メッセンジャー 引退。 メッセンジャーの阪神タイガース・引退セレモニー・投手が話題

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メッセンジャー 引退

経歴 [ ] プロ入り前 [ ] 4歳でを始める。 9歳で本格的に野球を始め 、スパークス高への進学直後までを中心に、、投手なども務めた。 の11巡目でに指名されプロ入り。 マーリンズ時代 [ ] 6月22日にマーリンズでデビュー。 メジャーで29試合に登板した。 なおデビュー4戦目にあたる7月8日の対戦では、5回一死からに次ぐ2番手投手として登板し、後に阪神でチームメイトとなると2打席対戦して右犠飛と右二塁打であったが、この試合がマートンのメジャーデビュー戦であった。 には、投手としてメジャーに定着し59試合に登板。 2勝7敗、防御率5. 67の成績を残した。 、前年に続きメジャーで救援登板を重ね、シーズン前半までに23試合へ登板し1勝1敗、防御率2. 66の成績であった。 マリナーズ時代(2009年) ジャイアンツ時代 [ ] 2007年シーズン途中にへ移籍。 マーリンズ在籍時同様、中継ぎ投手として37試合に登板し1勝3敗、防御率5. 09の成績を残した。 マリナーズ時代 [ ] にに移籍し、中継ぎで13試合に登板し3. 55の記録を残した。 は3Aで52試合に登板、防御率2. 86で25の好成績を挙げた。 メジャーでは12試合に登板、0勝1敗で防御率4. 35であった。 9月19日の対戦はを全て直球で3球三振に打ち取った。 同年オフにから外されてとなった。 阪神時代 [ ] 2009年12月10日に、がメッセンジャーと契約したことを発表した。 推定年俸60万の1年契約で、背番号は前年までが着用していた 54。 、前年限りで退団していたに代わるとして期待されていたものの 、シーズン開幕当初から不安定な投球が続いた。 さらに、が足りないというチーム事情から球団がシーズン開始直後にを獲得した影響もあって、に出場選手登録を抹消された。 抹消後は先発転向を視野に調整を進め、の一角だったが不振に陥った7月に一軍へ復帰すると、11日の対戦()で来日後初先発し、6回2失点で勝利を挙げた。 8月4日の対戦でから左中間越えの大飛球を放ったところ、いったん本塁打と判定。 で打球が外野フェンスの最上部に当たっていることが判明したため、判定が二塁打に変更されたが、先発投手としては7回を2失点に抑えて勝利投手になった。 しかし、9月8日の対戦でに頭部を当てて危険球退場となり、その後も序盤に大量失点を与えたりと不安定な登板が続いて、5勝6敗、防御率4. 93でシーズンを終えた。 この成績のため翌年の契約は流動的であったが、新しく外国人選手を獲得するより計算できるとの首脳陣の判断により オフに再び1年契約を結んだ。 シーズン後には土木作業でトレーニングする意味合いも兼ねて、自宅の庭に馬小屋とブルペンを自作して自主トレーニングをしていた。 には、スタンリッジと共に先発ローテーションに定着。 8月6日の対戦では、9回二死で失点しは逃したが、最後は9回1失点で阪神入り後としては初の勝利を挙げた。 9月6日の対戦ではチーム一番乗りの10勝に到達。 結局、と並ぶチームトップの12勝(7敗)でシーズンを終えた。 シーズン終了後には、前年度の年俸を3倍に増やすことを条件に、阪神球団との間で新たに2年契約を結んでいる。 には、4月17日の対ヤクルト戦で来日初完封を記録。 味方打線の低迷により勝ち星には恵まれなかったが、チームで最多の29試合の先発登板を記録し、最終戦で10勝目を挙げた。 この好成績を背景に、一時はメジャーリーグへの復帰説が報じられていた。 しかし、前年末に結んだ2年契約に沿って、シーズン終了後に阪神への残留を決めた。 には、能見が公式戦開幕前のとして参加したことを背景に、阪神の外国人投手としてはの以来26年振り3人目の開幕投手に起用。 ヤクルトとの開幕戦では、6回3失点という内容ながら、阪神の外国人投手としてはの以来48年振りの開幕戦勝利を記録した。 5試合に先発で登板した7月には、1完投勝利を含む4勝無敗、防御率2. 43という好成績で、投手部門のを初めて受賞。 阪神の投手からは、5・6月の能見に次ぐ3ヶ月連続の受賞であった。 その一方で、9月17日の対広島戦では、来日後自己最多の150球(7回4安打1失点)を投げている。 なお、シーズン通算の奪三振数が183に達したことから、シーズン終了後には、来日後初めてのタイトルとして、セ・リーグからとして表彰。 その一方で、阪神球団がシーズン終了後にとを獲得したことから、一軍へ同時に登録できる外国人選手数の上限(最大4名)との兼ね合いでスタンリッジと共に退団する可能性が報じられていた。 結局、スタンリッジが退団(への復帰)に至ったのに対して、メッセンジャー自身は2年契約で阪神に残留した。 には、阪神への在籍年数が5年に達し、同球団の外国人投手としてはウィリアムスに並ぶ長さとなった。 レギュラーシーズンでは、4月29日の対広島戦から5月17日の対DeNA戦にかけて、甲子園球場での先発登板で3試合連続完封勝利を記録した。 阪神の投手による本拠地での公式戦3試合連続完封勝利は、1962年・1966年の、1965年のに次いで3人目である。 9月2日の対DeNA戦(甲子園)では、8回3失点の12奪三振で勝利投手になるとともに、シーズン通算の奪三振が201に到達。 この奪三振数は、2リーグ分立()以降のNPBの球団に在籍した外国人投手としての最多記録である。 また、日本人投手を含めたセントラル・リーグでのシーズン200奪三振は、が阪神時代のに記録して以来10年振りの達成であった。 結局、レギュラーシーズンでは13勝で自身初の、226奪三振で2年連続最多奪三振投手のタイトルを獲得。 ただし、13勝での最多勝利はリーグ史上最少記録であった。 チームのシーズン2位で迎えたでは、巨人とので第3戦に先発。 初回ににCSでは巨人唯一の先制適時打を打たれ、3回にはにソロ本塁打を打たれたものの得点圏の場面では初回の阿部以外に得点を許さず、5回2失点の好投を見せた。 最終的にチームは6回に同点に追いつき、7回に勝ち越しそのまま逃げきって勝利。 とのでも、第1戦と第5戦で先発を任された。 かつての同僚であったスタンリッジと投げ合った甲子園での第1戦では勝利投手になったものの、チームの1勝3敗で迎えたでの第5戦では、味方打線の貧打で好投が報われないままソフトバンクのシリーズ制覇を許した。 には、前年から2kg増の体重122kgで春季キャンプをスタート。 の対中日戦(京セラドーム)に2年ぶり2度目の開幕投手として先発。 6回3失点という内容ながら勝利を逸した(試合は延長10回の末に阪神が5-4でサヨナラ勝利)。 その後の先発登板でも不安定な投球が続いたため、5月10日の対広島戦(甲子園)でリーグ最多の5敗目を喫したこと を機に、新外国人投手のと入れ替わる格好で翌11日に出場選手登録を抹消された。 なお、抹消後の5月23日には、とのファーム交流戦()に先発。 5回1失点6奪三振という結果を残している。 同月29日に再登録を果たすと、同日の対戦()での先発登板でシーズン3勝目と11奪三振を記録。 来日後の公式戦通算803奪三振も達成したことから、セントラル・リーグ在籍外国人投手の通算奪三振数で歴代2位に浮上した。 さらに、この試合の1回裏から6月20日の対ヤクルト戦(甲子園)3回表まで、4試合にわたって自己最長の27イニング連続無失点を達成。 同月28日の対DeNA戦(甲子園)で来日後の通算奪三振数が832(NPBの歴代外国人投手では単独5位の記録)に達する と、8月12日の対中日戦(京セラドーム)では日米通算1000奪三振 、9月10日の対巨人戦(甲子園)ではNPB公式戦1000イニング登板に至った。 しかし、レギュラーシーズンの一軍公式戦通算成績は9勝12敗で、来日1年目(2010年)以来5年振りのシーズン1桁勝利に終わった。 なお、チームのシーズン3位で迎えたでは、巨人との第2戦の先発登板(10月11日・東京ドーム)でチームにシリーズ唯一の勝利をもたらしている。 また、シーズン終了後の12月8日には、1年契約で残留することが球団から発表された。 、前年に続いて、京セラドームで中日との開幕戦(3月25日)に先発。 7回途中4失点(10被安打)という内容で敗戦投手になった が、5回裏の第2打席で三塁ゴロながら一塁へ出ると、次打者・の打席中に単独で二塁へのを企図した。 公式戦では来日後初の企図であったが、この盗塁を成功させたばかりか、中日の捕手・から二塁への送球が逸れる間に三塁まで進んだ。 阪神の投手が一軍の公式戦で盗塁を記録した事例は、の以来35年振りで、外国人投手に限れば初めてであった。 また、5月29日の対巨人戦(東京ドーム)8回裏に、からの三振でNPB史上145人目(外国人投手では3人目)の一軍公式戦1000奪三振を達成。 8月には、34歳最後の日(12日)に対中日戦(京セラドーム)で自身2年振り・5度目のシーズン10勝に到達する と、25日の対DeNA戦(横浜)で11勝目と来日後初の(3安打)を記録した。 阪神の投手が自身の登板試合で猛打賞を記録した事例は、2006年の以来10年振りで、外国人投手では2002年の以来であった。 さらに、9月24日の対中日戦(ナゴヤドーム)では、シーズンの12勝目を自身2年振りの完封で挙げている。 一軍公式戦には通算28試合の登板で、11敗を喫しながらも、チーム最多の12勝と防御率3. 01をマーク。 シーズン終了後の11月29日には、2年契約でチームに残留することが球団から発表された。 には、3年連続の開幕投手として、3月31日の広島戦(マツダ)に登板。 NPBの外国人投手では歴代最多(4度目)の開幕投手起用であり 、NPB一軍公式戦通算200試合登板を達成したほか、2013年以来2度目の開幕戦勝利を記録した。 NPBの一軍開幕戦で通算2勝を挙げた外国人投手は、以来2人目である。 この勝利を皮切りに、4月には4度の先発で3勝を挙げ、開幕戦からの通算防御率を1. 95にとどめたことを背景に、3・4月度のセ・リーグ投手部門月間MVPを受賞した。 後に開幕戦からの連勝を5にまで伸ばすと 、7月23日の対ヤクルト戦(神宮)では、3回表の打席で来日初本塁打をからのソロ本塁打で記録。 先発投手としても8回を無失点に抑えた末に、2年連続・通算6度目のシーズン10勝を達成した。 NPBの外国人投手による通算6度目の一軍公式戦シーズン2桁勝利は、出身のに並ぶ歴代最多記録で、アジア圏以外の出身者としては初めてである。 さらに、8月4日の対ヤクルト戦(京セラドーム)では、シーズンの11勝目をチーム初完封勝利で記録した。 しかし、次に先発した8月10日の対巨人戦(東京ドーム)7回裏に、が放ったライナーが右脚のくるぶし付近を直撃。 その影響で緊急降板を余儀なくされたばかりか、翌11日の診断で右脚腓骨の骨折が判明した ため、同日付で出場選手登録を抹消された。 故障による抹消は来日後初めてで、8月中旬にはアメリカへ一時的に帰国。 骨折した個所を固定させる手術を受けた。 8月下旬から 日本でリハビリに取り組む と、9月27日の対広島戦(甲子園)から実戦に復帰。 10月10日の中日とのレギュラーシーズン最終戦(甲子園球場)で、先発投手として一軍公式戦2ヶ月振りの先発登板を果たすと、4回を投げ終えたところでセ・リーグの最終規定投球回数に到達した。 レギュラーシーズンでの最終規定回数到達は7シーズン連続で、この年にNPBの球団と契約していた投手では最も長く、最終登板では球団タイ記録の7者連続奪三振も達成した。 さらに、チームがレギュラーシーズン2位でへの進出を決めたことから、10月13日にはDeNAとのファーストステージ第1戦(甲子園)に先発。 前述した骨折からわずか2ヶ月後にもかかわらず、レギュラーシーズンの最終登板から中3日で先発したばかりか、6回無失点の好投で勝利投手になった。 チームは第2戦からの2連敗によってファイナルステージへの進出を逃したが、第3戦終了後の10月20日には、前年末に締結した2年契約に沿ってチームへ残留することが球団から発表された。 、3月30日の対巨人戦(東京ドーム)に4年連続の開幕投手として先発。 「一軍公式戦開幕戦への4年連続登板」というNPBの歴代外国人投手最長記録を達成するとともに、7回1失点の好投でシーズン初勝利を挙げたことによって、開幕戦での通算勝利数が歴代外国人投手で最多の3勝に到達した。 次に先発した4月5日の対DeNA戦(横浜)で、阪神の外国人投手としては1965年のバッキー以来2人目の開幕2連勝を記録。 同月12日の対広島戦(甲子園)では、2回表2死満塁からへ四球を出した直後に、球審のへ暴言を吐いたとして、NPBの一軍公式戦では自身2度目(審判への侮辱行為では初めて)の退場処分を受けた。 同月16日付で、NPBの国内権を取得()。 3・4月には、4勝1敗、防御率1. 82という好成績を残した末に、セ・リーグ投手部門3・4月度の月間MVPを受賞した。 通算3回目の受賞で、阪神の外国人選手としては歴代最多であった。 7月には、セ・リーグの監督推薦選手として、来日9年目にして初めてへの出場を果たした。 7月22日の対横浜DeNA戦(横浜スタジアム)では、3回裏にから奪った空振り三振でシーズン100奪三振を達成したことによって、8年連続8度目のシーズン100奪三振(NPBの外国人選手における歴代最多記録)を達成。 さらに、この試合でシーズン10勝目に到達した ことによって、通算7度目のシーズン2桁勝利(NPBの歴代外国人選手最多記録)に至った。 10月3日の対広島戦(マツダ)では、6回裏にから空振りで三振を奪ったことによって、NPB一軍公式戦通算1416奪三振の外国人投手記録を達成した。 シーズン最終登板であった同月9日の対巨人戦(甲子園)で4つの三振を奪ったことによって、この記録を1420奪三振にまで更新したが、後半戦は総じて不調。 8月11日の対DeNA戦(横浜)でシーズン11勝目(日米通算99勝目) を挙げて以降8試合に先発登板したものの、いずれの試合でも白星が付かなかったため、チームトップの11勝を記録しながら日米通算100勝達成には至らなかった。 なお、シーズン終了後の12月10日には、翌の契約を締結したことが球団から発表された。 、3月29日の対ヤクルト戦(京セラドーム)に5年連続通算6度目の開幕投手として先発。 「一軍公式戦開幕戦への5年連続登板」というNPBの歴代外国人投手最長記録を更新した。 その後も前半戦で13試合に先発登板したが3勝7敗、防御率4. 69と精彩を欠き、7月下旬からは一時帰国するとともに右肩の治療とリハビリに専念。 8月上旬の再来日を経て、同月下旬以降は二軍の対外試合で調整登板を重ねるも思うような結果が残せず 、この年限りでの現役引退を決意。 9月13日、球団を通じて引退を発表し 、9月18日に引退記者会見を開いた。 引退試合として開催された同29日の対中日戦(甲子園)では、先発として登板し中日の先頭打者・を空振り三振にとって降板、試合後には引退セレモニーが催された。 これら引退興行の開催は外国人選手としては異例であった。 選手としての特徴 [ ] 身長198cm、体重109kg(メジャー時代は最高で127㎏ )の巨漢投手で、オーソドックスなからの角度をつけた投球が持ち味。 はMLBでの中継ぎ時代は最速98mph(約157. 主な変化球として、、、落差のあるなどを操り、中でもフォークへの評価が高い。 また、カーブはマーリンズ時代に中継ぎ投手としてメジャーに定着して以降使用していなかったが、阪神移籍後に(当時一軍投手コーチ)のアドバイスにより使用を解禁し 、それ以降配球の幅を広げる大きな武器として活用している。 来日当初は体格を活かしたストレート一本やりの力押しの投球を信条としていたが、来日1年目の2010年シーズンが不振に終わったため、力押しが通用するという日本の野球に対する偏見を持っていたことを反省し、の助言によりストレート以外の球種を混ぜて打者に考え込ませることを取り入れた。 奪三振能力に長け、NPB通算は8. 26を記録している他、2010年から2019年までのNPB在籍10年のうち9. 00を超える奪三振率を3度記録。 さらに2013年、2014年と2年連続で最多奪三振のタイトルを獲得している。 また、公式戦通算1475奪三振、2014年に記録したシーズン226奪三振はいずれもNPB(2リーグ分裂後)の外国人投手最多記録である(数字は全て2019年シーズン終了時点)。 また、中6日で投げる先発投手の多い日本プロ野球界において、中5日(あるいは中4日)で投げることを苦にしない投手の1人で、球界有数の「超タフネス投手」と称される。 先発へ完全に転向した2011年からまで、8年連続でセ・リーグの最終に到達しており、から3年連続でリーグ最多完封、から2年連続でリーグ最多完投を記録。 2014年には全31試合の登板の内、中5日で15回、中4日で6回の登板をこなした。 さらに、2012年から2016年までの5年連続で「180以上、総投球数3000以上、160以上」を達成。 2016年は、先発で登板した28試合のうち、4試合で総投球数が130球を上回っていた。 その上で、阪神への入団後は前述した2017年8月11日付での出場選手登録抹消まで、故障による戦線離脱を経験していなかった。 その2017年も、抹消の原因になった右脚腓骨の骨折当初はシーズン中の復帰が絶望視されていたにもかかわらず、一軍のレギュラーシーズン最終戦で先発登板し短期間での復活を果たした。 トレーニングでは走り込みを重視していた。 2016年から2018年まで監督を務めたは「ウチで一番走るのはメッセンジャー」と評価しており 、本人もトレーナーに「選手に嫌われる覚悟でランニングを課さないとダメ」と力説している。 人物・エピソード [ ] 野球選手として 「助っ人」ながら長年に渡って阪神のエースとして活躍。 特に開幕投手を務めることに対しては「チームの顔」であることの証として強い拘りを持っており 、オフにアメリカへ帰国する際に翌シーズンの開幕投手を務めることを宣言するのが恒例となっていた。 実際にNPB外国人最多の5年連続・6度の開幕戦先発登板及び開幕戦3勝という実績を残している。 阪神で5年連続の開幕投手を務めたのはに次いで歴代2人目であり、2リーグ分立後(1950年以降)の阪神における開幕投手6度は・に次いで3人目、ではメッセンジャーのみである。 阪神入団9年目の2018年の4月16日に、のを取得。 同年のシーズン終了後に阪神との間で新たに1年契約を結んだことから、以降のNPBでは、(阪神以外の球団に在籍する場合を含めて)の対象から外れて日本人選手と同じ扱いを受けられるようになっていた()。 外国人選手の国内FA権取得はNPB史上9人目で、阪神に在籍中の外国人選手が国内FA権を取得するのは、球団史上初めての事例。 1球団だけの在籍で国内FA権を取得した外国人選手は、1996年の、2011年の(いずれも西武)に次いでNPB史上3人目だが、アジア圏以外の地域出身選手および、セ・リーグに在籍する選手では初めてである。 NPBのオールスターゲームには、2018年にセ・リーグの監督推薦選手として出場権を得るまで縁がなかった。 メッセンジャー自身はかねてから出場を熱望していたため、監督推薦選手の発表会見では、「過去にもオールスターゲームへの出場に値する成績を残したことがあったと思うので、9年かかったことは少し残念」というコメントを残している。 実際には、京セラドーム大阪で7月13日に催された第1戦で、2回裏から2番手投手として初登板。 公式戦を含めても2010年以来の救援登板ながら、ストレートだけを29球を投げ込んだうえで、2イニングを無失点に抑えている。 人間関係 はマリナーズ時代の同僚で、同時期にマリナーズから阪神へ入団した。 マリナーズ移籍後MLB公式戦での登板機会を減らしていたメッセンジャーに対し、城島は日本球界挑戦を強く勧め、日本とアメリカでの野球の違いなどを事細かに説明した他、NPB球団への推薦なども買って出たという。 メッセンジャーの阪神入団にあたり、先に阪神への入団が決定していた城島は「彼なら絶対できる」と評価していた。 城島の他、メッセンジャーを先発投手として成功に導いた、阪神在籍時数多くバッテリーを組んだをNPBにおける恩人として挙げており、特に久保からは人生全般に関しても強い影響を受けたといい、強い信頼関係を築いている。 阪神で外国人投手としての先輩にあたるとは、直接会ったことがないにもかかわらず、阪神入団後の2013年にSNSでメッセージを送り合ったことをきっかけに親交を深めていた。 『』では、バッキーへのインタビューを基に、2人の親交を物語る特集記事を2018年7月2日付の紙面に掲載した。 バッキーが阪神への在籍中に達成した球団の外国人投手記録(一軍公式戦通算100勝・シーズン200奪三振)をメッセンジャーが塗り替えることを期待するコメントをバッキー本人が出したこともある。 通算98勝で現役引退を決意することとなったメッセンジャーであったが 、奇しくもその引退表明の直後(日本時間9月15日)にバッキーがにより82歳で急逝。 訃報を受けたメッセンジャーは、バッキーの葬儀に花を贈呈。 バッキーの長女からは「もし父が生きていれば、彼(メッセンジャー)の引退をどれほど悲しんだでしょう。 阪神での自身の記録を破ってくれることを、本当に楽しみにしていましたから」というメッセージが寄せられた。 その他 オフシーズンにはアメリカの自宅で過ごすが、2016年まで住んでいたの自宅では、自主トレーニング用のマウンドや馬小屋を自作していた。 阪神入団後の2016年に購入したの自宅でも、庭に生えている木をで切り倒した後に鉈で割って薪に使うなど 、独自のトレーニングを継続している。 来日後にが好物となり、遠征先に必ず行きつけのを作り、先発登板の前日は必ずラーメンを食べている。 ラーメン店チェーンのでは「」(「こってり」と「あっさり」のミックス)がお気に入り。 最も好きなラーメン店は。 「もやしを入れるとダシの味が変わってしまう」との理由で「チャーシューだけラーメン」にこだわっていることをテレビ番組で公言したり、甲子園球場内限定で販売するラーメンのプロデュースを手掛けたりするなど、ラーメンに対する熱意も非常に高い。 2015年シーズンから同球場で販売中のプロデュースメニュー「メッセの豚骨醤油ラーメン」は、2016年シーズンまで2シーズン続けて選手プロデュースメニューの中でトップの売上を記録。 「メッセ盛り」と称する大盛りも注文できることが特徴で、期間限定メニューや派生メニューの販売にまで発展している。 2015年4月22日には、横浜スタジアムでの対DeNA戦に先発で登板したが、6回7失点という内容で敗戦投手になった。 また、3回表無死1塁で迎えた第1打席では、DeNA先発のに対してスイングの気配を見せないまま見逃し三振。 4回表1死1塁で迎えた第2打席では、首脳陣から犠打の指示が出ていたにもかかわらず、ボールコースの初球でを失敗すると3球で見逃し三振に倒れた。 打席でのこのような様子が「ナインの士気を下げかねない無気力プレー」と報じられたことから、阪神球団では翌23日に、高野栄一本部長が報道陣にプレーの経緯を説明する事態に至った。 メッセンジャー自身は、「第1打席では、モスコーソのを待つために、あえて打つ気配を見せなかった。 第2打席では、犠打のサインを見逃したため、自分の判断でバスターを試みた」という言い分で、前述の報道を否定している。 同年のメッセンジャーは、上記の試合を含めて、横浜スタジアムでの公式戦4試合に全て先発で登板。 セントラル・リーグの本拠地球場では唯一の未勝利(0勝2敗)で、防御率4. 15、3被本塁打を記録するなど、マウンドとの相性の悪さを露呈していた。 詳細情報 [ ] 年度別投手成績 [ ] 球 団 29 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 178 37. 0 39 5 30 7 0 29 1 0 22 22 5. 35 1. 86 59 0 0 0 0 2 7 0 9. 222 275 60. 1 72 8 24 2 1 45 3 0 42 38 5. 67 1. 59 23 0 0 0 0 1 1 0 6. 500 103 23. 2 27 0 9 2 0 12 0 0 7 7 2. 66 1. 52 37 0 0 0 0 1 3 1 5. 250 188 40. 2 58 4 12 3 1 22 1 0 23 23 5. 09 1. 72 '07計 60 0 0 0 0 2 4 1 11. 333 291 64. 1 85 4 21 5 1 34 1 0 30 30 4. 20 1. 65 13 0 0 0 0 0 0 1 2 ---- 57 12. 2 16 1 5 1 1 7 0 0 5 5 3. 55 1. 66 12 0 0 0 0 0 1 0 1. 000 43 10. 1 13 3 0 0 0 5 1 0 5 5 4. 35 1. 26 26 14 0 0 0 5 6 0 1. 455 350 80. 1 88 10 31 4 1 48 3 0 49 44 4. 93 1. 48 25 25 1 0 0 12 7 0 0. 632 616 150. 0 129 6 45 3 3 122 4 0 50 48 2. 88 1. 16 30 29 3 2 0 10 11 0 0. 476 801 196. 2 165 7 65 5 4 166 5 0 65 55 2. 52 1. 17 30 29 6 3 3 12 8 0 0. 600 811 196. 1 174 13 56 0 4 183 5 1 68 63 2. 89 1. 17 31 31 3 3 0 13 10 0 0. 565 872 208. 1 188 14 69 0 8 226 8 0 81 74 3. 20 1. 23 29 29 0 0 0 9 12 0 0. 429 799 193. 2 163 10 60 0 4 194 5 0 68 64 2. 97 1. 15 28 28 2 1 0 12 11 0 0. 522 791 185. 1 178 11 60 2 1 177 4 0 73 62 3. 01 1. 28 22 22 1 1 0 11 5 0 0. 688 594 143. 0 134 5 44 0 1 155 2 0 42 38 2. 39 1. 24 28 28 0 0 0 11 7 0 0. 611 728 173. 2 160 13 58 2 4 149 0 0 74 70 3. 63 1. 26 14 14 1 0 0 3 7 0 0. 300 336 79. 0 71 11 38 1 2 55 3 0 45 41 4. 67 1. 38 :5年 173 0 0 0 0 4 12 2 25. 250 844 184. 2 225 21 80 15 3 120 6 0 104 100 4. 87 1. 65 :10年 263 249 17 10 3 98 84 0 1. 538 6698 1606. 1 1450 100 526 17 32 1475 39 1 615 559 3. 13 1. 2019年度シーズン終了時• 各年度の 太字はリーグ最高 タイトル [ ] NPB• :1回(2014年)• :2回(2013年、2014年) 表彰 [ ] NPB• :3回(投手部門:2013年7月、2017年3月・4月、2018年3月・4月)• 敢闘選手賞:1回(2014年) 記録 [ ] NPB投手記録• 初登板:2010年3月26日、対1回戦()、8回表に4番手で救援登板、1回無失点• 初ホールド:2010年3月30日、対1回戦()、8回裏に2番手で救援登板、1回無失点• 初奪三振:2010年4月8日、対3回戦()、9回表にから空振り三振• 初先発・初勝利:2010年7月11日、対横浜ベイスターズ10回戦(阪神甲子園球場)、6回2失点• 初完投勝利:2011年8月6日、対7回戦(京セラドーム大阪)、9回1失点• 初完封勝利:2012年4月17日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦()、9奪三振1四球 NPBその他の記録• 出場:1回 (2018年)• 開幕戦先発勝利:3(2013年、17年、18年)• 到達:8年連続・8回(2011年 - 18年)• シーズン2桁勝利:7回(2011年 - 14年、16 - 18年)• シーズン100奪三振:8年連続・8回(2011年 - 18年)• シーズン奪三振:226(2014年)• 通算奪三振:1475• 1試合2桁奪三振:24回 NPB打撃記録• 初安打:2010年7月28日、対横浜ベイスターズ12回戦(阪神甲子園球場)、3回裏にから二塁内野安打• 初打点:2011年6月25日、対読売ジャイアンツ8回戦(阪神甲子園球場)、2回裏にから中前適時打• 初盗塁:2016年3月25日、対中日ドラゴンズ1回戦(京セラドーム大阪)、5回裏に二盗(投手:、捕手:)• 初本塁打:2017年7月23日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦()、3回表にから右越ソロ MLB、NPBにまたがった記録• 日米通算1000投球回:2014年9月20日、対23回戦(阪神甲子園球場)、3回表にを空振り三振に打ち取って達成• 日米通算100勝:2019年4月5日、対広島東洋カープ1回戦 (MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回2失点で勝利投手となり達成 NPB節目の記録• 23 (2005年 - 2007年)• 26 (2008年 - 2009年)• 54 (2010年 - 2019年) 登場曲 [ ]• 「Blind」 - (2010年 - 2011年)• 「Nevadian」 - Shorty T da Gator(2012年 - 2019年) 関連情報 [ ] 著書 [ ]• 『ランディ・メッセンジャー すべてはタイガースのために』(、2018年7月、) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 英語発音:• 単純な3試合連続完封ではなく、甲子園での試合について3試合連続完封であり、途中の5月5日の対ヤクルト戦()では4回5失点を記録している。 1リーグ時代の1940年に日系2世のが297奪三振を記録。 通算の奪三振数については、外国人枠が設けられていなかった時代を含めた場合、が1960奪三振で歴代1位、メッセンジャーは2位に該当する。 ソフトバンクへの復帰を経て、2016年からロッテへ移籍したスタンリッジは、ロッテ在籍中の2017年5月に国内FA権を取得。 2017年限りでロッテを退団した後に、日本人選手と同等の扱いでNPBの他球団と契約できる状況にあった()が、契約に至らないまま2018年8月1日に現役引退を表明した。 これに対して、メッセンジャーは阪神入団1年目の2010年4月23日に、スタンリッジと入れ替わる格好で出場選手登録を抹消。 同年7月11日に再び登録されるまで、およそ2ヶ月半にわたって二軍での再調整を余儀なくされたこと()が、NPB国内FA権最短取得の障害になっていた。 上記の登録抹消がグラウンド上での故障以外の理由によることや、前年(2009年)のシーズン中にNPBのどの球団とも契約していなかったことから、メッセンジャーにはNPBの野球協約で定めている「」(通算登録日数に最大で60日の加算を認める措置)が適用されなかった。 外国人選手枠に関する2002年以降のNPBの規約では、同枠の対象になるについて、公式戦期間中に1球団が同時に出場選手登録を申請できる選手数を最大で4名(野手または投手としての同時登録を申請できる選手数を最大で3名)に定めている。 しかし阪神では、2019年シーズンからメッセンジャーが日本人選手と同じ扱いを受けることに伴って、同年の公式戦期間中にメッセンジャー以外の外国人選手を上記の規約に沿って最大で4名まで同時に一軍へ登録できるようになった。 このような事情を背景に、2018年に在籍していた外国人選手のうち、メッセンジャー、、(いずれも投手)および、内野手との契約を更新。 その一方で、同年に中日へ入団したものの、シーズン終了後の契約交渉が物別れに終わっていた投手を獲得した。 さらに、2019年の春季キャンプが始まる2月1日までに、投手や内野手(いずれも2018年シーズンまではメジャーリーガー)と新たに契約している。 出典 [ ]• tophonetics. com. 2019年5月5日閲覧。 デイリースポーツ 2018年1月25日• 『ランディ・メッセンジャー』p. 112• 『ランディ・メッセンジャー』p. 119• 『ランディ・メッセンジャー』p. 121-122• 132• 『ランディ・メッセンジャー』p. 133• 『ランディ・メッセンジャー』p. 134• 2009年12月13日, at the. 阪神タイガース公式サイト、2009年12月10日。 日刊スポーツ 2009年12月11日• 、2010年11月7日。 、2010年12月17日。 - SANSPO. COM 2011年1月30日• - 2011年1月29日• デイリースポーツ 2012年11月4日、2013年4月15日閲覧。 西垣戸理大 2013年3月29日. サンケイスポーツ. 2013年3月29日閲覧。 日本野球機構(NPB)公式サイト• サンケイスポーツ. 2014年5月18日閲覧。 阪神メッセンジャー粘投5回3安打2失点 nikkansports. com• 日刊スポーツ 2015年2月2日• 日刊スポーツ 2015年3月27日• 日刊スポーツ 2015年5月10日• 日刊スポーツ 2015年5月12日• 日刊スポーツ 2015年5月23日• 日刊スポーツ 2015年5月29日• 日刊スポーツ 2015年6月20日• 日刊スポーツ 2015年6月28日• 日刊スポーツ 2015年8月13日• 日刊スポーツ 2015年9月10日• 日刊スポーツ 2015年10月14日、同11月23日閲覧。 日刊スポーツ 2015年10月11日• 日刊スポーツ 2015年12月8日• 日刊スポーツ 2016年3月26日• スポーツニッポン 2016年3月25日• デイリースポーツ 2016年3月25日• 日刊スポーツ 2016年5月31日• 日刊スポーツ 2016年8月12日• デイリースポーツ 2016年8月26日• 日刊スポーツ 2016年9月25日• スポーツニッポン 2016年11月29日• スポーツニッポン 2017年3月25日• スポーツニッポン 2017年4月1日• 日刊スポーツ 2017年5月9日• サンケイスポーツ 2017年5月18日• デイリースポーツ 2017年7月23日• 日刊スポーツ 2017年7月23日• 日刊スポーツ 2017年8月5日• 日刊スポーツ 2017年8月11日• 阪神タイガース公式サイト 2017年8月16日• 阪神タイガース公式サイト 2017年8月28日• デイリースポーツ 2017年8月31日• 日刊スポーツ 2017年9月27日• スポーツニッポン 2017年10月10日• 日刊スポーツ 2017年10月15日• 阪神タイガース公式サイト 2017年10月20日• 日刊スポーツ 2018年3月31日• 日刊スポーツ 2018年4月6日• 日刊スポーツ 2018年4月12日• 日刊スポーツ 2018年4月16日• 日刊スポーツ 2018年5月9日• NPB日本野球機構• スポーツニッポン 2018年7月23日• 毎日新聞 2018年7月22日• スポーツニッポン 2018年7月22日• 日刊スポーツ 2018年8月11日• 日刊スポーツ 2018年10月9日• 阪神タイガース 2018年12月10日• SANSPO. COM 2019年3月29日• スポーツ報知 2019年3月4日• 日刊スポーツ 2019年4月5日• 日刊スポーツ 2019年7月27日• 東スポweb 2019年8月21日• デイリースポーツonline 2019年9月12日• SANSPO. COM 2019年9月14日• スポーツ報知 2019年9月14日• スポーツニッポン 2019年9月14日• 阪神タイガース公式サイト 2019年9月18日• 時事ドットコム 2019年9月29日• 毎日新聞 2019年9月29日• 日刊スポーツ 2019年9月29日• デイリースポーツonline 2019年9月18日• デイリースポーツonline 2019年9月29日• 日本経済新聞. 2014年11月12日. 2014年11月12日閲覧。 SANSPO. COM. 2014年8月6日. 日刊スポーツ 2018年4月6日• 週刊ベースボールONLINE. 2014年9月26日. 2016年5月5日閲覧。 『ランディ・メッセンジャー』p. 151-152• デイリースポーツ 2018年6月12日• Sports Navi 2018年12月22日閲覧• -サンケイスポーツ 2014年1月17日• -スポーツ報知 2015年3月3日• デイリースポーツ. 2016年12月27日閲覧。 文春オンライン 2019年10月5日• スポニチアネックス 2018年1月3日• 東スポweb 2019年4月6日• 文春オンライン 2017年5月12日• SPAIA 2019年1月30日• 文春オンライン 2019年9月17日• SANSPO. 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メッセンジャー引退!メジャーに帰らなかった理由に涙が止まらない。

メッセンジャー 引退

右投右打。 スポーツ新聞などの見出しでは「メッセ」と略されることもある。 阪神には2010年シーズンから在籍。 2019年シーズンまで契約の更新を続けたことによって、在籍期間が10シーズンに達した。 10シーズンに及ぶ在籍は、球団の歴代外国人選手として史上最長記録である。 なお、2018年シーズン中にNPBの国内FA権を取得。 FA権に関する規約で、2019年シーズンのNPBでは、外国人選手枠の対象から外れて、日本人選手と同じ扱いを受けていた(詳細後述)。 2019年シーズン限りでの現役引退を表明した。 () 「メッセンジャー阪神タイガース」「メッセンジャー引退セレモニー」「メッセンジャー投手」という言葉が話題です。 明日は絶対やってくれると信じてる。 だって今までやってこれたのだから。 1日でも多く鳥谷さんと共に。 ま…ええか? 奇跡やん??? KENJI? 29甲子園? 最後の観戦メッセンジャー投手ありがとう? KENJI43308302 メッセンジャー選手の引退セレモニー。 メッセンジャー投手、お疲れ様でした! — ヘッドライト和田 headwadawwwdddd メッセンジャーの口コミ.

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2019年阪神メッセンジャーが電撃退団へ!本当の理由は!?|プロ野球阪神タイガース!ファン応援サイト

メッセンジャー 引退

名前:ランディ・メッセンジャー 生年月日:1981年8月13日 年齢:38歳(2020年6月現在) 身長:198cm 体重:109kg 出身地:アメリカ ネバダ州 職業:プロ野球選手(阪神タイガースの投手) 年齢的にもなかなかのおじさんです。 それもそのはず、日本のプロ野球で10年間も頑張ってくれた偉大な選手なのですから。 日本での通算成績は・・・• 262試合• 1606. 98勝84敗• 防御率3. 1474奪三振 という、もはや伝説レベルの好成績でした。 なんとか100勝して欲しかったです。 メッセンジャー選手がメジャーに帰らなかった理由に涙が止まらない。 メッセンジャー選手は現役時代にこんなメッセージを残しています。 私はこの文章だけでも普通に涙が出てきます。 阪神ファンを大切にするその心意気に強いプロ意識を感じます。 よく読んでみるとわかるのですが、日本で野球を続けた理由は 本当は4つあるんですよね。 お金(報酬)• 阪神ファンの存在• 日本の治安の良さ• 日本のプロ野球の『休めるシステム』 お金の話ってすごくいやらしくなってしまうんですが、包み隠さず、しかし嫌味っぽくなくコメント出来るのはすごいです。 ちなみに、メッセンジャー選手が引退する2019年の年俸は3億5000万円です。 メッセンジャー選手、引退後はどんな仕事をする? メッセンジャー選手は引退後は阪神で何か役職を用意してもらえるとのこと。 阪神での功績は非常に大きいため、球団側が何かうまく手配してくれるようです。 まだ正確には決まっていないのですが。 それよりも、まだ日本にいてくれてすごく嬉しいです。 日本の治安の良さが気に入ってるとも言ってるので、メッセンジャー選手の家族にとっても都合がいいのかも知れませんね。 どこかのラーメン屋で会えるかも? バカでかい外国人がもやし抜きラーメン食べてたら、その方ははきっと・・・。 メッセンジャー引退!メジャーに帰らなかった理由に涙が止まらない。 まとめ いつかこの日が来るんじゃないか、とは思ってたんですが、まさかこんなに急に来るとは本当に驚きです。 メッセンジャー選手、ピッチングだけでなく、バッターボックスに立った時に積極的に打ちに行く姿勢も大好きでした。 実はこの文章を書いている時点で、メッセンジャー選手はまだ引退はしていません。 最後は9月29日です。 最後まで素晴らしいピッチングを見せて欲しいと思います。 9月29日はまた泣いてしまうんだろうな・・・。 中継ぎやクローザーで、もう少し現役時代を見ていたかったです。 てことで今回はこの辺で。 最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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