ出すこともできなくなり、黄昏時に囚われてしまう人間がいることを、どうか覚えていてほしいとも思うのだ。 書きたいことはたくさんあるけど、とりあえずこの辺で。 以下雑考 ・(注1) この点に関しては、一緒にゲームをプレイさせていただいた先輩からも示唆を受けた。 ・人見は教育実習生を完遂することすらできなかった、というのは記しておかなければならない。 「来週」にあるという彼が受け持つはずの授業は、しかしその「来週」を迎えることすらできず、行われることがない。 彼は自身で仮構した意味をも恐れている。 両親と姉が教師であるというコンプレックスからの強迫観念によって進まざるを得なかった教師の道は、彼にとってはつらく、やりたくもないことであったろう。 実際、教室で睦月相手に授業の練習をする彼の手つきはたどたどしい。 彼は教師を務めることにすらも恐れがあるのである。 だからこそいつまでも、彼は何の責任もない授業前の日付に留まることになる。 ・話の密度がすごい、ライターの技量には舌を巻く。

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ファイナルコンサートのラストを飾った「さよならの向こう側」 百恵はファンにゆっくりと一礼した後、膝をつき、マイクをステージ中央に置き、そうして立ち上がるとそのまま静かに舞台裏へと去っていった。 これは、1980年10月5日… 日本武道館で開催された『山口百恵ファイナルコンサート』の最後の一幕だ。 このときの真っ白なドレスと美しいステージングはあまりにも有名で、一連の所作を含めた伝説は今も多くの人によって語り継がれている。 それ故、この演出だけが独り歩きしてしまい、このとき何を歌っていたのかさっぱり思い出せないという人も多いことだろう。 ステージのラストを飾るべく最後に歌った曲とは「さよならの向こう側」(1980年8月リリース)である。 それは、百恵が歌手として一番に信頼を置いている阿木燿子(作詞)と、宇崎竜童(作曲)によるスローバラードであった。 さて、「さよならの向こう側」で阿木が紡ぎ出した言葉の数々は、山口百恵からファンに向けたメッセージだと語られることが多い。 これに対し異論はない。 この曲は、多くのファンが納得する素晴らしいメッセージソングに間違いないと思う。 けれど、本当にそれだけだろうか… と、僕の深読みアンテナが反応してしまった。 キャンディーズのラストソング「微笑み返し」で阿木は、大ヒットシングルの曲名を歌詞に散りばめるという離れ業をやってのけた人である。 通りいっぺんの解釈とは別に、何か深い意味が隠されていてもおかしくないだろう。 それでは「さよならの向こう側」の歌詞深読みを始めてみよう。 山口百恵が抱えていた孤独と谷川俊太郎の一篇の詩 何億光年 輝く星にも寿命があると 教えてくれたのは あなたでした 季節ごとに咲く一輪の花に無限の命 知らせてくれたのも あなたでした 輝く星とはスター… つまり山口百恵を表していて、寿命=引退という、いつか終わりがやってくることの表現。 また、季節ごとに繰り返し咲く花とは、引退、そして結婚するという、新しい人生への希望だと解釈できる。 ただそれだけじゃないもっと深い意味があるはずだろう? … というのが、今回の僕の見立てである。 輝く星=スターという図式で表すのならば、何億光年という距離を示す歌詞は必要ないはずなのだ。 夜空に瞬く星たちは一見近くに見えるけれど、地球からは果てしなく遠いところに位置している。 阿木は、そこに山口百恵… 総じてアイドルとして活躍するすべての存在と、一般社会の乖離を当てはめたのではなかろうか。 芸能記者に付きまとわれてプライベートが確保できない毎日。 きらびやかな世界だけれど、昼も夜も関係ない芸能生活は精神を疲弊させる。 それはテレビを挿んだ一般社会と比べれば、間違いなく異質な世界であろう。 同世代の女の子に比べ、百恵は孤独だったに違いない。 憂いのある表情が絶品だったのも、裏を返せばそういうことなのだと思う。 谷川俊太郎の処女詩集『二十億光年の孤独』の中にある同名作品に、 万有引力とは、ひき合う孤独の力である という一節がある。 要約すると、人は求め合うことで、不安や弱さを補っている… という詩なのだけど、この谷川俊太郎の詩を文学部だった阿木はきっと知っていた。 そして、この詩の意味するところが百恵の抱えていた孤独とリンクすることに気が付いたのだ。 そこから何億光年という言葉を紡ぎだしたのだろう。 「無限の命」という言葉が持つ裏テーマは? 季節ごとに咲く一輪の花とは、『スター誕生!』からデビューする新人アイドルたちのことである。 百恵が芸能界デビューするきっかけとなった『スター誕生!』は、毎週放送される予選会を勝ち抜いた合格者が、1クール毎(季節ごと)に行われる決戦大会で、事務所やレコード会社に選ばれるオーディション番組だった。 そして、デビューしたアイドルに対して多くのファンたちが生まれゆく様子を無限の命と喩えたのだろう。 そう、ファンは引退してもずっとファンでいてくれる無限の命だと阿木は百恵に伝えたかったのだ。 稀代の作詞家である… それくらい裏テーマ的な意味を盛り込んでいてもおかしくないはずだ。 まさに天才の仕事である。 山口百恵が自らアプローチした作家、阿木燿子と宇崎竜童 日本テレビの音楽番組『スター誕生!』を勝ち抜き芸能界デビューするも、『スター誕生!』の審査員長だった阿久悠からは「歌はあきらめたほうがいいかもしれない」と評され、百恵はさぞかし思い悩んだことだろう。 花の中三トリオとして活躍が期待されたけれども、デビュー曲「としごろ」のセールスが思ったほど伸びなかったのだ。 慌てた事務所は、少女の際どい性を歌詞に盛り込んだ「青い果実」へ路線変更をした。 これは想像だけれども、百恵本人は本意でなかったかもしれない。 事務所の方針に逆らうことなど14~15歳の少女ができるわけがないからだ。 どう考えても恥ずかしかったはずだ。 世間一般が抱いたこの独特な背徳感が百恵をスターに押し上げたのは紛れもない事実である。 その後、映画やテレビドラマに出演、女優として活躍する一方で、百恵は阿木、宇崎夫妻に作ってもらった「横須賀ストーリー」を大ヒットさせた。 この作家陣の変更は事務所スタッフではなく百恵自身からのアプローチだという。 この時から歌手生活後半に至るおよそ4年間、百恵は自分の人生を二人に預けたと言っても過言ではないだろう。 二人が作る百恵の曲は次々とヒットを記録し、そのことからも確かで強固な関係が築かれていたのは言うまでもない。 エンディングで三回繰り返される「さよならのかわりに」の意味 その流れで考えると、百恵は阿木に引退の相談をしたはずだ。 それは、絶大な信頼を寄せる宇崎夫妻に最後の曲を作ってもらいたい希望もあっただろうけど、頼れる大人として阿木を選び、そして内情を打ち明けたに違いない。 引退への決意やそれに至るまでの過程を切々と語る百恵… そんな百恵の思いに阿木は見事に応えてみせる。 だからこそ「Last song for you」(あなたのための最後の歌)という歌詞を並べたのだろう。 これは、百恵からファンへの歌であり、阿木から百恵に贈られたメッセージという二つの意味を示している。 タイトルである「さよならの向こう側」とは、ファンに向けた「さよなら」の向こう側に潜ませた、阿木から百恵へ贈る感謝と門出のメッセージでもあったのだ。 歌詞の最後、三回「さよならのかわりに」が綴られている。 それは、阿木から百恵へ、百恵からファンへ、そして百恵から阿木へのアツい想いだと紐解いたところが、今回の深読みの到達点である。 2020.

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フランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」訳詞

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めちゃくちゃ懐かしいですよね! 涙くんさよならを作詞作曲したのは、さんというソングライターの方! 涙くんさよならって沢山の方にカバーされている名曲なんですよね。 スポンサーリンク 涙くんさよならの歌詞の意味や解釈は? 1 涙くんさよなら さよなら涙くん また会う日まで 君は僕の友達だ この世は悲しいことだらけ 君なしではとても 生きて行けそうもない だけど僕は恋をした 素晴らしい恋なんだ だからしばらくは君と 会わずに暮らせるだろう 涙くんさよなら さよなら涙くん また会う日まで 2 涙くんさよなら さよなら涙くん また会う日まで 君は僕の友達だ この世は悲しいことだらけ 君なしではとても 生きて行けそうもない だけど僕のあの娘はね とっても優しい人なんだ だからしばらくは君と 会わずに暮らせるだろう 涙くんさよなら さよなら涙くん また会う日まで また会う日まで また会う日まで 天までとどけでは1番しか流れていなかったと思うので、私は2番は知りませんでした。 子供の頃は歌詞の意味なんて何も考えずに歌っていましたが、改めて歌詞を見ると、深い深い歌詞ですよね〜。 人生には辛い事も悲しい事もいい事もある、人生いろいろなんですよね。 悲しい事や辛いことが続くと、自然と涙が出てきてどんどんマイナス思考になってしまう。 だけど、いい事も必ずある!! 人生悪い時があれば、いいときもある!! そんなメッセージが込められているのかなと思いました。 人生が思うように上手くいかない時:涙くんに会う 人生が上手くいっている時:恋したあの娘といる 天までとどけのドラマでも、丸山家ではさまざまな問題が起こっていました。 だけど、毎回問題が解決して、丸山家もいい方向に向かっていましたよね! 人生はいいときもあれば悪いときもある、前向きにいきな〜。 そんな応援歌のような感じがしました! 涙くんさよらなの歌手一覧! 涙くんさよならは、沢山の方にカバーされています。 太田幸雄とハミングバーズ• 浜口啓子• JAJAJAH ALL STARS• Emu• ヒッパレオールスターズ• Blue-Eye-Land()• RENE PAULO• まゆのり• 斉藤功• 太田友紀• ()withトンチンカン• 歌って色々な事を感じ、教えてくれる素晴らしいものですね。 涙くんさよならのCD、大切にしたいと思います! 最後までお読みいただきありがとうございました。 スポンサーリンク.

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