君が代 歌詞 の 意味。 ヘブライ語で解き明かす「君が代」

「君が代」の歌詞の意味とは?全歌詞をご紹介、【さざれ石/こけのむすまで】

君が代 歌詞 の 意味

ここ最近、は崇拝の歌ではなく、本当の意味は男女の愛の歌であるというトンデモ解釈を目にします。 君(きみ)とは、の「キ」と「ミ」を表す言葉で、男女を意味しているとのこと。 つまり、君はではなく、誘い合う男女の物語で、日本は男女の愛が育んだ国なのだそうです。 こんなケツの穴が痒くなるような、強引なこじつけは誰にも相手にされないだろうと思っていましたが、つい先日、うちのカミさんが「の君はのキとのミでキミなんだよ〜」と得意げに言ってきたもんだから、 ちょっとヤバいなと思ったわけです。 ネットを覗いてみると、このトンデモ解釈が結構蔓延してて、酷いのは「岐美が代」なんて言い始めてるわけです。 オイオイ、なんか無茶苦茶だな(笑) でも意外と笑ってもいられなくて、「って、とから始まる男女の愛を歌い上げてた歌だなんて素敵じゃな〜い」って、耳障りのいい、大衆受けするような解釈が誤って後の世代に伝わって広がってしまう恐れもあります。 このの男女和合説に影響されたお母さんが、自分の子供にその意味を教えて、小学校の入学式でを歌ってたのは我が子だけだったと誇らしげに綴っていたブログをどこかで見ましたが、何とも痛々しい。 お父さんとお母さんの愛によってあなたが生まれたのよ的なことも書かれていて、もはや国歌でも何でもない、お宅の父ちゃん母ちゃんの愛の歌ですか?って話ですよ。 「きみ」というの語源として、そんな根拠やソースはありません。 和語の「きみ」の語源説欄には「カミと通じる」とあり、「かみ」から派生した近似語であることがわかります。 つまり、「かみ」とは隠れていて目に見えない存在だと言うことです。 古来から日本では、の及ばない自然の見えない力・存在に対して祈りを捧げてきました。 それがのはじまりです。 漢字の「君(くん)」は本来は神と人の間に立って両者を言葉で取りつなぐ者の意味で、後に日本に漢字が入ってきてから、の「きみ」にこの漢字が充てられました。 また「公」「王」「皇」の漢字が充てられることもあります。 「おおきみ」は大君、大王とも書きます。 ちなみに、「君」が敬称や二人称として使われるようになったのは、かなり後世になってからのことです。 そもそも「きみ」がとだと誰が言い出したのか辿ってみたところ、どうやら、ねずさんという善行さんという方のようです。 私のように疑問を持った人が、このことで既に さんに意見を求めていたようです。 その返答が興味深かったので、下記に引用します。 ---------------------------------------------------------- 【善行氏の「」に對する意見】 昨年 平成25年 十一月四日 について、 「きみ」が男女をあらわすという解説は、 私が本邦初の火付け役だったであろうと思います。 ただし、先般、國語研究会でも 発表させていただきましたが、 の「君」は、あくまでを指します。 では「きみ」がなぜに通じるかといえば、 「き=いざなき」「み=いざなみ」であり、 このお二柱の神様が 様の親にあたり、 それが万世一系の 歴代のお血筋にあたられるから、 という解説をしています。 だからこそ千年以上もの時を越えて、 ずっと愛され続けた歌になったと 解説させていただきました。 の 「は戦争礼賛の歌である」 などというデタラメを否定するのに、 歌の深さを題材にして 普及拡散を目的にやさしく解説しています。 ひとりでも多くの人が の美しさ、 日本の素晴らしさに 目覚めることを祈っています。 」 ---------------------------------------------------------- これを読む限り、の素晴らしさを多くの人に伝えるために、万人受けする解説にしたと言っているわけです。 つまり作ったんですね。 でも言い出しっぺの本人ですら、の「君」はを指すと言っています。 日本の国歌、の「君」は「」に他なりません。 のご長寿を願う、万世一系のの御治世が永く続くことを願う歌です。 何故ならは日本の「国体」だからです。 それは時代がどんなに変わろうとも、その時代による人の価値観がどんなに変わろうとも、日本が日本である根拠だからです。 日本の建国は初代の即位であり、それからが続く限り日本はずっと日本なのです。 の「君」は本当はのことではなかった!とか、は男女和合の歌だった!とか言って喜んでいる人たちは、 「君」が「」だと何か後ろめたい気持ちでもあるのでしょうか。 こういうトンデモ解釈が蔓延するあたり、保守を気取りながら、まだまだ戦後の洗脳から抜けきれていないんだなぁと感じます。 こういうの解釈をする人たちって、ですか?って思います。 と考え方同じです。 は、国民一人一人の幸せを毎日祈られています。 の発するお言葉をよく聞くとわかります。 基本、国民の心配しかしていません。 例えば、御即位二十年の祭典では、での歌が披露されるなど盛大に行われましたが、この日は特に冷え込んだ為、は参加したみんなが寒くなかったかと最後まで心配されていました。 普段日常において私たちはのことをあまり考えないかもしれませんが、を斉唱するときくらいは、に感謝の意を込めて、いつまでもお元気でいてくださること、の御代(つまり日本)が永く続くことをお祈り申し上げることが国民としての最低限の志ではないでしょうか。 の意味について改めてこちらに詳しく書きました。 あわせてお読みください。 natsunotsuki.

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「君が代」の歌詞の意味とは?子孫繁栄を願う歌だった!?

君が代 歌詞 の 意味

日本の国歌「」は、の治世を奉祝する歌です。 テーマはその永続性。 の「 巻七 賀歌」の冒頭の和歌が元になっており、五・七・五・七・七の形式です。 その歌詞は時代を経て様々な歌集でも歌われてきましたが、明治初期に「国歌」として制定する際、( 元士、元帥陸軍大将)が直接引用したのは薩摩琵琶の「蓬莱山」という歌からです。 作曲は林廣守で、明治13年に「陛下奉祝ノ楽譜改正相成度之儀ニ付上申」が施行され現在の国歌としての「」が定まり、同年11月3日の(の誕生日)で初めて公に披露されています。 国歌「」の歌詞 は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで 法律で定められている歌詞は、巌も苔もひらがなで展開されていますね。 歌詞の意味をわかりやすく現代語に訳すと、下記のとおりになります。 の御代が、 いつまでも永く続きますように。 小石が集まって大きな岩となり、 苔が生えるほどまでに。 もう少し詳しく解説したいと思います。 は この「君」はを指します。 つまり「がお治めになるこの御代は…」という意味となります。 よく「君」はのことではないという人がいますが、明治初期に「国歌」として制定された際も、平成11年に法律で正式な「国歌」に定められた際も、「君」は「」であるとはっきり位置づけられています。 国歌としてのの「君」は「」に他ありません。 「君」がでないと主張する人には、はのとても古い歌で〜祝いの席でもよく歌われていた〜とかなんとか言う人が多いですが、元の作者(読人知らず)が「君」をどういう気持ちで詠んだかなって誰にもわからないし、歌われる場面で「君」の対象が変わるのは当然です。 それは「和歌」としてのであって、「国歌」としてのではありません。 元の歌の解釈について議論することに何の意味も無いのです。 ただ敢えてこの議論に参加するならば、においては「君」というのは、や自分の遣えている君主など目上の者に使われる単語で、多くの場合は「」の意味で使われていました。 またはのによって編纂されたものであり、このようなの賀歌に出てくる「君」はである場合がほとんどです。 ちなみに、「君」が敬称や二人称として使われるようになったのは、かなり後世になってからのことです。 いずれにせよ、引用元の歌の解釈はどうでもいいのです。 もっと酷いのは、君(きみ)がの「キ」と「ミ」で男女を意味しているという珍説です。 「キ」は男、「ミ」は女を意味するというのは理解できますが、君(きみ)という言葉とは全く関係ありません。 そういう嘘を真に受けて、はの歌ではなくとから始まる男女の愛の歌だったと喜んでいる人たちは、保守を気取りながらも戦後の左翼思想から抜けきれていないことを自覚した方がいいと思います。 「君」が「」であることが受け入れられないのであれば、意味を捏造してまで国歌を好きになろうというトンチンカンなことをせず、正々堂々と国歌改正を訴えればいいじゃないですか。 こういう嘘が蔓延するあたり、という存在をあまり理解できていないのだと思います。 近代になって西洋のにおけるのイメージが重なってしまっているためで、実際は全く違う存在です。 は国民一人一人の幸せを毎日祈っています。 の発するお言葉をよく聞いてみてください。 基本的に国民の心配しかしていません。 私たちは普段のことはあまり考えないかもしれませんが、は常に私たちのことを一人残らず案じておられます。 日本人であれば、たとえ自分に身寄りが無くなって誰も自分のことを心配してくれる人がいないという状況になったとしても、最後の最後まで心配してくれている人が必ずいます。 それはです。 2600年以上続く歴代のも同じです。 古来からは民のことを「おおみたから(大御宝)」と呼び、日本固有ので「が慈しむべき天下の大いなる宝である民」を意味します。 その原点は初代による建国の詔にあり、その一節に「苟(いやしく)も民(おおみたから)に利有らば、いかにぞ聖の造(の仕事)に妨(たが)わん」()とあります。 この「国民を幸福にすることこその任務」という建国の精神は歴代のにも脈々と受け継がれています。 有名なところでは、第16代は「天が君()を立てるのは、民のためである。 ならば、君は民を根本とせねばならぬ。 だから、民が一人でも餓えるのならば、君は自らを責めなくてはならない。 」と仰せになっています。 が民を大御宝として慈しみ、我が子のように案じておられる。 の最重要の任務は祭祀であり、いつの時代も、日々、朝な夕な「国安かれ、民安かれ」と祈り続けています。 そして、は民に何も求めません。 皇祖から続くの在り方を守り、ただただ無私の心で国民の安寧を祈っているのです。 そのことを如実に表すエピソードがあります。 平成16年の秋ので、当時東京都教育委員を務めていたのから「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話された際、は「強制になるということでないことが望ましいですね」と言われました。 そう、国民には求めていないのです。 それより国民の心配しかしていません。 親の心子知らずとは言いますが、私たちは普段、のことをあまり考えません。 「」も歌うことなんかほとんどありません。 だからこそ、人生でごくわずかしかない「」斉唱の時くらいは、常に私たちのことを祈り続けているに思いを寄せ、の御代(つまり日本)が永く繁栄することをお祈り申し上げることが国民としての最低限の志ではないでしょうか。 それこそがと国民の絆であり、君民一体の日本ならではの形であります。 はのよりどころであり、自然と心がひとつにまとまり束ねられる存在なのです。 この最初の5音(初句)については必然的に説明が長くなりましたが、以下続けます。 千代に八千代に 現代語訳で「千年も八千年も」というのをよく見かけますが、「千」や「八千」は実数を表している訳でなく、非常に数が多いという意味です。 例えば、の詠んだの一節に「白雲紅葉満千山」とありますが、これは「たくさんの山々に白雲と紅葉が満ちている」という意味となります。 「八」も「」というように、きわめて多い神々という意味で使われます。 なので、「千代に八千代に」は「いつまでも、いつまでも」と訳すのが最も適していると思います。 そして「ちよにやちよに」の調べがとても美しいですよね。 千や八の字面に捕われず、この部分は和歌としての美しいリズムを感じた方が良いかと思います。 石と岩と苔という自然の中に永続性を表現しようとする感性は、日本人ならではの自然観と美的感覚だと思います。 とてつもなく長い時間経過、しかもゆったりとした穏やかな時の流れを感じることができ、「永く、永く・・・」と心に染み入るような表現です。 悠久の時を感じると共に、山間の情景が浮かび、水の流れる音が聞こえてきそうです。 また、この部分はのもとで国民が団結するイメージも想起させてくれます。 まさに日本国民統合の象徴である。 日本人としてこれほど心にグッとくる歌はありません。 natsunotsuki.

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国歌「君が代」の歌詞の意味を教えてください。

君が代 歌詞 の 意味

今年は5月1日に新しい天皇陛下が即位され平成が終わり令和に元号が変わるなど、皇室や国の話題に事欠かない年となっていますね。 10月22日には「即位礼正殿の儀」が行われ、各国の要人も日本にお越しになられました。 最近ではラグビー日本代表が活躍して世界的にも日本が話題になっているのではないでしょうか。 来年には東京オリンピックも控えていますし、日本が世界で認知される機会は今後も増えそうです。 そんな時に歌われるのが日本国国家「君が代」。 式典の時や、スポーツの試合の開催時、表彰時によく歌われます。 そんな「君が代」の歌詞の意味は皆さんご存じでしょうか?歌えない人はほとんどいないと思いますが、歌詞の意味を言える人は少ないかもしれません。 因みに私は今回調べてみるまでうろ覚えでした。 とても素敵な歌詞なので覚えておきたいですね。 君が代の歌詞 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで 君が代の現代語訳 男性と女性が共に支えているこの世は 千年も幾千年もの間 小さな砂がさざれ石のように やがて大きな盤石となって 苔が生じるほど長い間栄えていきますように より引用 子供に「どんな意味なの?」と聞かれたときにすらっと答えられるとかっこいいですよね。 今は国家を歌わない人が 愛国心がない、などと 叩かれたりすることもあるようです。 そもそもなんで歌わないのか、歌いたくないのか、私にはわかりませんが。 日本国国歌「君が代」. 君が代の歌詞が室町時代から江戸時代に小唄や長唄など時々の流行の節にのせて民衆が歌う御祝儀の歌であったことは「しんぶん赤旗」ですら認めていること。 帝国主義とは全く無縁の現代日本において、学校教育や各種式典において演奏されることに何の問題があるというのだ。 食べ物、人柄、発展度、文化、すべてにおいて。 私は日本が好きなので、君が代も好きですし、歌います。 深い理由はなくてここで生まれて育ったから。 その程度ですが、それだけで十分です。 個人として日本のために少しでも貢献したい気持ちになりました。 PROFILE 書いている人:kikyu 株式会社ウィザップ 製造部 小池商店 新潟県にある印刷を中心とした株式会社ウィザップ内にある小池商店、小池です。 普段は印刷工場の次長として管理業務をしています。 印刷オペレーター、製版オペレーターの経験があります。 以前は新卒採用担当もしていました。 今はアドバイザーという立場で関わっていますが、4年間新卒採用責任者として培ったノウハウがあります。 小さい印刷会社ながら、毎年50人以上、最高で100人近くの学生から選考への応募を頂きました。 ブログは雑記ですが、タイムリーで有益な情報を発信できるように心がけています。 月間PVは安定して40,000PVくらいです。 2人の娘の父親でもあるため、子育てネタも。 食べログ化する時もあり。 アルビレックス新潟/サッカー/外食/食べ物/子育て/新卒採用/HR/印刷.

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