まんが 読破。 まんがで読破「破戒」のあらすじと感想。部落差別を扱った作品で一度読むとよくわかる

マンガ一巻読破

まんが 読破

はじめに こんにちはdaimaです。 突然ですが皆さんは 名作小説や思想書を漫画化する 『まんがで読破』シリーズをご存知でしょうか? 書店やkindleのセールコーナーで 見かけることも多い本シリーズですが、 セールの時は一冊10円で読めることもあり、 私もちょくちょく読んでいます。 しかしながら複数の漫画化が 分業している本シリーズは タイトルによってクオリティに大きく差があり、 時にはこれはちょっと… というものに当たってしまうこともあります。 例えば『孫子の兵法』などは ・孫子が現代風にイケメン化、 ・時代考証滅茶苦茶、 ・漫画化なのに無駄に文量が多い、 ・薄っぺらいオリジナルストーリー、 ・孫子が君主になぜかタメ口 と完全に擁護不能の内容でしたし、 『ファウスト』など結末が 原作から改変されてしまって いるものもありました。 そこで本日は同シリーズを 読む際の一助として、私がこれまで読んだ中で 『本気で面白かったまんがで読破シリーズの おすすめタイトルベスト10』 をご紹介させて頂きます。 主な評価基準は ・漫画として面白かったか ・感動はあったか ・絵が原作にマッチしていたか ・読んでためになったか の四点です。 それではどうぞ! 10. この本の最大の見所は、 外国の情報が極端に乏しい 鎖国体制の江戸日本において オランダ語の書物の翻訳に挑戦する 玄白らの苦労と情熱です。 玄白らが丸一日かけたのに たった一行も訳せずに憤る場面や 思い込みで誤訳をしてしまったことを 悔やむシーンなどは 私も仕事柄英文を訳して読む機会が多いので 深く共感しながら読むことができました。 比べちゃダメかもしれませんが笑 終盤に玄白の口から語られる 『何かを学ぶときは むやみに信じたり疑うのではなく 実践的かつあらゆる可能性を 考える態度をもちたいものである』 というメッセージにも重みがあり、 読む前の期待以上に 読んでよかったと思わされた一冊です。 航空機のパイロットでもあった テグジュペリ自身の体験を基に、 危険極まる開拓記の郵便飛行事業に従事する パイロットや整備士、そして 彼らを監督する支配人リヴィエールの 生き様や労働哲学が描かれます。 中でも注目すべきは 支配人として職務に誇りを持ち、 時に非情な決断をもくだす リヴィエールの存在でしょう。 絵になりやすいパイロットの武勇伝だけでなく、 見落とされがちな管理職の苦悩や 格好よさをしっかり描いている点は、 自身も航空郵便事業に携わった経歴のある テグジュペリならではの視点です。 またコミカライズとしての クオリティも十分に高く、 暴風に巻き込まれた飛行士と 通信でやり取りする地上側の緊迫感や 航空機が雲海を突き抜けて 月明かりの中を飛行するシーンの美しさなども よく表現されていたと思います。 総じて『なんのために働くのか?』 という誰もが一度は考えたことのある 疑問について改めて考えさせてくれる一冊であり、 原作既読者にとっても 新たな発見のある内容でした。 金儲けにしか興味のないエゴイストで クリスマスが大嫌いな老人スクルージが クリスマスの夜に過去、現在、未来を司る 3人の精霊と出会い、金儲けだけに 生きることの虚しさと人のつながりの 大切さを教えられて改心するお話です。 このようにストーリーは至極単純で 今の時代から見るとちょっと ストレートすぎるかなと思わないでもないですが、 20代も後半になり金銭管理や人間関係に 頭を悩ます機会の多くなった 私のような年齢の人間からすると、 このシンプルさがむしろ強く心を打つ部分もあります。 また絵がついたことで小説よりも スクルージの心理的な成長に 読者が共感しやすくなっているのも良いところ。 絵柄も作品の世界観を壊すことがなく、 最後まで安定して読み進めることができました。 まんがで読破シリーズの中でも 読後感の爽やかさはピカイチなこの『クリスマス・キャロル』。 ある程度年齢を重ねた方にこそ読んでほしい、 心温まる大人のための童話ですね。 内容はキャラクター化された クラウゼヴィッツが 自身の来歴を交えながら 『戦争論』の内容について 滔々と話を進めるスタイルですが、 絵による表現や言葉選びに工夫があり、 普通にやると退屈になりそうな内容を 上手に興味深く読ませてくれます。 『ナポレオン軍はなぜ強かったのか?』 『戦争にはどんな種類があるのか?』 『攻撃よりも防御の方が強い戦闘形式である』 などの興味を引きやすいテーマに絞って 論理的に解説を進めているのも面白いポイント。 また終盤からは クラウゼヴィッツの時代を超えて 冷戦時代や核兵器が存在する現代にまで 考察の手を広げています。 現代の日本では かつてのような白兵戦こそないものの 人間同士の戦いがなくなったわけでなく、 本書の示す人間行動や社会に対する洞察は ビジネスや他者との交渉ごとなど 様々な局面で応用が効くものだと思います。 百年以上昔の戦術書という 難しいテーマを扱いながら、 ここまで面白く、ためになる内容に 仕上げた手腕は実に見事。 戦争にあまり興味のないという方にも ぜひ読んでもらいたいと思える秀作でした。 村上春樹の『1Q84』や 映画『未来世紀ブラジル』の 下敷きになったことでも有名ですね。 舞台はビッグ・ブラザー率いる 巨大な全体主義国家に支配された 1984年の架空のイギリス。 人々の思想や言葉が支配され 政府に逆らうものは存在ごと抹消される 究極のディストピア社会を描いた原作は 今に至るまで名作小説の名をほしいままにし、 社会や人間の本質について 私たちに大きな問いを投げかけ続けています。 そしてこの漫画版ではその1984の物語を 原作の雰囲気を壊さず上手にコミカライズしています。 ページ数の都合で原作から 端折られた部分も少なくありませんが、 それでも原作の持つ重苦しい独特の空気感や 全体主義への警鐘という最も 重要なメッセージはしっかり伝わってきます。 現代のあらゆるディストピアものの 源流を抑えるという意味でも、 監視社会に抵抗する人間の姿を描く スリルのある漫画作品としても 十二分に楽しめるおすすめの一冊です。 内容はルソーが架空の赤ん坊 エミール の教師となって、エミールが独り立ちするまで ルソーの考える最も理想的な教育を 施すという一種の思想実験です。 原作が成立したのは 今から250年以上も昔ですが 作中でルソーが繰り返し説くのは 自然の中で子供をのびのび育てて 感受性を育てることの重要さであり、 その主張は現代の私たちから見ても 自然に納得できるものばかり。 『不幸はものをもたないことではなく それを感じさせる欲望の中にある』 『子供は人から言われたことはすぐ忘れるが 自分がしたり人が自分のために してくれたことはなかなか忘れない』 『子供にふさわしい 道徳上の唯一の教訓は 誰にも害を与えないことである』 『私たちは2回この世に生まれる、 1回目は存在するために、 そして2回目は生きるために』 などの名言も盛りだくさんで、 とにかく得るものの多い一冊でした。 これから子育てを控えている方もちろん、 教育者を目指す方にもおすすめですね。 シンプルで可愛らしい絵柄や 適度に笑えるケインズ夫婦のやりとりが 経済学のとっつきにくさをうまく和らげており、 約360ページという大ボリュームながら 1日かけずに読み切ってしまいました。 流石にこれ一冊でケインズ経済学の 全てを理解できるとは言い切れませんが、 その大枠を掴むことや これから経済学に触れてみようという方の 第一歩目としては大変おすすめできる優れた一冊です。 被差別階級の穢多出身であることを 隠して生活している青年教師の瀬川が、 「自分は穢多である」と公言する思想家 猪子蓮太郎と出会い、自身の生き方に 葛藤する様子が描かれます。 中でも私の琴線に触れたのは 瀬川が猪子に自分は穢多ではないと 突き放した場面の猪子の表情の描き方と ラストの瀬川による子供達への 演説シーンのふたつ。 絵柄やギャグのセンスに少々クセはあるものの、 全体的に綺麗に物語がまとまっており、 人間が存在する限り決してなくならない 差別の残酷さを改めて考えさせられました。 しかしながら本書はそんなマキャベリを 常に周囲の強国に脅かされ続ける 情けない故郷フィレンツェを 何とか自立させたいと奮闘する 愛国心溢れる青年として描いています。 野心家のフランス王をはじめとする 諸外国との駆け引きや マキャベリ自身が編成した 自国軍によるピサ奪還作戦の過程などは 非常にスリリングで読み応え十分。 そして本書において マキャベリと同じくらい重要なのが マキャベリと同時代に生き、 マキャベリが君主論の中で 最も優れたリーダーの手本とした チェーザレ・ボルジアの存在です。 ローマ教皇の子として生まれたチェーザレは 軍人、政治家として優れた手腕を発揮し、 その一貫した冷徹さと的確な判断力で 次々に領地を拡大していきます。 マキャベリはそんなチェーザレと交流を持ち、 その活躍を肌で感じながら、 『理想的な君主 リーダー 』についての 思索を深めていくことになるのです。 このように本書は ストーリー漫画として楽しめるだけでなく ルネサンス期ヨーロッパの 複雑な政治関係の概要を掴む上でも 有益な一冊に仕上がっています。 そして何より、本書で示される 君主論の内容は人間心理の本質に迫るもので 文化や時代を問わず応用可能な普遍性があります。 『君主論』の大枠を掴みたい方はもちろん、 ルネサンス期のヨーロッパ史に興味のある方や 伝記物が好きな方にはこの 『君主論』を強くお勧めします。 『船』ではないから航海法が適用されず、 『工場』でもないため工場法も適用されない という無法地帯の蟹工船を舞台として、 権力を盾に横暴の限りを尽くす主任監督の浅川と 熱血漢の主人公、森本をはじめとする 労働者たちとの対立が描かれます。 作中で描かれる労働者たちの生活は まさにこの世の地獄。 さらにノルマが厳しくなると 成績の悪い班には 焼きごてのペナルティが課され、 労働から逃げようと逃亡を図れば 賞金がかけられて見つかれば 半殺しになるまでリンチされる。 もし自分がこんな世界に放り込まれたら きっと3日も耐えることができないだろうと 読んでいて底冷えするような恐怖を感じました。 ちなみに蟹工船は完全な作り話ではなく、 当時漁船『博愛丸』で実際に起きた 虐待事件をベースとしています そして有給や労働法など、 昔と比べればはるかに充実した ぼくらの今の労働環境が こうした昔の人々の苦しみの上に 成り立っていることを強く痛感させられました。 また単に一つの漫画作品としてみても面白く、 資本家の代表である浅川を悪、 それに立ち向かう主人公たちを善と はっきり分けて書いていることで 読者がカタルシスを得やすい構図になっており、 構図や台詞回しにも迫力があって 最後まで飽きずに読ませるパワーがあります。 逆に惜しかったなと思う点はラストの駆け足感。 そして 時代的に仕方のないことですが 共産主義を過度に美化しているきらいがあるところです。 しかしながら総合的に見ればこの『蟹工船』は シリーズの中でも一番面白く、 最後までワクワクして読めた作品でした。 全ての人に関係ある労働という問題を 扱った名作として、すでに大人になった ぼくら以上にこれから社会に出て行く 学生の方にこそ読んでもらいたい一冊です。 おわりに まんがで読破シリーズの おすすめタイトルベスト10、 いかがでしたでしょうか。 これらの漫画を気に入ったら、 より理解を深めるためにぜひとも 原著にあたってみることをおすすめします。 蟹工船や破戒などは青空文庫で読むことも可能 それでは!•

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まんがで読破とは

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マンガで読破 シリーズ

まんが 読破

こんなものは『資本論』でも何でもない、ただのお話ではないか、と。 『蟹工船』などで有名になったイースト・プレスの「まんがで読破」シリーズについに『資本論』が入ったと聞いて、発売されるやいなや買ってみたのだが、読むなり呆れたのである。 しかし。 しかし、もう一度冷静になって読み直してみると、どうもそうとだけはいえない、と思い直すようになった。 現時点でのぼくのこの本への評価は、一言でいうなら「微妙」というものである。 まず、この本の積極的な価値から考えてみよう。 『資本論』のコミカライズとくれば、誰もが「学習漫画」形式の解説漫画を発想するところだ。 ところがである。 本書は 全編これ物語なのだ。 いわば「お話」によって『資本論』を理解させようという試みなのである。 ある意味、これは画期的なことだ。 ぼくも『資本論』を真にコミカライズするのであれば、先生と生徒にあたる人間が出てきて「言葉」で解説するようなものではなく、できるだけ「物語」にすべきだと考えていた。 別段『資本論』だけでなく、解説漫画はそうあるべきだと思う。 少なくとも先生と生徒という二人の話者がひたすら言葉だけをつむいで、結局漫画は「解説の挿絵」になってしまうことは避けたいと考えていた。 結局それはコミカライズではなく、解説書を読むのと同じではないか、という考えからだ。 しかし、どうしてもそれが避けられないものもある。 あるいは、「先生と生徒」方式が絶対にダメなのではなく、やり方次第ではうまく解説できることもある。 『資本論』の場合、ぼくはおそらく章やトピックごと(「価値」とか「貨幣」とか「絶対的剰余価値の生産」とか)に物語をつくって例示し、そこに「先生と生徒」が解説を加える、というやり方がベストではないかと考えている。 しかし、これは膨大なページ数を擁するし、『資本論』の知識を生かしながら漫画を組み立てるには独特の能力が必要になる。 まあ、当面は無理だろうというのがぼくの思いだった。 ところが、イースト・プレスの『資本論』は、「先生と生徒」という対話による解説形式をとらずに、物語という形式をとった。 しかも驚くべきことに、章やトピックごとに物語を作るのではなく、全体を180ページほどに凝縮したうえで、通貫する一つの物語として提示したのだ。 出来不出来はともかくとして、これは驚嘆すべき事態だ。 そこに挑んだ、というだけですでに歴史的な意味があるといってよい。 本作は、父親とともにチーズ生産を小経営でおこなっていたロビンがダニエルという投資家=資本家と組むことで資本主義的経営へ乗り出す話だ。 金をもうけるために労働者を無理に働かせたり、協業・分業を合理化したりする努力を重ねる。 しかし、ロビンは労働力商品を搾取することに日々疑問を強くしていく……というストーリーである。 こうしたストーリーに乗せて『資本論』第一部のエッセンスを挿入していく。 ところどころの柱の部分に「使用価値」「抽象的人間労働」「貨幣の物神性」などといった「キーワード」がさしこまれている。 それもほんとに簡単な1行なのだ。 そう、「まんがで読破」というこのシリーズのコンセプトは、言い換えれば「 どんなにアホでも読破してしまえる」ということなのだ。 イースト・プレスの編集者・企画者に話を聞いたわけではないので、その心情を勝手に代弁することになるが「専門家の立場からみて、いかに正しい、いかに体系的で新しい理論的観点を盛り込んだとしても、 読まれなければ、しかも読破されなければ、それは専門家のオナニーでしょ?」ということになる。 じゃあちょっとレベルを落として平易にして……いやいやそんなことをやってもついてこれない人がいる。 どんな人だって読破できなければいけない。 それは多少不正確だろうが、結局『資本論』のエッセンスを十分に理解しなかろうが、読破させることがこのシリーズなのだ、と。 そこまで開き直れば、このように物語にして、最低限のキーワードだけを挟み込むというやり方は実に画期的だといえる。 そして、よく見ると、この漫画には『資本論』第一部の基本的論点が盛り込まれているのである。 まず、物語にたいして、作者が意識的にもちこんだ学問的観点である「キーワード」は本文中に全部で7つある。 「使用価値」「抽象的人間労働」「交換価値」「商品のメタモルフォーゼ」「剰余価値」「搾取」「貨幣の物神性」。 この7つは作者の側が「物語の中で『資本論』の具体化として描いたつもりですよ」と宣言しているものである。 たとえば、ロビンがダニエルに投資の話を持ちかけられた後、チーズ作りをしている父親のいる家に帰るシーンがある。 そこにチーズを「買い」に老婆がやってくるが、代金を渡せず老婆の家でつくっているトマトを渡そうとする。 ロビンは言いにくそうにお金で払ってほしいと言おうとするが、父親はそれを遮り〈奥さまのトマトは最高ですよ。 手間暇をかけたのがわかります。 料金はあるときで結構です〉とのべる。 老婆が帰った後、父親はロビンにむかって〈ロビン、金が何でできているか知ってるか? 労働だよ 金は人の労働と手間暇からできてるんだ〉と教える。 このシーンでは、最も素朴な労働価値説の基本点が教えられるとともに、お金も労働の対象化した商品の一つ、もしくは商品と互換可能な労働生産物の一つであるという貨幣論が展開されている。 ある量のチーズと、別のある量のトマトは同じ「手間暇」をかけた労働生産物であり、交換が可能なものだ。 しかし、人は一般的等価物である貨幣をほしがる、という問題が示されている。 ロビンが工場経営をまかされ、その工程をどう合理化して品質とコストと効率をあげるか悩んでいるときに、ロビンは工場で働く子どもに出会う。 ロビンがその子にどんな仕事をしているか、何をつくっているのかを聞くのだが、どちらも、 〈僕はこっちからきたものをガチャンってやって こっちに渡すものを作ってます!〉 とくり返すばかりだった。 工場で働く子はロクな教育も受けてないからアホだという、ロビンの補佐役の人間が笑う。 ロビンはサボってばかりで働かない労働者たちをどう規律正しく、精勤する労働者に仕立て上げるか、そしてそのためにどう作業工程を合理化するかに頭を悩ませている。 このシークエンスには「キーワード」はないのだが、工程の単純化、児童労働の採用など、『資本論』でいえば相対的剰余価値の生産、分業・協業などにつながる問題が盛り込まれているのがわかる。 物語のラスト付近でロビンは、ダニエルが溜め込んだ金塊を見せられる。 その金塊を集めるために人間が支配し、悩まされ、殺し、裏切るという行為を犯していくことをダニエルに教えられる。 そこに「キーワード」が配置されているように、そこでは「貨幣の物神性」を示したいらしい。 ロビンは爾来「なんのために」という自問をくり返す。 なんのために金を集めたかったのか、という問題だ。 そして、ラスト付近には、労働者は効率化で激しい労働強化に追い込まれ、それによって利潤がますますあがっていき、一方での富の蓄積と、他方での貧困の蓄積という、資本主義的生産の蓄積法則が示されている。 交換価値と使用価値に始まり、資本主義的生産の蓄積法則まで——おお、実は『資本論」第一部の柱を物語の中にすっかりとりこんでいるのではないか! 〈このまんがは原書『資本論』の主に第一巻をベースにして物語化しています〉と編集部があとがきに書いているとおりなのだ。 まとめてみると、• 価値と使用価値• 抽象的人間労働• 貨幣の物神性• 剰余価値(絶対的剰余価値)と搾取• 相対的剰余価値、特別剰余価値• 協業と分業、資本の有機的構成の高度化• 資本主義的蓄積の一般的法則 ……いまぼくがかなり強引にこじつけたもののあるが、本書はこれだけの論点を網羅しているのである! これは『資本論』第一部の骨格そのものだ。 とにかくどんな水準の読者であっても必ず読破させるために、いっさいの難解な概念を本編から排除し、だれでも読み通せる「物語」(そこには恋愛感情とか幼なじみといった「小芝居」ももりこんで!)にかえること、そしてそこには『資本論』(第一部)の基本的な概念を盛り込むこと——本書はこの要請を満たしているのである。 この戦略そのもの、そしてそこに挑んだことは、ぼくは壮挙ではないかと思う。 評価を考え直さざるをえない理由はこれだった。 しかし、そうであってもなお手放しで肯定的な評価をできないのには、二つの理由がある。 一つは、個々の命題の「解説」だ。 エンゲルスはマルクスの経済学説を解説して、その核心を剰余価値学説の成立、すなわち搾取の秘密の暴露に見た。 〈この問題を解決したことが、マルクスの著作の最も画期的な功績である。 ……科学的社会主義は、この解決とともに始まり、この解決を中心として成立している〉(エンゲルス『反デューリング論』国民文庫版、下p. 386〜387)。 剰余価値(もうけ)は等価交換のルールをやぶらずにどうやって生まれるか、つまりなぜ資本家は労働者を搾取できるか、という命題は第一部において決定的ともいえる重要な命題である。 本書ではどのように解説されているかというと、「キーワード」が配置され、そこでは、〈剰余価値……労働力の価値(賃金)を越えて生産する価値〉という定義づけがなされている。 これは簡潔に本質を伝えている。 しかし、その横に配置されている物語では、ダニエルがロビンに「錬金術」を指南するとしてこういう説明をしている。 〈我々は労働者から「労働力」という商品を買っていると… しかしこの商品は特殊だ 使い方によって価値が変動してしまう 商品が命を保つための最低額があるとはいえはっきりとした価値が定められていない そこで本来は金貨二枚分の商品を金貨一枚の契約で購入する 金貨一枚で金貨二枚分働いてもらうわけだ… すると… 我々は指一本動かすことなく金貨一枚を生み出せる〉 これは「労働力を不当に買いたたくことでモウケが生まれる」という説明であり、「労働の価値」と「労働力の価値」を混同する典型である。 労働力の価値と、その労働力が使われることで生み出される価値量との間には、量的に何の関係もない。 労働力の価値は、労働力を再生産するために必要な衣食住商品の価値量によって規定されている。 しかし、資本家がそれを使って途方もない価値量を作らせるか、それともホンの少しの価値量しか作らせないかは、労働力商品の購買者である資本家の権利である。 馬がたべる馬草の量と、その馬がどれくらいの仕事をするかとは直接には関係がないのと同じだ。 この「労働力と労働」を区別することによって、マルクスはそれまでの古典派の混乱から脱出でき、剰余価値学説を確立するにいたったとされている。 それほどまでに重要な概念なのだが、ダニエルの説明は見事なまでに古典派の混乱を引き継いだものになってしまっている。 労働力は不当安く買いたたかれなくても、つまりその価値どおり買われても、それでも搾取はなされている、というのがマルクスの説明なのだ(言い方をかえれば、どんなに高賃金であっても賃金分を超えて働かせる以上、必ずもうけが生じるのだ)。 もっとも核心をなす命題の解説がこれでは、『資本論』解説書という看板が泣くというものである。 そして、もう一つ、ぼくが本書を手放しで評価できない理由は、 やはりこれで曲がりなりにも『資本論』を読んだということに果たしてなるのか、という疑問がぬぐえないからなのだ。 たしかに『資本論』第一部の主要論点をカバーしている。 しかし、物語で垂れ流しているだけでは、読者はただの「お金儲けを追求することで何かを見失ってしまう物語」としてだけ認識しないのではないか。 いや、そんなことはない、と作者は言うかもしれない。 「物語で垂れ流すだけでなく、登場人物の警句的なセリフで命題を意識させ(たとえば前述のロビンの父親が言った〈ロビン、金が何でできているか知ってるか? 労働だよ 金は人の労働と手間暇からできてるんだ〉というセリフ)、さらに『キーワード』によって補足している。 そこにひっかかりができ、認識を深める結節点をつくることができる」などと(想像ですけど)。 なるほどそれは一理ある。 しかし、マルクスは自著を〈芸術的な全体をなす〉と評したことがあるように、それはロジックの堅牢な建物になっているのだ。 それがまるでないのではないか。 作者はまた反論するかもしれない。 「いや、それはロジックというもので想定される範囲が狭い。 この本は物語が一つの流れ、一つの連関を示しているのであって、それがロジックそのものなのだ。 物語が論理なのだ。 ほら、ヘーゲルは現実が論理的であると言っただろう?」(くり返しますが、この反論はぼくの想像ですよ)。 口の減らない奴め。 それでもどうもぼくは釈然としない。 結果的にこれを読んだ後、『資本論』とはこういうものだという認識を漠然とでも読者が抱けるとは思えないのだ。 またしても作者は反論する。 「たとえば、あなたがおすすめしている嶋崇の『今こそ「資本論」』(朝日新書)という文字だけの解説書だって、それを読了したからといって、その人がただちに『「資本論」とはこれこれのことが書かれた本だ』などと要約できると思いますか? いや、『資本論』そのものを読んだ人の方がむしろまとまった印象を語れないんじゃないですか? あなたは第一部を読了した大学1年生のとき、そんなことを語れましたか? 雰囲気だけ味わっただけでしょう?」。 うーん、なんだか想像上の反論を想定していくうちにうまく再反駁できなくなってしまった。 でもこの本を読んで『資本論』を一部分でも読んだという気になれないという思いはどうしても残る。 それはおそらく、たとえ解説書であっても『資本論』の内容にふれたとき、常識を覆してしまう爽快感があるんだけども、この本にはそれがない、とぼくは思うのだ。 「常識を覆す爽快感」というのは、やはり搾取の秘密を暴露するところにその核心がある。 等価交換という市場経済の約束を守りながら、搾取をおこなう、という、マルクスが『資本論』で〈手品は成功した〉と自分の発見を喜んでいるあの部分だ。 本書を読んでもそういう感慨がわいてこない。 日常の物語に添いすぎていて、読者は日常的な感覚を離れることがまったくないのだ。 日常の感覚を科学的な視点から再把握させるところに社会科学書としての醍醐味があるのに、それが非常に薄い。 だから、どうも釈然としないのだ。 しかし、作者側はくり返しぼくにこう言って諭すだろう。 「そういう爽快感を得ることが社会科学書の解説本の役割だということは、どこでも合意になっていないことです。 あなたの勝手な思い込みでしょ。 それよりも、どんなレベルの読者にでも最後まで読み通させ、少しでも『資本論』の香りを嗅いでもらうことの方が大事ですよ。 あなたの言っているのは自己満足にすぎません。 あなたが爽快感を味わった解説書とやらは、いったいどれくらいの人が読破できたんですかね?」 ああ……。 どうも想像上の作者からの反論にはうまく反論しきれないなあ。 『資本論 まんがで読破』 作:マルクス 漫画:バラエティ・アートワークス 2008. 28感想記 この感想への意見は.

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