氷室京介布袋寅泰共演。 氷室京介と布袋寅泰の確執と不仲の原因は?再会から共演はあるの?

布袋寅泰の新曲に元BOOWY高橋まこと&松井常松が参加。氷室京介抜きの再集結にファン複雑な心境で…画像あり

氷室京介布袋寅泰共演

桃井かおりさんのお二人以外にも海外の大物も登場していて人脈の広さに驚かされます。 アメリカなど海外にいくと日本人は日本人だけのコミュニティを形成することが多い(どの国もそう)ですが、彼らぐらいの成功者になると、国籍よりも経済力や地位がコミュニティの入会条件となってきます。 私のような底辺だと仮に近所に住んでいてもディナーに招待されることはないでしょう。 氷室京介さんがインスタやツイッターをやってたら、恐らく長年のファンは複雑な気持ちになるので、今の友達のSNSでたまに顔見せぐらいの状況は悪くないと思います。 氷室京介はハゲてない ここ最近の画像では常に帽子を被っていることから、ハゲているんじゃないかという声ありましたが、それはないと思います。 2000年の氷室京介さん。 ヘイヘイヘイに出演されましたが完全にフサフサです。 今はもしかすると白髪を隠しているのかもしれません。 そもそも今現在は自毛植毛の技術が進歩しており、例えばサッカーのルーニーぐらいの重度の薄毛でも植毛で復活することができます。 氷室京介さんが仮にこれから先ハゲてしまったとしても、植毛でどうにでもできる時代です。 子供は息子が二人、娘が一人の3人いるという話もありますが、顔画像や詳しい情報は一切公開されていません。 実家は精肉店?ストーカーに放火被害 寺西末広支店というお肉屋さんがファンの間で聖地となっています。 高崎の絶メシリストに登録されている、寺西末広支店。 ヒムロックこと氷室京介さんの実家の精肉店の支店。 氷室さんのお父さんの弟弟子さんが暖簾分けされて誕生した店で、氷室さんも子供の頃よく遊びに来たとか。 跡継ぎがいないようなので今きりもりしているお爺さんの代で終わりなんですかね。 ちなみに氷室京介さんの実家はストーカーに火をつけられ半焼するなど散々な目にあっています。 容疑者はストーカーかもしれない。 若い頃の氷室京介がイケメンすぎる件 BUCK-TICKの櫻井敦司にイケメンだからボーカルやったほうが良いと進言したエピソードは有名ですが、氷室京介さんも負けず劣らずイケメンでした。 リアルめヒカル兄ちゃん、若い頃の氷室京介み感じる — 石川洋食 ishimol0725 若い頃の氷室京介、SJのドンへに似てるかも。 氷室京介さん曰く、アメリカのブラックバスは日本より筋肉質とのこと。 海釣りでは初心者の吉川にわざと負けたと豪語していた氷室さんはとてもお茶目で面白かったです。 そもそも地元で有名な不良の氷室京介が先輩、格好だけのなんちゃって不良の布袋寅泰が後輩という立場で、力関係が明確であったため揉める要素がありませんでした。 ところがバンド活動していくにつれ、布袋寅泰が作曲家としてバンド内で序列を上げていきます。 彼にはメロディーラインを作るセンスがありました。 無論氷室京介もカリスマ性のあるイケメンの人気ボーカルで絶対的な立場を失ったわけではありません。 しかしながらバンドの顔は二人はいらないので、まずその部分で軋轢があったのかなと思います。 長らく再結成を模索していましたが無理と分かったからですかね。 彼によると 「チャートで1位になったんですよ。 あっ、来たな。 燃え尽きる時が近づいてきたなっていうのが、4人の中にあったと思いますね」 瞬く間に成功の階段を駆け上がった若者にありがちな、燃え尽き症候群のような状況にあったようです。 著書でも解散について言及されています。 解散を最初に言い出したのは俺だった。 しかし、結成以来、揺れに揺れ続けてきたバンドを崩壊に至らないよう手を尽くしてきたのも俺である。 最後の最後で、俺がワルの役を買って出ただけの話だ。 しかし、その理由は墓まで持っていくつもりだ。 女にだらしないのが気に入らなかったみたいよw — みみりん mimirinco 共通の友人であった山下久美子を巡り二人が揉めたというウワサもあります。 布袋寅泰さんが山下久美子さんをモノにするため、彼女と音楽活動したことに氷室京介が辟易したという話ですが、本当の所は分かりません。 (これについては高橋まことが著書で暴露) その後布袋ー山下久美子は離婚、現在の布袋寅泰さんの女性関係のだらしなさを見るに、真面目な氷室さんからすると目に余る状況だったのかもしれません。 ボーイの解散理由はそれら複数の不和によって、若者同士が折り合いをつけることができなくなったのかなと思います。 絶頂期だったので所属事務所には相当慰留されたはずです。 解散後も普通に売れ続けた布袋と氷室の才能はさすがですね。 氷室京介の資産、収入 今でこそミュージシャンはライブで稼ぐようになりましたが、当時はCD全盛で印税の権利を手にする作詞作曲者が最も稼げる時代でした。 ボウイの「SCHOOL OUT」という曲に感化されて高校を中退した、と手紙を貰った氷室京介が自身の影響力の大きさを痛感してその後、あまり作詞をしなくなったという話を聞いて、ヒムロックがさらに好きになったし、子供は単純すぎて怖いと思った記憶。 シングル、アルバム、累計売上枚数 ソロ限定でもシングルでは累計700万枚以上、アルバムは500万枚以上売れています。 これに加えて氷室京介さんはライブでの集客力がありますので、生涯収入30億円~50億円ぐらいはある計算になります。 これはもう熱心なファンも諦めているようです。 高橋まことと松井恒松とは両名問題ないようですが、やはり布袋と氷室というカリスマ二人が修復不可能なんですかね。 再結成の機運が最も高まったのは東日本大震災の時でしょうか。 あとは氷室京介さんが2017にラストライブを行うとなった際に、布袋寅泰さんがブログで競演をアピールしていたこともありますが、それも無視されていました。 一人ハウンドドッグの大友康平とは違います。 お金にも全く困っていませんし氷室京介さんとしては再結成するメリットは無いんでしょうね。 引退はしていない あくまで活動休止です。 最後のライブでは60歳になったら新しいアルバムを作ると宣言して客席を盛り上げていたようです。 氷室京介、60歳のときに新しいアルバムを作ると、LAST GIGS最終日に宣言! タイトルは「還暦」。 1曲目「60」、2曲目「年金」だと言って、東京ドームの観客は大爆笑。 新しいアルバムを作ることは、本気みたいです! — jumbo pacmay0313 この類の宣言は実現しないことが多いので、期待しすぎるわけにもいきませんが、どういう形であれ復帰の道がないわけじゃないという事実はファンにとって一筋の望みとなりそうです。 ただし耳の病気のことがあるのでライブ活動からは恐らく引退、アルバムやもしかするとシングルの制作はまたやってくれる可能性はあります。 現在59歳、何気に2020年には60歳となりますがニューアルバムは実現するのでしょうか。 楽しみにしています。

次の

氷室京介と布袋寅泰の不仲に隠された真相がヤバイ!?自宅や年収の驚きの実態とは!?

氷室京介布袋寅泰共演

概要 [ ] 、出身の、、を中心に東京で結成される。 初ライブ後にが加入し、に『』でレコードデビュー。 当初は6人編成だったが同年秋に2人が脱退し、以降は解散まで4人編成で活動する。 を基調としでありながらもシャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンドや、をステージ衣装に使用したり、逆立てたヘアースタイルなどの斬新なビジュアル等が多くの支持を集め、5thアルバム『』と6thアルバム『』は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のを記録した。 シングルでもに「」が初登場1位を記録し、名実ともにトップバンドへとのし上がった。 しかし人気絶頂の最中のに解散を宣言。 この突然の出来事は世間に大きな衝撃を与えた。 翌年4月4日、5日に完成直後の東京ドームで行った『LAST GIGS』にてバンド活動に終止符を打つ。 翌月にリリースされた『』は、ライブ・アルバムとしては異例とも言える150万枚のセールスを記録している。 解散後も、や未発表音源がリリースされると常にチャートの上位にランクインしており、今日でもなお日本のロックシーンに変革をもたらしたバンドとしてその地位を確固たるものとしている。 メンバー [ ] 解散時 [ ]• :(リーダー)• (現:常松):• 元々プロデューサー志望であったため、高橋が加入するまでのサポートメンバーだった。 脱退後の1983年にアルバム『』のプロデュースを担当。 現在も音楽プロデューサーとして活動する傍ら、2012年末から「SEIHITSU」名義でミュージシャンとしても活動を始めている。 深沢和明 ( ふかさわ かずあき ) 、1982年10月9日脱退 群馬時代、布袋が結成した「ジギーリギー」でサックスを担当。 現在は「東京パワーゲート」という劇団で舞台役者として活動中。 諸星アツシ ( もろぼし アツシ ) ギター、1982年10月9日脱退 群馬時代は氷室、松井と共に「デスペナルティ」でギターを担当。 在籍時にTBS系列「」に出演している(主演のドラマ。 役名:中井高夫)。 メンバーの変遷 [ ] 略歴 [ ] 1980年 [ ]• 7月5日 当時ヴォーカルとして所属していたバンド『』を脱退し帰郷を考えていたが、でののライブを観て新たなバンド結成を決意する。 後日、に連絡を取りの前で再会。 9月 が加入。 深沢和明、諸星アツシが加入。 1981年 [ ]• サポートメンバーとして木村マモルを迎え、メンバーが揃う。 所属事務所の副社長でサウンドプロデューサーのにより、その当時「 ()」というイギリスのハードロックバンド(メンバーは全員男性)がいたことに対抗し、こちらは男ばかりだからそのまま「ボーイ」だろうということで、当て字で『暴威』と命名された。 それを聞いた社長のからは、当時人気だった『』にあやかって『群馬暴威』という名を提案されたものの、メンバーから猛反対され即ボツになった。 ちなみに、の名前から命名されたという俗説もあるが、当時の媒体の思い込みによるものである。 5月 最初のアルバム『』レコーディング開始。 5月11日 新宿ロフトでデビューライブ「暴威LOFT FIRST LIVE」を行う。 ちなみに、このギグのは13人(男性9人、女性4人)」。 その中には山田淳の誘いで観に来たもいた。 他には、氷室と同郷の女暴走族リーダーおよびその連れの女性2名。 後日、高橋がスタジオでのセッションを経て正式加入し、木村が脱退。 1982年 [ ]• 3月21日 より最初のアルバム『MORAL』発売。 プロデューサーはの渡辺モリオ。 9月9日 渋谷PARCO PARTIIIのライブで「CHANGE COSTUME」と題し、それまでのパンキッシュな楽曲から系のメロディアスな楽曲へとシフトチェンジ。 衣装も黒ずくめからカラフルなものに変える。 このライブがバンドの一つの転機となった。 10月9日 この日行われたでのライブを最後に深沢と諸星が脱退し、氷室・布袋・松井・高橋の4人編成となる。 1983年 [ ]• 4月30日の新宿LOFTを皮切りとして、「AFROCKABILY LIVE」と題したシリーズGIGを展開。 9月25日 よりアルバム『』発売。 プロデューサーは脱退した木村マモル。 サンプル盤の「OH! MY JULLY」のB面、「FUNNY-BOY」が新宿有線で3週連続1位を獲得。 12月31日、が発起人となっているイベント「NEW YEAR ROCK FESTIVAL」(西武劇場 )に出演。 1984年 [ ]• 3月30日・31日 新宿LOFTで2DAYSライブを敢行(「BEAT EMOTION LOFT 2DAYS 〜すべてはけじめをつけてから〜」)。 ホール展開も視野に入れたバンドの飛躍へ向けた「けじめ」のライブであった。 5月31日 拠点を渋谷LIVE INN へ移し「BEAT EMOTION」と題したシリーズギグを行う。 夏からは同名のタイトルで全国ツアーを展開。 10月7日 ユイ音楽工房(現:ユイミュージック)と契約し、レコード会社をに移籍することを決定。 同時にライヴの半年間休止も発表された。 12月6日 氷室、「狂介」から「京介」に改名。 1985年 [ ]• 2月24日 ベルリンので『』レコーディング開始。 3月12日 ロンドンの ()でGIGを行う。 4月13日 赤坂ラフォーレミュージアムでマスコミに招待状を送ったコンベンションライブを行う。 6月1日 最初のシングル「」発売。 6月21日 アルバム『』発売。 プロデューサーは。 6月25日 で初の大ホール・ワンマンコンサートを行う。 8月22日 シングル「」発売。 12月24日 で同ツアー終了。 このライヴ終了後にステージ上で布袋がとの結婚を発表した。 1986年 [ ]• 2月1日 シングル「」発売。 3月1日 アルバム『』発売。 3月24日 青山スパイラルホールで「JUST A HERO TOUR」開始。 7月2日 で同ツアー終了。 7月31日 上記の武道館公演を収録したライヴアルバム『』を限定盤(後に通常盤が再発売された)として発売。 8月2日-3日 の野外ライブ「第6回サマーピクニック」()にゲスト出演。 9月29日 シングル「」発売。 11月8日 アルバム『』発売。 11月11日 より「ROCK 'N ROLL CIRCUS TOUR」開始。 1987年 [ ]• 2月24日 で「ROCK 'N ROLL CIRCUS TOUR」ツアー終了。 4月6日 シングル「」発売。 7月22日 シングル「」発売。 しばらく演奏されていなかった初期の曲もセットリストに含めた、バンドの総括的なライブであった。 8月7日にはでも開催された。 8月22日・23日 にて行われたライブ・イベント「」に出演。 9月5日 アルバム『』発売。 9月16日 で「ROCK'N ROLL REVIEW DR. FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」開始。 10月26日 シングル「」発売。 12月24日 同ツアー最終日でのライブ中に解散宣言。 12月25日 新聞各紙の広告スペースに解散メッセージが掲載される。 1988年 [ ]• 2月3日 未収録3曲を追加した『』、12インチシングル「」発売。 4月4日・5日 にて「」を行う。 解散コンサートではなく、少し早い同窓会だとメンバーは語った。 終了後の移動車両の中でメンバー全員が泣いたという。 5月3日 アルバム『LAST GIGS』発売。 12月24日 アルバム『SINGLES』発売。 逸話 [ ] 結成 [ ]• 当時付き合っていた彼女とも別れてしまい、ついには音楽の道を諦め、帰郷する決意をする。 しかし、最後のつもりで立ち寄ったでののライブを観て一念発起。 群馬時代のライバルだった布袋のもとへ連絡を入れ、アマンドの前で再会する。 この時に布袋は、氷室の風貌が群馬時代の硬派な印象から風へ変化していたことに驚いたという。 同郷のライバル同士ではあったが、当時2人の間にそれほど面識はなかったため、布袋は氷室からの連絡を受けた際に「(群馬から東京に出てきて、のような生活をしていることを聞いた氷室から呼び出されて)殴られるんじゃないか」と思ったという。 また当時を振り返り、地元で有名な不良少年の氷室が怖くて誘いを断りきれなかった、とよくネタにしている。 しかし実際には、氷室と松井が布袋の自宅に遊びに行ったり、病気療養中の布袋の見舞いに行ったりする程度の交流はあったようである。 松井はのベーシストとして既にプロ活動をしていたが、バンドが解散するにあたり、織田から旧友である氷室が新しいバンドを結成しようとしていることを知り、後に氷室と布袋に合流している。 高橋は前述の通り初ライブを観賞しており、終演後は楽屋にも訪れている。 その時のことを「怖そうな氷室、デカい布袋、寡黙な松井。 とにかくおっかない連中だなという印象だった」と懐述している。 布袋いわく氷室は高校時代、極道のイメージが強くて帝王のような存在として広く知られていたが、歌は上手く歌唱力はプロ級だったと語っている。 メディアへの露出 [ ]• テレビ番組への出演は少なかったが、デビューして間もない頃にドラマ『』()第524話「ラガーのラブレター」に出演している。 ただしこの回は権利関係のためDVDでは欠番扱いとなっているが、オンエアに関しては問題ないらしく、2013年1月にはででも2016年3月にHDリマスター版が放送されている。 音楽番組としては『』()、『』(フジテレビ)、『』(日本テレビ)、『』()などに数回出演している。 の番組『メリー・クリスマス・ショー』で吉川晃司との「」をカバー。 その他ではオープニングの「」(同じくビートルズの曲)、出演者のほとんどが参加したロッケストラ名義で「」(の曲)、「」(の曲)、エンディングの「」にも参加している。 『夜のヒットスタジオ』の「対面シリーズ」では、氷室の初恋の女性が登場して、氷室は「さすがフジテレビだぜい! 」と驚いた。 本当にこの女性が来るとは思っていなかったため、収録後にメンバー全員が出演したことを後悔したという。 同番組に「」で出演した際には、司会のから「(氷室の衣装が)の買い物帰りのおばさんみたい」と言われ、布袋に対してはの物真似を強要させられ 、また高橋は自前のドラムセットを使えなかったこと 等が原因か、テレビ出演は1986年12月を最後に途絶えている。 バラエティ番組である『いきなり! 氷室が「俺のオヤジ、邦子ちゃんの大ファンなんです」とカミングアウトすることもあった。 本番組にはメンバーが酔っ払ったまま出演している。 音楽雑誌に掲載された記事も少ない。 「」がヒットした直後からインタビュー等のオファーが殺到するが、それらのほとんどを拒否している。 数少ないインタビュー記事は、ブレイクする以前から懇意にしていたライターや、自分たちの音楽をよく理解してくれていたライターの雑誌に限定されていた。 このような対応の裏には、まだライブハウスで活動していた時期に、熱意剥き出しで挑んだインタビューがほんの僅かしか掲載されていなかったり、懸命にスタイリングして撮影したはずの写真が掲載されていなかった等の経験から、への不信感を抱いたことが影響している。 そのため、著名なが関係者入口で門前払いにされたり、レコード会社の重役がファンに揉みくちゃにされながらライブを観るといった珍事が続発したという。 メンバーの経歴 [ ]• 氷室の芸名の由来は、漫画「」の主人公から。 初期は「狂介」という芸名だったが、京都のに「『狂』という文字は絶対に使ってはいけません」と言われ、現在の「京介」に改名した。 改名後売れたため、以後もう占いをしないと決めたらしい。 松井の『恒松』の芸名は、本名の「恒」を活かしての『恒松正敏』をヒントにしたもの。 高橋は読み方は同じだが、本名は『信』という漢字表記のため、厳密には芸名になる 1985年頃までは「BAD FEELING」の作詞者クレジットにもあるように、漢字の方の名前を名乗っていたこともあった。 布袋は、メンバー4人の中で唯一本名を名乗っている。 高橋加入後のでのライブの際、の遅れにしびれを切らした氷室が店長と諍いを起こしてしまう。 しかし、この時の店長が偶然にも高橋の旧友だったため、後のライブブッキングや打ち上げの面で有利に働くこととなった。 氷室はバンドを結成した当初は、英会話教材のセールスマンをしていたこともあり、営業成績も優秀だったという。 しかし車の誘導のアルバイトでは車をぶつけ、パチンコ屋では台を壊し、ゲームセンターでは出勤3日目には先輩を見切り1日中ゲームをして遊んでいたというエピソードもある。 布袋は喫茶店のアルバイトの面接に行った際、「背が高すぎる」という理由で不採用になったことがある。 また居酒屋でチューハイを1杯だけオーダーして別のテーブルの残り物を食べたり、夜中に酒屋の脇に積んであるビンを失敬し翌日何食わぬ顔でそれを換金して小銭を稼ぐなどしていた。 松井は六本木の内にあったゲームセンターで働いていた際、店長に「髪立ててメイクしてバイトに来るのやめてくれない?」と注意されたことがある。 後にの「ミント」というカフェバーのマスターとなったが、店がバンドの連絡先も兼ねていたため熱心なファンが通いつめ、利益が上がらず閉店してしまった。 高橋は運びのアルバイトをしており、正社員への推薦を貰うほど勤務態度も優秀だったという。 また地方へ遠征する際は、他メンバーに内緒でへそくりを持っていた。 内緒にしておかないと「酒を飲もう」「飯を食おう」と言われることになるからと、後のインタビューで語っていた。 「(遠征先にて金欠になると)まこっちゃんが靴を脱いでへそくりを出してくる」という光景が多く見られたという。 金額はとりあえず車で東京まで戻ってこられる額だったという。 氷室と布袋はなかなか定まった仕事に就かず、両者とも当時同棲していた女性に半ば養ってもらうという状態だった。 そのためバンドの活動資金は主に松井と高橋のアルバイト代や、ファンから多めに徴収した打ち上げ代などで補っていたそうである。 その他 [ ]• 「紺待人」のペンネームで書籍「大きなビートの木の下で(1986年 ソニー出版)」などバンド関連の書籍等も手掛けた。 ライヴハウス時代、で3万人規模のコンサートがあるという話を聞き出演のために駆けつけたところ、それは村の夏祭りでステージに集まっていたのは30〜40人ほど、は村で収穫された野菜や酒だった。 村に到着した時点ですでに金欠状態でありギャラを帰りの交通費として考えていたため、メンバーは非常に困惑したという。 東京まで戻った手段については「消費者金融で借りたか、機材車のを担保にしたかのどちらかだったと思う 」、「マネージャーの土屋に主催者と再交渉させ、どうにか帰りの高速代くらいは出してもらえた 」など諸説あり、真相は不明。 高橋が他の5人と初めて「IMAGE DOWN」を演奏した際、演奏開始のカウントがあまりにも大声だったため、松井が笑い出してしまい、が中断してしまった。 ラストシングル「季節が君だけを変える」は、布袋が「もっと深い、俺たちの関係を言葉にして欲しい」と氷室の歌詞に意見した最初で最後の曲。 その要求の見返りとして、氷室作詞作曲の「CLOUDY HEART」がB面にくることとなる。 結成当初、布袋と松井はお互いを敬遠しており、あまり会話を交わすことがなかった。 しかしとある地方でのライブ後に2人で呑むことになり、その席で意気投合した。 『INSTANT LOVE』の時期、当時まだアマチュアだったのがで布袋を見かけサインを貰うが、偶然この時の今井の服が『INSTANT LOVE』の裏ジャケットで布袋が着ている衣装の色違いだった。 高橋は氷室の免許更新に同伴して群馬に行った際、当時まだアマチュアだったのに焼肉をおごってもらう代わりに、彼の自宅でドラムを2時間叩いてみせたことがある。 しかし当時は2人のレベルが違いすぎたため、ヤガミは「いつも使っているドラムセットなのに、何故こんなすごい音が出るのか全くわからなかった」という。 上記の帰郷の際、バイクで高速道路を通って行こうと提案した高橋に着いて行った氷室は、非常に恐ろしい体験をしたと語っている。 そして、地元では財布ごと免許証を落としてしまい落胆するが、ファンに拾って貰い事なきを得た。 氷室は全く酒が飲めずもっぱらコーラ、たまに飲む時でものミルク多めである。 また高橋は新宿LOFTに、賞味期限が切れた酒を無料で入れておいて貰う「減らない魔法のボトル」を常にキープしていた。 ライブハウス時代にツアーで京都に行った際、布袋はたまたま修学旅行に来ていた妹 と鉢合わせしてしまい、バツの悪い想いをしたという。 松井はへ行った際、帰りにで土産物を買おうとしたがを全く喋れず、意地になってを貫き通した。 「」ののアニメ・バージョンはが制作した。 当時ガイナックスの社長を務めていたは、後に自著の中で「当時は誰もがあれをやりたがった」と回想している。 『BEAT EMOTION』発売前にラジオで「次は売れる曲出します」と発言したが、その通りに売れた。 『ROCK 'N ROLL CIRCUS TOUR』は、当初ツアータイトルのようにサーカス小屋としてテントを張って、そこをライブ会場にする予定だった。 しかし「地ならしのため、を引き取ってもらわないと困る」と言われ、断念している。 週刊誌に「氷室は殺人罪の前科あり」という根拠の無い記事を掲載されたことがある。 氷室本人はその後のライブで「殺人罪の氷室です」とネタにしていた。 「氷室と布袋が不仲」という記事を掲載された際にも、氷室はライブのメンバー紹介で「彼とは楽屋を別にしてもらってます」とネタにしている。 『ROCK'N ROLL REVIEW DR. FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』の沖縄公演で、煽っても煽ってもにならず横揺れなオーディンスに腹を立てた氷室はステージから下がってしまった。 結果的には戻って最後まで演奏した。 初期メンバーの諸星(ギター)と深沢(サックス)の脱退理由は書籍によって「音楽性の違い」 「今後の不安」 「事務所からのMORAL制作スタッフである月光恵亮の提案(諸星・深沢の演奏力不足による解雇を提案)」 など諸説書かれており、真相は不明である。 しかし、2人のラストライブでの氷室のMCによると、諸星は「もっと黒っぽい音楽(のことと思われる)をやりたくなったから」、深沢は「アクター(俳優)になりたいから」が脱退理由とのこと。 深沢脱退が氷室の口から告げられた瞬間、会場内の女性ファンが悲鳴を上げた。 2人のラストライブで、深沢は自作詞の曲「NO. NY」との「」でボーカルを執っている。 深沢は現在も舞台を中心に映画にも出演する俳優として活動中(舞台でサックスを吹くことも)。 日本のバンドとしては桁外れにの数が多い。 大半の公演について海賊版が存在するという説もある(初期の頃は、営業戦略からバンド側がライブの録音、録画を黙認していた)。 ただし、上記の海賊版が出回っていることに関して布袋は上での質問に対し「非常に心外です」と答えている。 解散について [ ]• 1986年12月16日のでのライブ後、ホテルのバーにてメンバー全員が解散について話し合った。 最初に解散を提案したのは布袋だった。 それまでも「1位を取ったら解散」とメンバー間で話してはいたが、ブレイクする以前はまだ非現実的だったため、あくまでも冗談半分の扱いだった。 しかしながら『』がメンバー全員にとって音楽的に満足のいく作品となり、『』が初登場1位を記録し商業的にも成功を収めたことから、この時に初めて現実的な内容での話し合いが持たれた。 ファンの間では、マスコミに一切公表していないにも関わらず『ROCK'N ROLL REVIEW DR. FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』の最終公演である「12月24日ので解散」という情報が事前に伝わっていた。 これは「活動後期の歌詞や活動内容の加速度・充実度やエピソードから一部ファンと音楽ライターが年内解散を予測しており、複数発生源の口コミとして広まった」ということが、音楽誌「BANDやろうぜ!! 」の編集後記にこぼれ話として書かれたことがある。 12月24日当日はチケットを入手できなかったファンが渋谷公会堂の前に多数集まり、会場内の様子を知ろうと揉み合いになるうちに正面入口のガラス戸が割れるという事態にまで発展した。 この日のライブを収めたDVD『』には、会場前に群がるファンと割れたガラス戸の映像が収められている。 終演後は、会場前のファンに向けても「解散宣言をした」とアナウンスされた。 ではバンド解散が臨時速報され(NHKがバンドの解散を取り上げたのは異例である [ ])、翌日のの朝刊にはバンド側からのコメントが掲載された。 翌年の4月4日、5日にで行われた『』にて正式にバンドとしての活動を終了した。 『LAST GIGS』についてバンド側は「あくまで前年の12月24日でバンドは解散しており、少し早い再結成、同窓会のようなもの」としている。 しかし実際には、最終公演後の移動車内でメンバー全員が泣いていたという。 解散の理由 [ ] バンド側からの正式な解散理由は、解散から32年経った2020年現在でも発表されていない。 各メンバーが様々な状況が折り重なった結果だといったニュアンスの発言をしている。 要因の一つとして布袋は「自身が海外での活動を強く希望した」としている。 前述の通り、ブレイクする以前からバンド内で「トップに立ったら解散する」と決めていたことも挙げられる。 東芝EMI移籍後の末頃に布袋が「今はバンドの勢いが出てきたから、あと1,2年はこのまま(バンドを継続して)いくと思うけど、その後個人で独り立ちできるようにしていかないと」という話をしたことを高橋が著書 や「1224 THE ORIGINAL」発売時のイベントで発言している。 布袋は1986年10月のインタビューで「最終形のものを描く時が来ると思うんですよ。 売れる売れない関係なく。 レコード作ったりツアーやって『これで俺らはやることやった』って思う時が来ると思う。 そしたらそこでおしまいだと思う。 ある意味じゃ解散に向けて頑張ってるんだと思う」と語っている。 『』のジャケットで布袋がを蓄えているのは「アイドルにはなりたくない」という当時の心境からであり、このアルバムのツアー前半では彼本来のステージアクションがなく 「まったく動く気になれなかった」「最初は髭を生やしたままステージに出ようかとも思った」と語っている。 布袋によれば「100万枚とか売れる風になると当たり前にロック好きじゃない子も入ってくる。 それがミュージシャンとしてすごく居心地が悪くなってきた。 誰も自分のギターなんか聴いてないんじゃないか、ただキャーキャー言ってるだけじゃないかと感じるようになった」「後期になっていくと、上手くいけば上手くいくほどだんだん味気なくなり、メンバー全員がバンドや自分自身に対して違和感を抱くようになった」などの状況が重なり、次第にギクシャクしていったという。 高橋はこういった状況について「ファンとの温度差みたいなものが出てきていた。 こっちは新しい曲を作って演奏しているのに「IMAGE DOWN」や「」を演らないと納得しないようなノリがあったり、布袋がギターソロを弾いているのに氷室ばかり見ているお客さん、氷室が一生懸命歌っているのにまったく違った受け止め方をするお客さんなんかもいたりして、自分たちの音楽が本当に理解されているんだろうかっていうジレンマが生まれてきた」と語っている。 「氷室と布袋の不仲が原因」とされる見方があるが、両者ともに不仲の真偽はともかく解散の原因とは違うと否定している。 氷室は解散後のインタビューにて「雑誌ではライバルという書かれ方をしていたけど、俺は布袋の事を1度もライバルと思った事はない。 それがソロとバンドの違いだと思う。 バンドの中でメンバーをライバルだと思っていたら、バンドの良さって絶対出ないと思う。 俺は布袋を最高のギタリストだと思っていた」と語っている。 布袋も自身のラジオ番組『』内で「僕はヒムロックのこと好きだし、自分が嫌いな人の横でギターを弾けるわけがない。 まっちゃんやまこっちゃんのビートがあってのバンドだった訳だから。 そんな理由じゃ解散できない」としている。 解散後、氷室は「楽しくて始めたはずのバンドが、ロックビジネスというシステムの中に組み込まれて、少しずつ自分達の考えと違う方向に、勢いがついて転がっていってしまった。 あと妙な義務感みたいなものがすごく大きくなって、苦しくなってきた。 なのでもう辞めるしかない。 辞めないで、そのまま3年4年と続けるのは厳しい」と語っている。 布袋も解散後のインタビューで「音とか売り上げとかじゃなく、意識が完成したから解散したんだと思う」と語っている。 また著書『秘密』では「決してひとつの理由などではない。 もしいま4人が集まり解散の理由を話したとしたら、きっと全員見事にバラバラなのではないかと思う。 4人のもの。 「俺にはこんな理由がある」などと4分の1の存在が軽々しく語ってはならないと思う。 俺には俺の"絶対に解散せねばならない理由"があったが、それは墓まで持っていく」としている。 松井は「本当にすべてが上手くいっていたら解散なんてしない」とした上で、「確かに口火を切ったのは布袋だけど、それ以前にも解散の危機は何度もあった」「友達としていつも一緒にいたいけど、でもそれと音楽は別にしなきゃっていう分かれ道だったのかもしれない」と語っている。 一方で「満たされてはいなかったけど、もう選択肢が他になかった」「もしまた、あの4人で同じステージに立てたとしたら、それはすごくエキサイティングだろうなと思う」というコメントも残している。 は、布袋が当時の妻・のツアーに注力しすぎたことでメンバー間に溝ができたことが解散理由という説をラジオ番組内で唱えている。 解散後 [ ] メンバー間の関わりがあるもののみを記載する。 氷室が「俺と一緒にやらないのか?」と松井を引き止めたという噂もあったが、本人は「新しい環境に行くことにすごく興味があった」と語っている。 これについて、『LAST GIGS』の打ち上げに布袋と松井は参加しなかったという経緯もあったことから、バンドが2つに分裂したという見方もあった。 1988年8月26日、にて行われたのライブ『Baby alone in BABYLON" Tour 1988』に布袋と松井が参加。 両者ともバンド解散後、公の場に姿を見せたのはこの時が初だった。 1988年10月26日のと同年11月15日ににて行われた布袋のソロ初ライブ『 LIVE』に松井が参加。 1988年11月19日、にて行われた氷室のライブに高橋がゲストで参加。 1989年に布袋がとのユニットであるでデビューした際、氷室は「あれが布袋の本当にやりたいことなのかなと思う。 『』を発表したのはわかる。 そこで、敢えてバンドを組んでああいう事をやる必要性が分からない 」とコメントしている。 これに対し布袋も、氷室のシングル「」を指し「あんな曲ならばいくらでも作れる」とコメント。 これら一連の流れから「氷室と布袋の不仲説」も浮上したが、前述の通り両者ともその説を否定している。 またCOMPLEXが解散した際、氷室は「吉川が布袋から受けた音楽的影響は、決して小さいものではないはず」と語っている。 解散後、氷室と布袋が直接会話したのは、布袋の『』完成後。 布袋が氷室を訪ねると「聴いたよ」と答え、感想として「長げーよ」とコメントしたという。 「良いけど長い」「長いの作りたかったんだからいいんじゃない?」と氷室は答え、率直な感想をもらえたとして布袋は嬉しかったとコメントしている。 これ以前にものレストランで偶然氷室と布袋が居合わせたことがあり、布袋は自身のラジオ番組にて「なんかこっちは緊張したけどね」と語っている。 、布袋の『 TOUR』の公演を氷室が観覧した。 、氷室のファンクラブイベントに高橋が特別ゲストで参加。 当時高橋はの解散が決定し無気力状態の日々を送っており、かつての戦友である氷室との再会で音楽への情熱が再燃したと語っている。 1993年、松井のアルバム『』に布袋が参加。 1994年、高橋のアルバム『楽しき人生』に布袋と松井が参加。 松井は同アルバムのライブにもゲスト参加した。 1994年、松井のアルバム『』に布袋が参加。 1994年、氷室のアルバム『』に松井が参加。 「あれだけのボーカリストなのに、まださらに上へ行こうとしているのは凄い」とコメントしている。 、の復興支援チャリティーライブに氷室と布袋が出演。 それぞれ同じステージに立ったが、共演は行われなかった。 1995年、松井のアルバム『』に布袋が参加。 末、布袋宅でのクリスマスパーティーにて、解散宣言をしたライブのDVD『』を布袋と松井が鑑賞した。 事前に手元には届いていたものの、両者とも「ひとりでは観るのが怖かった」と吐露している。 鑑賞後には布袋、松井とも感極まって泣きながら抱き合ったという。 松井はこの時のことを振り返り「解散後ソロをやって、ステージの真ん中に立つというのはこういうことなんだと実感した。 あのバンドの中でフロントに立って、何かを声にするということは、想像を遥かに超える過酷さがあったに違いない」とファンに向けて直接解散を宣言した氷室の胸中を察するコメントを著書にて語っている。 、布袋のアルバム『』に松井が参加。 アルバムのツアーにも参加した。 このツアー開始直前、布袋は転倒によりとの重傷を負い、全スケジュールが延期となった。 のちに松井は「いつでもまた一緒にできるような気はしても、何があるかわからない。 だからまたこのギターとプレイすることができて本当に幸せだとツアー中ずっと思っていた。 1本1本が本当に大切な時間だった」「(布袋の)復帰にかける執念が音だけじゃなく背中からも伝わってきた。 だから自分もやるからには完璧にやりたくて、ベースの化身になりたいと思った。 歌も演るソロとは違って、もっともベーシストに徹することが出来る場所だったから」と語っている。 2002年、吉川晃司のアルバム『』収録曲「The Gundogs」に松井と高橋が参加。 、布袋のアルバム『』に松井が参加。 アルバムのツアーにも参加した。 2003年、松井のソロ・プロジェクト『Groove Syndicate』に布袋がギター、共同作曲、プロデュースで参加。 高橋は当日ライブを観覧し「純粋に楽しめた 」とコメント。 松井は「あれはないよね」と否定的なコメントを残している。 2004年、「」の特番に吉川晃司が「」で出演した際、松井と高橋がサポートで参加した。 当初は50歳のアニバーサリーライブを予定し3月14日に発表する準備をしていたが、その直前に震災が起こったため一旦発表を延期し、公演の内容を見直していた。 結果「チャリティーの為にライブを行い、より多くの収益金を集め、被災地へダイレクトに届ける」という趣旨のもと開催する運びとなる。 どうして声を掛けてくれなかったのかと。 こんな時だからこそ、再び4人で手を握り合い、大いなる目的のために、協力し合うべきだと思った。 アーティストとして素晴らしい決断だと思う反面、一緒に活動を共にしていた仲間としては、残念でならない」と語った。 また布袋は、上で氷室に関する質問攻めにあってしまったこともあり2日程沈黙を続けていたが、後に自身のブログ上で「再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」「氷室京介氏の復興支援に向けたアクションは、彼の信念に基づいた選択であるはずです。 僕はそれを否定的にとらえる気持ちなど全くなく、リスペクトしています」と述べた上で、「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました」と、今後も再結成は非現実的であることを伝えた。 後に氷室本人はこのライブについて「出来るだけ集客することで収益は増え、チャリティーの効果がより高くなる。 素晴らしいステージ、そして、素晴らしい時間でした。 」とコメントした。 ライブ当日氷室は「来月にここで友達がライブを演るみたいなんでよろしく」と、氷室同様チャリティーライブのために、の二日間限定でを再始動させた布袋と吉川を指すMCも発している。 2012年2月1日、にて行われた布袋の50歳バースデーライブである『30th ANNIVERSARY 第四弾 ja-Ltn HOTEI THE ANTHOLOGY "最終章" WE ARE DREAMER 〜50th BIRTHDAY SPECIAL CELEBRATION GIG〜』に高橋がゲストで参加。 『』以来、24年振りとなるステージ上での共演を果たした。 NEW YORK」が披露されている。 2012年、・アリーナにて行われた高橋の東日本大震災の復興支援チャリティーライブ『つながろう ふくしま 〜絆〜 スペシャルライブ with 高橋まこと』に布袋がゲスト参加。 「」では高橋のボーカルも披露された。 2013年2月2日、布袋が出演したの『EMI ROCKS 2013』に高橋が参加。 2013年3月11日、群馬県高崎市にある氷室の実家を含む家屋3棟が全半焼する事件が発生。 両親共に無事ではあるものの氷室の実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大怪我を負っている。 この件に関して氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がないことを報告。 同日、氷室の実家を放火した37歳の女が高崎署に出頭、現住建造物等放火容疑で逮捕された。 布袋と高橋が氷室を気遣うコメントを発しており、同時に2人に対しても過去に犯人から自分宛に何度もツイートがあったことが明かされている。 2014年7月13日、山口県のにて行われた氷室のライブで、本人の口から同月19・20日の2日間公演をもって「氷室京介を卒業する」と電撃発表。 この発表の件はスタッフはじめ周囲は「知らなかった」と口をそろえ、同日深夜、公式サイトにて驚かせたことに対する謝罪と翌2015年のファイナルコンサートをもって、氷室京介としてのライブ活動を休止することが掲載された(結局ファイナルコンサートは翌々2016年春の横浜スタジアムのリベンジライブに決定)。 ただし、氷室は7月19日のライブにて寝耳に水報道を否定している。 この一件に高橋は「余りに突然なので言葉が出ませんでした」としつつ、「ヒムロックの気持ちを一番大切にしたいです。 きっと横浜スタジアムでしっかり説明してくれる事と思います。 あとは、ちゃんと受け止める事です。 また布袋は氷室の名前こそ出していないものの、ブログ上にて「もし彼が本当にステージから姿を消してしまうなら「最後のステージはせめて一曲でも 隣りでギターを弾かせてほしい」そう願うのみ。 」と氷室への想いと思しきコメントを寄せている。 〜のツアー「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」をもって、氷室がライブ活動を無期限休止。 高橋は松井とともに5月22日の東京公演を観覧。 布袋は「『氷室京介LAST GIGS』最終日(5月23日)を観させていただきました」とブログにて明言 、そして同年の日本武道館公演でのMCでは「ヒムロックがステージから去るその瞬間を、僕も観に行きました」と述べた。 、布袋のアルバム『』に松井と高橋が参加。 2019年6月15日から9月1日にかけて高橋が参加する『』リリースに伴うスペシャルイベントに初期メンバーの深沢がゲストで参加予定。 『LAST GIGS』以降、4人全員が揃った唯一の場とされているのが、カメラマンの結婚式である。 解散後の共演の組み合わせとしては、同じ事務所にいたこともある「布袋と松井」の共演が回数としては一番多く、以降は「布袋と高橋」の共演が多い。 また、松井と高橋はそれぞれ他のメンバー3人全てと解散後に共演している。 唯一解散後実現していないのが「氷室と布袋」の共演である(前述の1995年に開催された阪神淡路大震災の復興支援チャリティーライブにそれぞれ出演したが、共演は行われていない)。 作品 [ ] 「」を参照 シングル [ ]• (1985年)• (1985年)• (1986年)• (1986年)• (1987年)• (1987年)• (1987年)• (1988年) アルバム [ ]• (1982年)• (1983年)• (1985年)• (1986年)• (1986年)• 5月11日• 6月27日 新宿LOFT• 7月16日 新宿LOFT• 8月12日 新宿LOFT• 9月17日 新宿LOFT• 10月9日 前橋Garcia• 10月10日 前橋Garcia• 10月19日 新宿LOFT• 11月3日 河口湖ホテルライブ• 1月28日 新宿LOFT• 2月16日 新宿LOFT• 3月1日 原宿クロコダイル• 3月24日 新宿LOFT 「暴威」表記• 3月29日 原宿クロコダイル• 4月6日 渋谷LIVE INN• 5月3日 前橋河川敷コンサート• 5月11日 渋谷屋根裏• 5月14日• 5月29日 新宿LOFT• 5月30日 千葉DANCING MOTHERS• 6月4日 渋谷AtoZ• 6月13日 渋谷TAKE OFF 7• 6月19日 新宿ACB• 6月27日 新宿LOFT• 7月2日 中野公会堂• 7月3日 千葉DANCING MOTHERS• 7月5日 新宿LOFT「GET HOT ROCKS! part. 7月14日 渋谷屋根裏• 7月16日 京都ディスコ• 7月18日 新宿LOFT• 8月6日 千葉DANCING MOTHERS• 8月23日 渋谷TAKE OFF 7• 9月9日 渋谷PARCO PART III• 9月18日 新宿LOFT• 10月30日 (相模原)学園祭• 11月6日 第23回海鷹祭• 11月17日• 12月4日 千葉DANCING MOTHERS• 1月4日 渋谷Egg-man• 1月5日 千葉DANCING MOTHERS• 1月15日 新宿LOFT• 4月30日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 5月14日 千葉DANCING MOTHERS• 5月24日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 6月5日 柏クレイジーホース• 6月18日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 6月22日 横浜• 6月24日 六本木OPEN記念ライブ• 7月7日 渋谷La. mama「GIG THE STAND UP」• 7月9日 千葉DANCING MOTHERS• 7月10日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 7月26日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 7月31日 佐賀 県民の森イベント• 8月13日 新宿LOFT「夏休み特別企画 その4 BEST,BEAT,AGE」• 8月17日 渋谷LIVE INN• 9月22日 新宿LOFT• 9月25日 高崎MAKE UP• 10月1日 新宿LOFT「スタジオ・ギャング バトルロイヤル AT LOFT 4Days」• 10月2日 柏クレイジーホース• 10月5日 渋谷TAKE OFF 7• 10月17日 京都BIG BANG• 10月18日. 10月19日 名古屋grateful YUCCA• 10月22日 高崎MAKE UP• 10月27日 渋谷LIVE INN• 11月4日 文化服装学院 文化祭• 11月20日 神戸• 11月23日 大阪 THE BOTTOM LINE• 11月24日 名古屋E. 11月26日 清水BOWIE• 11月27日 新宿LOFT• 12月2日 新宿ライブイン 村さ来• 12月18日 高崎福祉会館• 12月26日 渋谷LIVE INN• 1月28日 新宿LOFT• 2月16日 清水BOWIE• 2月17日 名古屋E. 2月19日 大阪ポップコーン• 2月20日 神戸チキンジョージ• 2月21日 京都 磔磔• 2月23日 名古屋grateful YUCCA• 2月24日 渋谷LIVE INN• 3月17日 渋谷LIVE INN• 3月23日 千葉DANCING MOTHERS• 3月30日 新宿LOFT 「BEAT EMOTION・LOFT 2 DAYS~すべてはけじめをつけてから~ 暴威DAY」• 4月11日 学園祭• 4月12日 学園祭(中止)、千葉DANCING MOTHERS(中止)• 4月27日 渋谷LIVE INN• 5月3日 「JAPAN ROCK FESTIVAL '84」• 5月18日 藤沢BOW• 5月27日 流山市民会館• 5月31日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION I」• 6月24日 Festival• 6月30日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION II」• 7月5日 「NO・REASON」 DVD『"GIGS"BOX』 1984年 BEAT EMOTION 全22公演• 7月7日 新宿LOFT• 7月8日 名古屋E. 7月10日 京都BIG BANG• 7月11日 大阪バーボンハウス• 7月13日 神戸チキンジョージ• 7月25日 高崎市 パブゴールド アマチュア・ロック・コンテスト• 7月27日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION III」• 7月28日 渋谷La. mama• 8月5日 高松市 エスノクラブ• 8月7日 窪川町農村環境改善センター• 8月8日 土佐清水市立 市民文化会館 くろしおホール• 8月9日 高知県立県民文化ホール グリーンホール• 8月10日 徳島アッファングーロ・ポッコディーロ 中止• 9月1日 渋谷東横劇場「HEADZ 8」• 9月29日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION IV」• 10月10日 高崎市文化会館ホール TAKASAKI ROCK FESTIVAL• 10月27日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION V」• 11月4日 駒澤大学記念講堂 オータムフェスティバル• 11月23日 生田祭• 11月25日 第35回 津田沼祭• 11月30日 前橋市民文化会館大ホール「LIVE HOUSE THE RATTAN PRESENTS Super Rock Fes. 12月6日 仙台ヤマハホール• 1月1日 LOFT NEW YEAR PARTY• 3月12日 Marquee Club in LONDON• 4月13日• 6月20日 高崎市文化会館• 6月25日 DVD『"GIGS"BOX』 1985年 BEAT TO PLATON 6都市全8公演• 6月27日• 6月28日 大阪バナナホール• 7月1日 名古屋• 7月2日 名古屋ハートランドスタジオ• 7月19日 札幌• 7月20日 小樽第二埠頭• 8月11日• 9月6日• 9月17日 福岡• 9月18日 熊本郵便貯金会館• 9月20日 京都教育文化センター• 9月23日 中ホール• 9月24日 高知県立県民文化ホール オレンジホール• 11月3日 (学園祭)• 11月4日 福岡大学高宮校舎体育館(学園祭)• 11月5日 駒澤大学記念講堂(オータムフェスティバル)• 11月9日• 11月12日 石川県教育会館• 11月13日 新潟市公会堂• 11月25日 NHK MUSIC WAVE• 11月29日 横浜市教育会館• 12月6日 (ギャッツビーライブ)• 12月9日 (学園祭)• 12月12日• 12月13日 秋田市文化会館• 12月16日• 12月18日• 12月20日• 12月24日 渋谷公会堂• 12月24日、渋谷公会堂でのセット・リスト。 BEGGINING FROM ENDLESS• Dreamin'• ハイウェイに乗る前に• BABY ACTION• GIVE IT TO ME• 唇にジェラシー• BAD FEELING• CLOUDY HEART• THIS MOMENT• DANCE CRAZE• MY JULLY PART. IMAGE DOWN• TEENAGE EMOTION• LONDON GAME• ホンキー・トンキー・クレイジー• GUERRILLA• NEW YORK• HAPPY X'MAS• アンコールは16と17。 17と18の間で、氷室から来年(1986年)に向けての抱負と、布袋との結婚宣言が行われた。 1と18はSE。 このツアーでは曲目・曲数・曲順が頻繁に変えられている。 1986年 JUST A HERO TOUR 25都市全37公演• 3月24日 青山スパイラルホール• 4月2日 秋田市文化会館• 4月3日• 4月5日• 4月6日 日比谷野外音楽堂(勇気ある子供達が時代をつくる)• 4月11日• 4月12日 千葉県教育会館• 4月17日• 5月4日 名古屋港ガーデン埠頭(中京テレビ ROCK WAVE)• 5月1日 高崎市文化会館• 5月6日 札幌市民会館• 5月12日• 5月14日 熊本郵便貯金会館• 5月15日• 5月22日• 5月24日• 5月25日 大阪厚生年金会館• 5月26日 第二ホール• 5月28日• 5月29日 清水市民文化会館• 6月1日 GO! LOFT 10YEARS ANNIVERSARY• 6月3日 水戸市民会館• 6月5日 群馬音楽センター• 6月6日• 6月7日• 6月8日 日比谷野外音楽堂 ANN CALL'86• 6月17日 新潟市公会堂• 6月18日• 6月19日 福井県民会館• 7月2日 日本武道館 全20曲• PROLOGUE• BAD FEELING• ROUGE OF GRAY• BLUE VACATION• JUSTY• BABY ACTION• GIVE IT TO ME• LIKE A CHILD• HONKY TONKY CARZY• わがままジュリエット• 1994-LABEL OF COMPLEX-• WELCOME TO THE TWILIGHT• DREAMIN'• INSTANT LOVE• IMAGE DOWN• TEENAGE EMOTION• JUST A HERO• このツアーから基本的にどの会場でも同じセットリストで行われるようになった。 7月20日 札幌市民会館(HBCフレッシュコンテストゲスト出演)• 7月27日 夕張(パロ・パロ・ロック・フェス)• 8月2日 福岡 (サマー・ピクニック)• 8月3日 福岡 恋の浦(サマー・ピクニック)• 8月4日 新宿 都有3号地(ウォーター・ロック・フェス)• 8月8日 秋田県営ラグビー場 ROCK CITY CARNIVAL'86• 1986年11月11日• 1986年11月13日• 1986年11月17日• 1986年11月18日 宮城県民会館• 1986年11月20日 郡山市民文化センター• 1986年11月27日 岩手県民会館• 1986年11月28日• 1986年11月30日• 1986年12月5日 大阪厚生年金会館• 1986年12月6日 大阪厚生年金会館• 1986年12月7日 大阪厚生年金会館• 1986年12月10日 日本武道館• 1986年12月16日• 1986年12月18日 群馬県民会館• 1986年12月22日 群馬県民会館• 1986年12月24日• 1987年1月8日 鹿児島市民文化ホール• 1987年1月9日 熊本県立劇場• 1987年1月10日 福岡市民会館• 1987年1月13日• 1987年1月16日 札幌市民会館• 1987年1月17日 札幌市民会館• 1987年1月22日• 1987年1月23日 名古屋市公会堂• 1987年1月26日 広島郵便貯金会館• 1987年1月27日• 1987年1月29日• 1987年2月3日• 1987年2月4日 高知県立県民文化ホール• 1987年2月5日 福岡市民会館• 1987年2月10日• 1987年2月13日 京都会館• 1987年2月14日• 1987年2月15日• 1987年2月19日 宮城県民会館• 1987年2月20日• 1987年2月24日 日本武道館 全21曲• ハイウェイに乗る前に• BABY ACTION• RUNAWAY TRAIN• BAD FEELING• 1994-LABEL OF COMPLEX-〜DRAMATIC? DRASTIC! RAIN IN MY HEART• CLOUDY HEART• わがままジュリエット• B・E・L・I・E・V・E ( BELIEVE )• SUPER-CALIFRAGILISTIC-EXPIARI-DOCIOUS• WORKING MAN• DOWN TOWN SHUFFLE• JUSTY• NEW YORK• BEAT SWEET• IMAGE DOWN• DREAMIN'• HONKY TONKY CARZY• BLUE VACATION• ONLY YOU• アルバム『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR 1986. 11〜1987. 24』• ビデオ『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR 1986. 11〜1987. 7月26日• 8月4日 KING OF ROCK SHOW• 8月9日 スポーツランドSUGO ROCK'N'ROLL OLYMPIC'87• 8月15日 野外ステージ ROCK CITY CARNIVAL'87• 8月16日 秋田県営ラグビー場• 7月31日• 8月7日 横浜文化体育館 全39曲• 第一部• INTRODUCTION• IMAGE DOWN• BABY ACTION• RATS• MORAL• GIVE IT TO ME• THIS MOMENT• わがままジュリエット• BAD FEELING• LIKE A CHILD• MY JULLY PART. WORKING MAN• TEENAGE EMOTION• LONDON GAME• NEW YORK• 第二部• DANCING IN THE PLEASURE LAND• ROUGE OF GRAY• RUNAWAY TRAIN• B・E・L・I・E・V・E ( BELIEVE )• CLOUDY HEART• INSTANT LOVE• FUNNY-BOY• MY HONEY• LET'S THINK• 1994-LABEL OF COMPLEX-• PLASTIC BOMB• MARIONETTE• RENDEZ-VOUS• SUPER-CALIFRAGILISTIC-EXPIARI-DOCIOUS• ハイウェイに乗る前に• JUSTY• HONKY TONKY CRAZY• DREAMIN'• BEAT SWEET• BLUE VACATION• ONLY YOU• ON MY BEAT• FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR 33都市全36公演• 9月16日 宇都宮市文化会館• 9月19日 千葉県文化会館• 9月24日• 9月27日 鹿児島市民文化ホール 第1ホール• 9月29日• 10月7日• 10月8日 倉敷市民会館• 10月10日 京都会館 第1ホール• 0月13日• 10月16日 宮崎市民会館• 10月21日 青森市文化会館• 10月22日 秋田県民会館• 10月25日• 10月26日 岩手県民会館• 10月29日 群馬県民会館• 11月4日• 11月6日 愛媛県県民文化会館• 11月12日 群馬音楽センター• 11月16日• 11月17日• 11月19日• 11月23日• 11月26日• 11月27日• 11月30日 日本武道館• 12月1日 日本武道館• 12月3日 四日市市文化会館• 12月4日 静岡市民文化会館• 12月7日• 12月8日 大阪城ホール(追加公演)• 12月10日 茨城県立県民文化センター• 12月14日 山形県県民会館• 12月16日• 12月20日 レインボーホール• 12月22日 新潟県民会館• 12月24日 渋谷公会堂 全22曲• LIAR GIRL• ANGEL PASSED CHILDREN• BLUE VACATION• ハイウェイに乗る前に• PSYCHOPATH• CLOUDY HEART• MARIONETTE• わがままジュリエット• LONGER THAN FOREVER• 季節が君だけを変える• WORKING MAN• RENDES-VOUS• HONKY TONKY CRAZY• PLASTIC BOMB• BEAT SWEET• IMAGE DOWN• NEW YORK• MEMORY• ONLY YOU• DREAMIN'• ビデオ『』• ビデオ『』 1988年 "LAST GIGS" 全2公演• 4月4日• 4月5日 東京ドーム 全23曲• PROLOGUE• ハイウェイに乗る前に• BABY ACTION• BAD FEELING• 1994-LABEL OF COMPLEX• DRAMTIC? DRASTIC! MARIONETTE• わがままジュリエット• LONGER THAN FOREVER• CLOUDY HEART• WORKING MAN• PLASTIC BOMB• JUSTY• IMAGE DOWN• BEAT SWEET• NEW YORK• ONLY YOU• DREAMIN'• ON MY BEAT• BLUE VACATION• RENDEZ-VOUS• HONKY TONKY CRAZY• NEW YORK(4月5日のみ)• 本項目は4月5日演奏分。 HYSTERIA(1985年、八曜社)• GIGS(1987年、)• RENDEZ-VOUS(1988年、)• 大きなビートの木の下で(1986年、CBSソニー出版)• B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS. (2002年、)• (氷室京介、松井常松と小・中学校の同級生。 当時、一緒にバンド活動を行った。 (イベントで共演するなど交流があった。 1986年、新宿都有3号地で豪雨の中の競演が有名。 アルバム『JUST A HERO』収録の「1994-Label Of Complex-」にヴォーカルで参加。 (に布袋と結婚。 山下のツアーに布袋と松井がサポートで参加した他、イベントでも共演した。 (かつて同じ事務所に所属し、新宿都有3号地での共演、アルバム『FOUR FIGURES』に布袋が参加するなどの交流があった。 (第4のメンバーとして知られる。 アルバム『BEAT EMOTION』『PSYCHOPATH』参加。 (アナーキー・イン・ザ・U. 、GOD SAVE THE QUEEN など初期のライブではピストルズの曲が頻繁に演奏された)• (ボウイというバンド名は彼から取ったという俗説もある ) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2020年4月12日閲覧。 Chris True. 2013年2月9日閲覧。 月刊カドカワ1991年4月号 総力特集氷室京介70ページ• 116(2004年 宝島社)• 高橋まことのぼちぼちブログ• 寿記-寿的超日常記-• BUCK-TICK LOVE ME( )• 135(2004年 宝島社)• 写真集「 RENDEZ-VOUS」の年表• B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS. 、117ページ• 136(2004年 宝島社)• 2」、。 「ROCKIN'ON JAPAN FILE」、p. 76、、1988年。 『』 2004年6月6日 出演時のコメントより• DVD『Top Runner 完全版』 2005年• 40(2004年 宝島社)• 『』1990年5月3日放送分より• のインタビューより• 「PATi PATi」1991年11月号インタビューより• 『』でのコメント。 布袋寅泰『よい夢を、おやすみ』(1993年 八曜社)• オリコン 2011年4月19日• 高橋まことのぼちぼちBLOG• 2011年4月18日参照• BEAT主義日記• 2011年5月5日放送 特別編 「氷室京介 密着250日」でのコメントより• 、2011年6月11日参照• BEAT主義日記• 高橋まことのぼちぼちBLOG• ORICON. 2012年2月2日. 2012年2月8日閲覧。 2012年2月2日. 2012年2月8日閲覧。 朝日新聞 2013年3月11日• ORICON STYLE 2013年3月11日• 読売新聞 2013年3月11日• 東京スポーツ 2013年3月15日• マイナビニュース 2013年3月16日• 高橋まことのぼちぼちBLOG• 「ATMIC DRUM 高橋まことのぼちぼちBLOG」2013年3月14日の記事より• BEAT主義日記 - HOTEI OFFICIAL BLOG• ATOMIC DRUM 高橋まことのぼちぼちBLOG 2016年5月24日. 2016年6月4日閲覧。 BEAT主義日記 - HOTEI OFFICIAL BLOG 2016年6月1日. 2016年6月4日閲覧。 ATOMIC DRUM 高橋まことのぼちぼちBLOG 外部リンク [ ]• - 公式ウェブサイト• - UNIVERSAL MUSIC JAPAN• - 公式ウェブサイト(会員制).

次の

氷室京介

氷室京介布袋寅泰共演

概要 [ ] 、出身の、、を中心に東京で結成される。 初ライブ後にが加入し、に『』でレコードデビュー。 当初は6人編成だったが同年秋に2人が脱退し、以降は解散まで4人編成で活動する。 を基調としでありながらもシャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンドや、をステージ衣装に使用したり、逆立てたヘアースタイルなどの斬新なビジュアル等が多くの支持を集め、5thアルバム『』と6thアルバム『』は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のを記録した。 シングルでもに「」が初登場1位を記録し、名実ともにトップバンドへとのし上がった。 しかし人気絶頂の最中のに解散を宣言。 この突然の出来事は世間に大きな衝撃を与えた。 翌年4月4日、5日に完成直後の東京ドームで行った『LAST GIGS』にてバンド活動に終止符を打つ。 翌月にリリースされた『』は、ライブ・アルバムとしては異例とも言える150万枚のセールスを記録している。 解散後も、や未発表音源がリリースされると常にチャートの上位にランクインしており、今日でもなお日本のロックシーンに変革をもたらしたバンドとしてその地位を確固たるものとしている。 メンバー [ ] 解散時 [ ]• :(リーダー)• (現:常松):• 元々プロデューサー志望であったため、高橋が加入するまでのサポートメンバーだった。 脱退後の1983年にアルバム『』のプロデュースを担当。 現在も音楽プロデューサーとして活動する傍ら、2012年末から「SEIHITSU」名義でミュージシャンとしても活動を始めている。 深沢和明 ( ふかさわ かずあき ) 、1982年10月9日脱退 群馬時代、布袋が結成した「ジギーリギー」でサックスを担当。 現在は「東京パワーゲート」という劇団で舞台役者として活動中。 諸星アツシ ( もろぼし アツシ ) ギター、1982年10月9日脱退 群馬時代は氷室、松井と共に「デスペナルティ」でギターを担当。 在籍時にTBS系列「」に出演している(主演のドラマ。 役名:中井高夫)。 メンバーの変遷 [ ] 略歴 [ ] 1980年 [ ]• 7月5日 当時ヴォーカルとして所属していたバンド『』を脱退し帰郷を考えていたが、でののライブを観て新たなバンド結成を決意する。 後日、に連絡を取りの前で再会。 9月 が加入。 深沢和明、諸星アツシが加入。 1981年 [ ]• サポートメンバーとして木村マモルを迎え、メンバーが揃う。 所属事務所の副社長でサウンドプロデューサーのにより、その当時「 ()」というイギリスのハードロックバンド(メンバーは全員男性)がいたことに対抗し、こちらは男ばかりだからそのまま「ボーイ」だろうということで、当て字で『暴威』と命名された。 それを聞いた社長のからは、当時人気だった『』にあやかって『群馬暴威』という名を提案されたものの、メンバーから猛反対され即ボツになった。 ちなみに、の名前から命名されたという俗説もあるが、当時の媒体の思い込みによるものである。 5月 最初のアルバム『』レコーディング開始。 5月11日 新宿ロフトでデビューライブ「暴威LOFT FIRST LIVE」を行う。 ちなみに、このギグのは13人(男性9人、女性4人)」。 その中には山田淳の誘いで観に来たもいた。 他には、氷室と同郷の女暴走族リーダーおよびその連れの女性2名。 後日、高橋がスタジオでのセッションを経て正式加入し、木村が脱退。 1982年 [ ]• 3月21日 より最初のアルバム『MORAL』発売。 プロデューサーはの渡辺モリオ。 9月9日 渋谷PARCO PARTIIIのライブで「CHANGE COSTUME」と題し、それまでのパンキッシュな楽曲から系のメロディアスな楽曲へとシフトチェンジ。 衣装も黒ずくめからカラフルなものに変える。 このライブがバンドの一つの転機となった。 10月9日 この日行われたでのライブを最後に深沢と諸星が脱退し、氷室・布袋・松井・高橋の4人編成となる。 1983年 [ ]• 4月30日の新宿LOFTを皮切りとして、「AFROCKABILY LIVE」と題したシリーズGIGを展開。 9月25日 よりアルバム『』発売。 プロデューサーは脱退した木村マモル。 サンプル盤の「OH! MY JULLY」のB面、「FUNNY-BOY」が新宿有線で3週連続1位を獲得。 12月31日、が発起人となっているイベント「NEW YEAR ROCK FESTIVAL」(西武劇場 )に出演。 1984年 [ ]• 3月30日・31日 新宿LOFTで2DAYSライブを敢行(「BEAT EMOTION LOFT 2DAYS 〜すべてはけじめをつけてから〜」)。 ホール展開も視野に入れたバンドの飛躍へ向けた「けじめ」のライブであった。 5月31日 拠点を渋谷LIVE INN へ移し「BEAT EMOTION」と題したシリーズギグを行う。 夏からは同名のタイトルで全国ツアーを展開。 10月7日 ユイ音楽工房(現:ユイミュージック)と契約し、レコード会社をに移籍することを決定。 同時にライヴの半年間休止も発表された。 12月6日 氷室、「狂介」から「京介」に改名。 1985年 [ ]• 2月24日 ベルリンので『』レコーディング開始。 3月12日 ロンドンの ()でGIGを行う。 4月13日 赤坂ラフォーレミュージアムでマスコミに招待状を送ったコンベンションライブを行う。 6月1日 最初のシングル「」発売。 6月21日 アルバム『』発売。 プロデューサーは。 6月25日 で初の大ホール・ワンマンコンサートを行う。 8月22日 シングル「」発売。 12月24日 で同ツアー終了。 このライヴ終了後にステージ上で布袋がとの結婚を発表した。 1986年 [ ]• 2月1日 シングル「」発売。 3月1日 アルバム『』発売。 3月24日 青山スパイラルホールで「JUST A HERO TOUR」開始。 7月2日 で同ツアー終了。 7月31日 上記の武道館公演を収録したライヴアルバム『』を限定盤(後に通常盤が再発売された)として発売。 8月2日-3日 の野外ライブ「第6回サマーピクニック」()にゲスト出演。 9月29日 シングル「」発売。 11月8日 アルバム『』発売。 11月11日 より「ROCK 'N ROLL CIRCUS TOUR」開始。 1987年 [ ]• 2月24日 で「ROCK 'N ROLL CIRCUS TOUR」ツアー終了。 4月6日 シングル「」発売。 7月22日 シングル「」発売。 しばらく演奏されていなかった初期の曲もセットリストに含めた、バンドの総括的なライブであった。 8月7日にはでも開催された。 8月22日・23日 にて行われたライブ・イベント「」に出演。 9月5日 アルバム『』発売。 9月16日 で「ROCK'N ROLL REVIEW DR. FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」開始。 10月26日 シングル「」発売。 12月24日 同ツアー最終日でのライブ中に解散宣言。 12月25日 新聞各紙の広告スペースに解散メッセージが掲載される。 1988年 [ ]• 2月3日 未収録3曲を追加した『』、12インチシングル「」発売。 4月4日・5日 にて「」を行う。 解散コンサートではなく、少し早い同窓会だとメンバーは語った。 終了後の移動車両の中でメンバー全員が泣いたという。 5月3日 アルバム『LAST GIGS』発売。 12月24日 アルバム『SINGLES』発売。 逸話 [ ] 結成 [ ]• 当時付き合っていた彼女とも別れてしまい、ついには音楽の道を諦め、帰郷する決意をする。 しかし、最後のつもりで立ち寄ったでののライブを観て一念発起。 群馬時代のライバルだった布袋のもとへ連絡を入れ、アマンドの前で再会する。 この時に布袋は、氷室の風貌が群馬時代の硬派な印象から風へ変化していたことに驚いたという。 同郷のライバル同士ではあったが、当時2人の間にそれほど面識はなかったため、布袋は氷室からの連絡を受けた際に「(群馬から東京に出てきて、のような生活をしていることを聞いた氷室から呼び出されて)殴られるんじゃないか」と思ったという。 また当時を振り返り、地元で有名な不良少年の氷室が怖くて誘いを断りきれなかった、とよくネタにしている。 しかし実際には、氷室と松井が布袋の自宅に遊びに行ったり、病気療養中の布袋の見舞いに行ったりする程度の交流はあったようである。 松井はのベーシストとして既にプロ活動をしていたが、バンドが解散するにあたり、織田から旧友である氷室が新しいバンドを結成しようとしていることを知り、後に氷室と布袋に合流している。 高橋は前述の通り初ライブを観賞しており、終演後は楽屋にも訪れている。 その時のことを「怖そうな氷室、デカい布袋、寡黙な松井。 とにかくおっかない連中だなという印象だった」と懐述している。 布袋いわく氷室は高校時代、極道のイメージが強くて帝王のような存在として広く知られていたが、歌は上手く歌唱力はプロ級だったと語っている。 メディアへの露出 [ ]• テレビ番組への出演は少なかったが、デビューして間もない頃にドラマ『』()第524話「ラガーのラブレター」に出演している。 ただしこの回は権利関係のためDVDでは欠番扱いとなっているが、オンエアに関しては問題ないらしく、2013年1月にはででも2016年3月にHDリマスター版が放送されている。 音楽番組としては『』()、『』(フジテレビ)、『』(日本テレビ)、『』()などに数回出演している。 の番組『メリー・クリスマス・ショー』で吉川晃司との「」をカバー。 その他ではオープニングの「」(同じくビートルズの曲)、出演者のほとんどが参加したロッケストラ名義で「」(の曲)、「」(の曲)、エンディングの「」にも参加している。 『夜のヒットスタジオ』の「対面シリーズ」では、氷室の初恋の女性が登場して、氷室は「さすがフジテレビだぜい! 」と驚いた。 本当にこの女性が来るとは思っていなかったため、収録後にメンバー全員が出演したことを後悔したという。 同番組に「」で出演した際には、司会のから「(氷室の衣装が)の買い物帰りのおばさんみたい」と言われ、布袋に対してはの物真似を強要させられ 、また高橋は自前のドラムセットを使えなかったこと 等が原因か、テレビ出演は1986年12月を最後に途絶えている。 バラエティ番組である『いきなり! 氷室が「俺のオヤジ、邦子ちゃんの大ファンなんです」とカミングアウトすることもあった。 本番組にはメンバーが酔っ払ったまま出演している。 音楽雑誌に掲載された記事も少ない。 「」がヒットした直後からインタビュー等のオファーが殺到するが、それらのほとんどを拒否している。 数少ないインタビュー記事は、ブレイクする以前から懇意にしていたライターや、自分たちの音楽をよく理解してくれていたライターの雑誌に限定されていた。 このような対応の裏には、まだライブハウスで活動していた時期に、熱意剥き出しで挑んだインタビューがほんの僅かしか掲載されていなかったり、懸命にスタイリングして撮影したはずの写真が掲載されていなかった等の経験から、への不信感を抱いたことが影響している。 そのため、著名なが関係者入口で門前払いにされたり、レコード会社の重役がファンに揉みくちゃにされながらライブを観るといった珍事が続発したという。 メンバーの経歴 [ ]• 氷室の芸名の由来は、漫画「」の主人公から。 初期は「狂介」という芸名だったが、京都のに「『狂』という文字は絶対に使ってはいけません」と言われ、現在の「京介」に改名した。 改名後売れたため、以後もう占いをしないと決めたらしい。 松井の『恒松』の芸名は、本名の「恒」を活かしての『恒松正敏』をヒントにしたもの。 高橋は読み方は同じだが、本名は『信』という漢字表記のため、厳密には芸名になる 1985年頃までは「BAD FEELING」の作詞者クレジットにもあるように、漢字の方の名前を名乗っていたこともあった。 布袋は、メンバー4人の中で唯一本名を名乗っている。 高橋加入後のでのライブの際、の遅れにしびれを切らした氷室が店長と諍いを起こしてしまう。 しかし、この時の店長が偶然にも高橋の旧友だったため、後のライブブッキングや打ち上げの面で有利に働くこととなった。 氷室はバンドを結成した当初は、英会話教材のセールスマンをしていたこともあり、営業成績も優秀だったという。 しかし車の誘導のアルバイトでは車をぶつけ、パチンコ屋では台を壊し、ゲームセンターでは出勤3日目には先輩を見切り1日中ゲームをして遊んでいたというエピソードもある。 布袋は喫茶店のアルバイトの面接に行った際、「背が高すぎる」という理由で不採用になったことがある。 また居酒屋でチューハイを1杯だけオーダーして別のテーブルの残り物を食べたり、夜中に酒屋の脇に積んであるビンを失敬し翌日何食わぬ顔でそれを換金して小銭を稼ぐなどしていた。 松井は六本木の内にあったゲームセンターで働いていた際、店長に「髪立ててメイクしてバイトに来るのやめてくれない?」と注意されたことがある。 後にの「ミント」というカフェバーのマスターとなったが、店がバンドの連絡先も兼ねていたため熱心なファンが通いつめ、利益が上がらず閉店してしまった。 高橋は運びのアルバイトをしており、正社員への推薦を貰うほど勤務態度も優秀だったという。 また地方へ遠征する際は、他メンバーに内緒でへそくりを持っていた。 内緒にしておかないと「酒を飲もう」「飯を食おう」と言われることになるからと、後のインタビューで語っていた。 「(遠征先にて金欠になると)まこっちゃんが靴を脱いでへそくりを出してくる」という光景が多く見られたという。 金額はとりあえず車で東京まで戻ってこられる額だったという。 氷室と布袋はなかなか定まった仕事に就かず、両者とも当時同棲していた女性に半ば養ってもらうという状態だった。 そのためバンドの活動資金は主に松井と高橋のアルバイト代や、ファンから多めに徴収した打ち上げ代などで補っていたそうである。 その他 [ ]• 「紺待人」のペンネームで書籍「大きなビートの木の下で(1986年 ソニー出版)」などバンド関連の書籍等も手掛けた。 ライヴハウス時代、で3万人規模のコンサートがあるという話を聞き出演のために駆けつけたところ、それは村の夏祭りでステージに集まっていたのは30〜40人ほど、は村で収穫された野菜や酒だった。 村に到着した時点ですでに金欠状態でありギャラを帰りの交通費として考えていたため、メンバーは非常に困惑したという。 東京まで戻った手段については「消費者金融で借りたか、機材車のを担保にしたかのどちらかだったと思う 」、「マネージャーの土屋に主催者と再交渉させ、どうにか帰りの高速代くらいは出してもらえた 」など諸説あり、真相は不明。 高橋が他の5人と初めて「IMAGE DOWN」を演奏した際、演奏開始のカウントがあまりにも大声だったため、松井が笑い出してしまい、が中断してしまった。 ラストシングル「季節が君だけを変える」は、布袋が「もっと深い、俺たちの関係を言葉にして欲しい」と氷室の歌詞に意見した最初で最後の曲。 その要求の見返りとして、氷室作詞作曲の「CLOUDY HEART」がB面にくることとなる。 結成当初、布袋と松井はお互いを敬遠しており、あまり会話を交わすことがなかった。 しかしとある地方でのライブ後に2人で呑むことになり、その席で意気投合した。 『INSTANT LOVE』の時期、当時まだアマチュアだったのがで布袋を見かけサインを貰うが、偶然この時の今井の服が『INSTANT LOVE』の裏ジャケットで布袋が着ている衣装の色違いだった。 高橋は氷室の免許更新に同伴して群馬に行った際、当時まだアマチュアだったのに焼肉をおごってもらう代わりに、彼の自宅でドラムを2時間叩いてみせたことがある。 しかし当時は2人のレベルが違いすぎたため、ヤガミは「いつも使っているドラムセットなのに、何故こんなすごい音が出るのか全くわからなかった」という。 上記の帰郷の際、バイクで高速道路を通って行こうと提案した高橋に着いて行った氷室は、非常に恐ろしい体験をしたと語っている。 そして、地元では財布ごと免許証を落としてしまい落胆するが、ファンに拾って貰い事なきを得た。 氷室は全く酒が飲めずもっぱらコーラ、たまに飲む時でものミルク多めである。 また高橋は新宿LOFTに、賞味期限が切れた酒を無料で入れておいて貰う「減らない魔法のボトル」を常にキープしていた。 ライブハウス時代にツアーで京都に行った際、布袋はたまたま修学旅行に来ていた妹 と鉢合わせしてしまい、バツの悪い想いをしたという。 松井はへ行った際、帰りにで土産物を買おうとしたがを全く喋れず、意地になってを貫き通した。 「」ののアニメ・バージョンはが制作した。 当時ガイナックスの社長を務めていたは、後に自著の中で「当時は誰もがあれをやりたがった」と回想している。 『BEAT EMOTION』発売前にラジオで「次は売れる曲出します」と発言したが、その通りに売れた。 『ROCK 'N ROLL CIRCUS TOUR』は、当初ツアータイトルのようにサーカス小屋としてテントを張って、そこをライブ会場にする予定だった。 しかし「地ならしのため、を引き取ってもらわないと困る」と言われ、断念している。 週刊誌に「氷室は殺人罪の前科あり」という根拠の無い記事を掲載されたことがある。 氷室本人はその後のライブで「殺人罪の氷室です」とネタにしていた。 「氷室と布袋が不仲」という記事を掲載された際にも、氷室はライブのメンバー紹介で「彼とは楽屋を別にしてもらってます」とネタにしている。 『ROCK'N ROLL REVIEW DR. FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』の沖縄公演で、煽っても煽ってもにならず横揺れなオーディンスに腹を立てた氷室はステージから下がってしまった。 結果的には戻って最後まで演奏した。 初期メンバーの諸星(ギター)と深沢(サックス)の脱退理由は書籍によって「音楽性の違い」 「今後の不安」 「事務所からのMORAL制作スタッフである月光恵亮の提案(諸星・深沢の演奏力不足による解雇を提案)」 など諸説書かれており、真相は不明である。 しかし、2人のラストライブでの氷室のMCによると、諸星は「もっと黒っぽい音楽(のことと思われる)をやりたくなったから」、深沢は「アクター(俳優)になりたいから」が脱退理由とのこと。 深沢脱退が氷室の口から告げられた瞬間、会場内の女性ファンが悲鳴を上げた。 2人のラストライブで、深沢は自作詞の曲「NO. NY」との「」でボーカルを執っている。 深沢は現在も舞台を中心に映画にも出演する俳優として活動中(舞台でサックスを吹くことも)。 日本のバンドとしては桁外れにの数が多い。 大半の公演について海賊版が存在するという説もある(初期の頃は、営業戦略からバンド側がライブの録音、録画を黙認していた)。 ただし、上記の海賊版が出回っていることに関して布袋は上での質問に対し「非常に心外です」と答えている。 解散について [ ]• 1986年12月16日のでのライブ後、ホテルのバーにてメンバー全員が解散について話し合った。 最初に解散を提案したのは布袋だった。 それまでも「1位を取ったら解散」とメンバー間で話してはいたが、ブレイクする以前はまだ非現実的だったため、あくまでも冗談半分の扱いだった。 しかしながら『』がメンバー全員にとって音楽的に満足のいく作品となり、『』が初登場1位を記録し商業的にも成功を収めたことから、この時に初めて現実的な内容での話し合いが持たれた。 ファンの間では、マスコミに一切公表していないにも関わらず『ROCK'N ROLL REVIEW DR. FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』の最終公演である「12月24日ので解散」という情報が事前に伝わっていた。 これは「活動後期の歌詞や活動内容の加速度・充実度やエピソードから一部ファンと音楽ライターが年内解散を予測しており、複数発生源の口コミとして広まった」ということが、音楽誌「BANDやろうぜ!! 」の編集後記にこぼれ話として書かれたことがある。 12月24日当日はチケットを入手できなかったファンが渋谷公会堂の前に多数集まり、会場内の様子を知ろうと揉み合いになるうちに正面入口のガラス戸が割れるという事態にまで発展した。 この日のライブを収めたDVD『』には、会場前に群がるファンと割れたガラス戸の映像が収められている。 終演後は、会場前のファンに向けても「解散宣言をした」とアナウンスされた。 ではバンド解散が臨時速報され(NHKがバンドの解散を取り上げたのは異例である [ ])、翌日のの朝刊にはバンド側からのコメントが掲載された。 翌年の4月4日、5日にで行われた『』にて正式にバンドとしての活動を終了した。 『LAST GIGS』についてバンド側は「あくまで前年の12月24日でバンドは解散しており、少し早い再結成、同窓会のようなもの」としている。 しかし実際には、最終公演後の移動車内でメンバー全員が泣いていたという。 解散の理由 [ ] バンド側からの正式な解散理由は、解散から32年経った2020年現在でも発表されていない。 各メンバーが様々な状況が折り重なった結果だといったニュアンスの発言をしている。 要因の一つとして布袋は「自身が海外での活動を強く希望した」としている。 前述の通り、ブレイクする以前からバンド内で「トップに立ったら解散する」と決めていたことも挙げられる。 東芝EMI移籍後の末頃に布袋が「今はバンドの勢いが出てきたから、あと1,2年はこのまま(バンドを継続して)いくと思うけど、その後個人で独り立ちできるようにしていかないと」という話をしたことを高橋が著書 や「1224 THE ORIGINAL」発売時のイベントで発言している。 布袋は1986年10月のインタビューで「最終形のものを描く時が来ると思うんですよ。 売れる売れない関係なく。 レコード作ったりツアーやって『これで俺らはやることやった』って思う時が来ると思う。 そしたらそこでおしまいだと思う。 ある意味じゃ解散に向けて頑張ってるんだと思う」と語っている。 『』のジャケットで布袋がを蓄えているのは「アイドルにはなりたくない」という当時の心境からであり、このアルバムのツアー前半では彼本来のステージアクションがなく 「まったく動く気になれなかった」「最初は髭を生やしたままステージに出ようかとも思った」と語っている。 布袋によれば「100万枚とか売れる風になると当たり前にロック好きじゃない子も入ってくる。 それがミュージシャンとしてすごく居心地が悪くなってきた。 誰も自分のギターなんか聴いてないんじゃないか、ただキャーキャー言ってるだけじゃないかと感じるようになった」「後期になっていくと、上手くいけば上手くいくほどだんだん味気なくなり、メンバー全員がバンドや自分自身に対して違和感を抱くようになった」などの状況が重なり、次第にギクシャクしていったという。 高橋はこういった状況について「ファンとの温度差みたいなものが出てきていた。 こっちは新しい曲を作って演奏しているのに「IMAGE DOWN」や「」を演らないと納得しないようなノリがあったり、布袋がギターソロを弾いているのに氷室ばかり見ているお客さん、氷室が一生懸命歌っているのにまったく違った受け止め方をするお客さんなんかもいたりして、自分たちの音楽が本当に理解されているんだろうかっていうジレンマが生まれてきた」と語っている。 「氷室と布袋の不仲が原因」とされる見方があるが、両者ともに不仲の真偽はともかく解散の原因とは違うと否定している。 氷室は解散後のインタビューにて「雑誌ではライバルという書かれ方をしていたけど、俺は布袋の事を1度もライバルと思った事はない。 それがソロとバンドの違いだと思う。 バンドの中でメンバーをライバルだと思っていたら、バンドの良さって絶対出ないと思う。 俺は布袋を最高のギタリストだと思っていた」と語っている。 布袋も自身のラジオ番組『』内で「僕はヒムロックのこと好きだし、自分が嫌いな人の横でギターを弾けるわけがない。 まっちゃんやまこっちゃんのビートがあってのバンドだった訳だから。 そんな理由じゃ解散できない」としている。 解散後、氷室は「楽しくて始めたはずのバンドが、ロックビジネスというシステムの中に組み込まれて、少しずつ自分達の考えと違う方向に、勢いがついて転がっていってしまった。 あと妙な義務感みたいなものがすごく大きくなって、苦しくなってきた。 なのでもう辞めるしかない。 辞めないで、そのまま3年4年と続けるのは厳しい」と語っている。 布袋も解散後のインタビューで「音とか売り上げとかじゃなく、意識が完成したから解散したんだと思う」と語っている。 また著書『秘密』では「決してひとつの理由などではない。 もしいま4人が集まり解散の理由を話したとしたら、きっと全員見事にバラバラなのではないかと思う。 4人のもの。 「俺にはこんな理由がある」などと4分の1の存在が軽々しく語ってはならないと思う。 俺には俺の"絶対に解散せねばならない理由"があったが、それは墓まで持っていく」としている。 松井は「本当にすべてが上手くいっていたら解散なんてしない」とした上で、「確かに口火を切ったのは布袋だけど、それ以前にも解散の危機は何度もあった」「友達としていつも一緒にいたいけど、でもそれと音楽は別にしなきゃっていう分かれ道だったのかもしれない」と語っている。 一方で「満たされてはいなかったけど、もう選択肢が他になかった」「もしまた、あの4人で同じステージに立てたとしたら、それはすごくエキサイティングだろうなと思う」というコメントも残している。 は、布袋が当時の妻・のツアーに注力しすぎたことでメンバー間に溝ができたことが解散理由という説をラジオ番組内で唱えている。 解散後 [ ] メンバー間の関わりがあるもののみを記載する。 氷室が「俺と一緒にやらないのか?」と松井を引き止めたという噂もあったが、本人は「新しい環境に行くことにすごく興味があった」と語っている。 これについて、『LAST GIGS』の打ち上げに布袋と松井は参加しなかったという経緯もあったことから、バンドが2つに分裂したという見方もあった。 1988年8月26日、にて行われたのライブ『Baby alone in BABYLON" Tour 1988』に布袋と松井が参加。 両者ともバンド解散後、公の場に姿を見せたのはこの時が初だった。 1988年10月26日のと同年11月15日ににて行われた布袋のソロ初ライブ『 LIVE』に松井が参加。 1988年11月19日、にて行われた氷室のライブに高橋がゲストで参加。 1989年に布袋がとのユニットであるでデビューした際、氷室は「あれが布袋の本当にやりたいことなのかなと思う。 『』を発表したのはわかる。 そこで、敢えてバンドを組んでああいう事をやる必要性が分からない 」とコメントしている。 これに対し布袋も、氷室のシングル「」を指し「あんな曲ならばいくらでも作れる」とコメント。 これら一連の流れから「氷室と布袋の不仲説」も浮上したが、前述の通り両者ともその説を否定している。 またCOMPLEXが解散した際、氷室は「吉川が布袋から受けた音楽的影響は、決して小さいものではないはず」と語っている。 解散後、氷室と布袋が直接会話したのは、布袋の『』完成後。 布袋が氷室を訪ねると「聴いたよ」と答え、感想として「長げーよ」とコメントしたという。 「良いけど長い」「長いの作りたかったんだからいいんじゃない?」と氷室は答え、率直な感想をもらえたとして布袋は嬉しかったとコメントしている。 これ以前にものレストランで偶然氷室と布袋が居合わせたことがあり、布袋は自身のラジオ番組にて「なんかこっちは緊張したけどね」と語っている。 、布袋の『 TOUR』の公演を氷室が観覧した。 、氷室のファンクラブイベントに高橋が特別ゲストで参加。 当時高橋はの解散が決定し無気力状態の日々を送っており、かつての戦友である氷室との再会で音楽への情熱が再燃したと語っている。 1993年、松井のアルバム『』に布袋が参加。 1994年、高橋のアルバム『楽しき人生』に布袋と松井が参加。 松井は同アルバムのライブにもゲスト参加した。 1994年、松井のアルバム『』に布袋が参加。 1994年、氷室のアルバム『』に松井が参加。 「あれだけのボーカリストなのに、まださらに上へ行こうとしているのは凄い」とコメントしている。 、の復興支援チャリティーライブに氷室と布袋が出演。 それぞれ同じステージに立ったが、共演は行われなかった。 1995年、松井のアルバム『』に布袋が参加。 末、布袋宅でのクリスマスパーティーにて、解散宣言をしたライブのDVD『』を布袋と松井が鑑賞した。 事前に手元には届いていたものの、両者とも「ひとりでは観るのが怖かった」と吐露している。 鑑賞後には布袋、松井とも感極まって泣きながら抱き合ったという。 松井はこの時のことを振り返り「解散後ソロをやって、ステージの真ん中に立つというのはこういうことなんだと実感した。 あのバンドの中でフロントに立って、何かを声にするということは、想像を遥かに超える過酷さがあったに違いない」とファンに向けて直接解散を宣言した氷室の胸中を察するコメントを著書にて語っている。 、布袋のアルバム『』に松井が参加。 アルバムのツアーにも参加した。 このツアー開始直前、布袋は転倒によりとの重傷を負い、全スケジュールが延期となった。 のちに松井は「いつでもまた一緒にできるような気はしても、何があるかわからない。 だからまたこのギターとプレイすることができて本当に幸せだとツアー中ずっと思っていた。 1本1本が本当に大切な時間だった」「(布袋の)復帰にかける執念が音だけじゃなく背中からも伝わってきた。 だから自分もやるからには完璧にやりたくて、ベースの化身になりたいと思った。 歌も演るソロとは違って、もっともベーシストに徹することが出来る場所だったから」と語っている。 2002年、吉川晃司のアルバム『』収録曲「The Gundogs」に松井と高橋が参加。 、布袋のアルバム『』に松井が参加。 アルバムのツアーにも参加した。 2003年、松井のソロ・プロジェクト『Groove Syndicate』に布袋がギター、共同作曲、プロデュースで参加。 高橋は当日ライブを観覧し「純粋に楽しめた 」とコメント。 松井は「あれはないよね」と否定的なコメントを残している。 2004年、「」の特番に吉川晃司が「」で出演した際、松井と高橋がサポートで参加した。 当初は50歳のアニバーサリーライブを予定し3月14日に発表する準備をしていたが、その直前に震災が起こったため一旦発表を延期し、公演の内容を見直していた。 結果「チャリティーの為にライブを行い、より多くの収益金を集め、被災地へダイレクトに届ける」という趣旨のもと開催する運びとなる。 どうして声を掛けてくれなかったのかと。 こんな時だからこそ、再び4人で手を握り合い、大いなる目的のために、協力し合うべきだと思った。 アーティストとして素晴らしい決断だと思う反面、一緒に活動を共にしていた仲間としては、残念でならない」と語った。 また布袋は、上で氷室に関する質問攻めにあってしまったこともあり2日程沈黙を続けていたが、後に自身のブログ上で「再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」「氷室京介氏の復興支援に向けたアクションは、彼の信念に基づいた選択であるはずです。 僕はそれを否定的にとらえる気持ちなど全くなく、リスペクトしています」と述べた上で、「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました」と、今後も再結成は非現実的であることを伝えた。 後に氷室本人はこのライブについて「出来るだけ集客することで収益は増え、チャリティーの効果がより高くなる。 素晴らしいステージ、そして、素晴らしい時間でした。 」とコメントした。 ライブ当日氷室は「来月にここで友達がライブを演るみたいなんでよろしく」と、氷室同様チャリティーライブのために、の二日間限定でを再始動させた布袋と吉川を指すMCも発している。 2012年2月1日、にて行われた布袋の50歳バースデーライブである『30th ANNIVERSARY 第四弾 ja-Ltn HOTEI THE ANTHOLOGY "最終章" WE ARE DREAMER 〜50th BIRTHDAY SPECIAL CELEBRATION GIG〜』に高橋がゲストで参加。 『』以来、24年振りとなるステージ上での共演を果たした。 NEW YORK」が披露されている。 2012年、・アリーナにて行われた高橋の東日本大震災の復興支援チャリティーライブ『つながろう ふくしま 〜絆〜 スペシャルライブ with 高橋まこと』に布袋がゲスト参加。 「」では高橋のボーカルも披露された。 2013年2月2日、布袋が出演したの『EMI ROCKS 2013』に高橋が参加。 2013年3月11日、群馬県高崎市にある氷室の実家を含む家屋3棟が全半焼する事件が発生。 両親共に無事ではあるものの氷室の実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大怪我を負っている。 この件に関して氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がないことを報告。 同日、氷室の実家を放火した37歳の女が高崎署に出頭、現住建造物等放火容疑で逮捕された。 布袋と高橋が氷室を気遣うコメントを発しており、同時に2人に対しても過去に犯人から自分宛に何度もツイートがあったことが明かされている。 2014年7月13日、山口県のにて行われた氷室のライブで、本人の口から同月19・20日の2日間公演をもって「氷室京介を卒業する」と電撃発表。 この発表の件はスタッフはじめ周囲は「知らなかった」と口をそろえ、同日深夜、公式サイトにて驚かせたことに対する謝罪と翌2015年のファイナルコンサートをもって、氷室京介としてのライブ活動を休止することが掲載された(結局ファイナルコンサートは翌々2016年春の横浜スタジアムのリベンジライブに決定)。 ただし、氷室は7月19日のライブにて寝耳に水報道を否定している。 この一件に高橋は「余りに突然なので言葉が出ませんでした」としつつ、「ヒムロックの気持ちを一番大切にしたいです。 きっと横浜スタジアムでしっかり説明してくれる事と思います。 あとは、ちゃんと受け止める事です。 また布袋は氷室の名前こそ出していないものの、ブログ上にて「もし彼が本当にステージから姿を消してしまうなら「最後のステージはせめて一曲でも 隣りでギターを弾かせてほしい」そう願うのみ。 」と氷室への想いと思しきコメントを寄せている。 〜のツアー「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」をもって、氷室がライブ活動を無期限休止。 高橋は松井とともに5月22日の東京公演を観覧。 布袋は「『氷室京介LAST GIGS』最終日(5月23日)を観させていただきました」とブログにて明言 、そして同年の日本武道館公演でのMCでは「ヒムロックがステージから去るその瞬間を、僕も観に行きました」と述べた。 、布袋のアルバム『』に松井と高橋が参加。 2019年6月15日から9月1日にかけて高橋が参加する『』リリースに伴うスペシャルイベントに初期メンバーの深沢がゲストで参加予定。 『LAST GIGS』以降、4人全員が揃った唯一の場とされているのが、カメラマンの結婚式である。 解散後の共演の組み合わせとしては、同じ事務所にいたこともある「布袋と松井」の共演が回数としては一番多く、以降は「布袋と高橋」の共演が多い。 また、松井と高橋はそれぞれ他のメンバー3人全てと解散後に共演している。 唯一解散後実現していないのが「氷室と布袋」の共演である(前述の1995年に開催された阪神淡路大震災の復興支援チャリティーライブにそれぞれ出演したが、共演は行われていない)。 作品 [ ] 「」を参照 シングル [ ]• (1985年)• (1985年)• (1986年)• (1986年)• (1987年)• (1987年)• (1987年)• (1988年) アルバム [ ]• (1982年)• (1983年)• (1985年)• (1986年)• (1986年)• 5月11日• 6月27日 新宿LOFT• 7月16日 新宿LOFT• 8月12日 新宿LOFT• 9月17日 新宿LOFT• 10月9日 前橋Garcia• 10月10日 前橋Garcia• 10月19日 新宿LOFT• 11月3日 河口湖ホテルライブ• 1月28日 新宿LOFT• 2月16日 新宿LOFT• 3月1日 原宿クロコダイル• 3月24日 新宿LOFT 「暴威」表記• 3月29日 原宿クロコダイル• 4月6日 渋谷LIVE INN• 5月3日 前橋河川敷コンサート• 5月11日 渋谷屋根裏• 5月14日• 5月29日 新宿LOFT• 5月30日 千葉DANCING MOTHERS• 6月4日 渋谷AtoZ• 6月13日 渋谷TAKE OFF 7• 6月19日 新宿ACB• 6月27日 新宿LOFT• 7月2日 中野公会堂• 7月3日 千葉DANCING MOTHERS• 7月5日 新宿LOFT「GET HOT ROCKS! part. 7月14日 渋谷屋根裏• 7月16日 京都ディスコ• 7月18日 新宿LOFT• 8月6日 千葉DANCING MOTHERS• 8月23日 渋谷TAKE OFF 7• 9月9日 渋谷PARCO PART III• 9月18日 新宿LOFT• 10月30日 (相模原)学園祭• 11月6日 第23回海鷹祭• 11月17日• 12月4日 千葉DANCING MOTHERS• 1月4日 渋谷Egg-man• 1月5日 千葉DANCING MOTHERS• 1月15日 新宿LOFT• 4月30日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 5月14日 千葉DANCING MOTHERS• 5月24日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 6月5日 柏クレイジーホース• 6月18日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 6月22日 横浜• 6月24日 六本木OPEN記念ライブ• 7月7日 渋谷La. mama「GIG THE STAND UP」• 7月9日 千葉DANCING MOTHERS• 7月10日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 7月26日 新宿LOFT「AFROCKABILY LIVE Vol. 7月31日 佐賀 県民の森イベント• 8月13日 新宿LOFT「夏休み特別企画 その4 BEST,BEAT,AGE」• 8月17日 渋谷LIVE INN• 9月22日 新宿LOFT• 9月25日 高崎MAKE UP• 10月1日 新宿LOFT「スタジオ・ギャング バトルロイヤル AT LOFT 4Days」• 10月2日 柏クレイジーホース• 10月5日 渋谷TAKE OFF 7• 10月17日 京都BIG BANG• 10月18日. 10月19日 名古屋grateful YUCCA• 10月22日 高崎MAKE UP• 10月27日 渋谷LIVE INN• 11月4日 文化服装学院 文化祭• 11月20日 神戸• 11月23日 大阪 THE BOTTOM LINE• 11月24日 名古屋E. 11月26日 清水BOWIE• 11月27日 新宿LOFT• 12月2日 新宿ライブイン 村さ来• 12月18日 高崎福祉会館• 12月26日 渋谷LIVE INN• 1月28日 新宿LOFT• 2月16日 清水BOWIE• 2月17日 名古屋E. 2月19日 大阪ポップコーン• 2月20日 神戸チキンジョージ• 2月21日 京都 磔磔• 2月23日 名古屋grateful YUCCA• 2月24日 渋谷LIVE INN• 3月17日 渋谷LIVE INN• 3月23日 千葉DANCING MOTHERS• 3月30日 新宿LOFT 「BEAT EMOTION・LOFT 2 DAYS~すべてはけじめをつけてから~ 暴威DAY」• 4月11日 学園祭• 4月12日 学園祭(中止)、千葉DANCING MOTHERS(中止)• 4月27日 渋谷LIVE INN• 5月3日 「JAPAN ROCK FESTIVAL '84」• 5月18日 藤沢BOW• 5月27日 流山市民会館• 5月31日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION I」• 6月24日 Festival• 6月30日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION II」• 7月5日 「NO・REASON」 DVD『"GIGS"BOX』 1984年 BEAT EMOTION 全22公演• 7月7日 新宿LOFT• 7月8日 名古屋E. 7月10日 京都BIG BANG• 7月11日 大阪バーボンハウス• 7月13日 神戸チキンジョージ• 7月25日 高崎市 パブゴールド アマチュア・ロック・コンテスト• 7月27日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION III」• 7月28日 渋谷La. mama• 8月5日 高松市 エスノクラブ• 8月7日 窪川町農村環境改善センター• 8月8日 土佐清水市立 市民文化会館 くろしおホール• 8月9日 高知県立県民文化ホール グリーンホール• 8月10日 徳島アッファングーロ・ポッコディーロ 中止• 9月1日 渋谷東横劇場「HEADZ 8」• 9月29日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION IV」• 10月10日 高崎市文化会館ホール TAKASAKI ROCK FESTIVAL• 10月27日 渋谷LIVE INN「BEAT EMOTION V」• 11月4日 駒澤大学記念講堂 オータムフェスティバル• 11月23日 生田祭• 11月25日 第35回 津田沼祭• 11月30日 前橋市民文化会館大ホール「LIVE HOUSE THE RATTAN PRESENTS Super Rock Fes. 12月6日 仙台ヤマハホール• 1月1日 LOFT NEW YEAR PARTY• 3月12日 Marquee Club in LONDON• 4月13日• 6月20日 高崎市文化会館• 6月25日 DVD『"GIGS"BOX』 1985年 BEAT TO PLATON 6都市全8公演• 6月27日• 6月28日 大阪バナナホール• 7月1日 名古屋• 7月2日 名古屋ハートランドスタジオ• 7月19日 札幌• 7月20日 小樽第二埠頭• 8月11日• 9月6日• 9月17日 福岡• 9月18日 熊本郵便貯金会館• 9月20日 京都教育文化センター• 9月23日 中ホール• 9月24日 高知県立県民文化ホール オレンジホール• 11月3日 (学園祭)• 11月4日 福岡大学高宮校舎体育館(学園祭)• 11月5日 駒澤大学記念講堂(オータムフェスティバル)• 11月9日• 11月12日 石川県教育会館• 11月13日 新潟市公会堂• 11月25日 NHK MUSIC WAVE• 11月29日 横浜市教育会館• 12月6日 (ギャッツビーライブ)• 12月9日 (学園祭)• 12月12日• 12月13日 秋田市文化会館• 12月16日• 12月18日• 12月20日• 12月24日 渋谷公会堂• 12月24日、渋谷公会堂でのセット・リスト。 BEGGINING FROM ENDLESS• Dreamin'• ハイウェイに乗る前に• BABY ACTION• GIVE IT TO ME• 唇にジェラシー• BAD FEELING• CLOUDY HEART• THIS MOMENT• DANCE CRAZE• MY JULLY PART. IMAGE DOWN• TEENAGE EMOTION• LONDON GAME• ホンキー・トンキー・クレイジー• GUERRILLA• NEW YORK• HAPPY X'MAS• アンコールは16と17。 17と18の間で、氷室から来年(1986年)に向けての抱負と、布袋との結婚宣言が行われた。 1と18はSE。 このツアーでは曲目・曲数・曲順が頻繁に変えられている。 1986年 JUST A HERO TOUR 25都市全37公演• 3月24日 青山スパイラルホール• 4月2日 秋田市文化会館• 4月3日• 4月5日• 4月6日 日比谷野外音楽堂(勇気ある子供達が時代をつくる)• 4月11日• 4月12日 千葉県教育会館• 4月17日• 5月4日 名古屋港ガーデン埠頭(中京テレビ ROCK WAVE)• 5月1日 高崎市文化会館• 5月6日 札幌市民会館• 5月12日• 5月14日 熊本郵便貯金会館• 5月15日• 5月22日• 5月24日• 5月25日 大阪厚生年金会館• 5月26日 第二ホール• 5月28日• 5月29日 清水市民文化会館• 6月1日 GO! LOFT 10YEARS ANNIVERSARY• 6月3日 水戸市民会館• 6月5日 群馬音楽センター• 6月6日• 6月7日• 6月8日 日比谷野外音楽堂 ANN CALL'86• 6月17日 新潟市公会堂• 6月18日• 6月19日 福井県民会館• 7月2日 日本武道館 全20曲• PROLOGUE• BAD FEELING• ROUGE OF GRAY• BLUE VACATION• JUSTY• BABY ACTION• GIVE IT TO ME• LIKE A CHILD• HONKY TONKY CARZY• わがままジュリエット• 1994-LABEL OF COMPLEX-• WELCOME TO THE TWILIGHT• DREAMIN'• INSTANT LOVE• IMAGE DOWN• TEENAGE EMOTION• JUST A HERO• このツアーから基本的にどの会場でも同じセットリストで行われるようになった。 7月20日 札幌市民会館(HBCフレッシュコンテストゲスト出演)• 7月27日 夕張(パロ・パロ・ロック・フェス)• 8月2日 福岡 (サマー・ピクニック)• 8月3日 福岡 恋の浦(サマー・ピクニック)• 8月4日 新宿 都有3号地(ウォーター・ロック・フェス)• 8月8日 秋田県営ラグビー場 ROCK CITY CARNIVAL'86• 1986年11月11日• 1986年11月13日• 1986年11月17日• 1986年11月18日 宮城県民会館• 1986年11月20日 郡山市民文化センター• 1986年11月27日 岩手県民会館• 1986年11月28日• 1986年11月30日• 1986年12月5日 大阪厚生年金会館• 1986年12月6日 大阪厚生年金会館• 1986年12月7日 大阪厚生年金会館• 1986年12月10日 日本武道館• 1986年12月16日• 1986年12月18日 群馬県民会館• 1986年12月22日 群馬県民会館• 1986年12月24日• 1987年1月8日 鹿児島市民文化ホール• 1987年1月9日 熊本県立劇場• 1987年1月10日 福岡市民会館• 1987年1月13日• 1987年1月16日 札幌市民会館• 1987年1月17日 札幌市民会館• 1987年1月22日• 1987年1月23日 名古屋市公会堂• 1987年1月26日 広島郵便貯金会館• 1987年1月27日• 1987年1月29日• 1987年2月3日• 1987年2月4日 高知県立県民文化ホール• 1987年2月5日 福岡市民会館• 1987年2月10日• 1987年2月13日 京都会館• 1987年2月14日• 1987年2月15日• 1987年2月19日 宮城県民会館• 1987年2月20日• 1987年2月24日 日本武道館 全21曲• ハイウェイに乗る前に• BABY ACTION• RUNAWAY TRAIN• BAD FEELING• 1994-LABEL OF COMPLEX-〜DRAMATIC? DRASTIC! RAIN IN MY HEART• CLOUDY HEART• わがままジュリエット• B・E・L・I・E・V・E ( BELIEVE )• SUPER-CALIFRAGILISTIC-EXPIARI-DOCIOUS• WORKING MAN• DOWN TOWN SHUFFLE• JUSTY• NEW YORK• BEAT SWEET• IMAGE DOWN• DREAMIN'• HONKY TONKY CARZY• BLUE VACATION• ONLY YOU• アルバム『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR 1986. 11〜1987. 24』• ビデオ『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR 1986. 11〜1987. 7月26日• 8月4日 KING OF ROCK SHOW• 8月9日 スポーツランドSUGO ROCK'N'ROLL OLYMPIC'87• 8月15日 野外ステージ ROCK CITY CARNIVAL'87• 8月16日 秋田県営ラグビー場• 7月31日• 8月7日 横浜文化体育館 全39曲• 第一部• INTRODUCTION• IMAGE DOWN• BABY ACTION• RATS• MORAL• GIVE IT TO ME• THIS MOMENT• わがままジュリエット• BAD FEELING• LIKE A CHILD• MY JULLY PART. WORKING MAN• TEENAGE EMOTION• LONDON GAME• NEW YORK• 第二部• DANCING IN THE PLEASURE LAND• ROUGE OF GRAY• RUNAWAY TRAIN• B・E・L・I・E・V・E ( BELIEVE )• CLOUDY HEART• INSTANT LOVE• FUNNY-BOY• MY HONEY• LET'S THINK• 1994-LABEL OF COMPLEX-• PLASTIC BOMB• MARIONETTE• RENDEZ-VOUS• SUPER-CALIFRAGILISTIC-EXPIARI-DOCIOUS• ハイウェイに乗る前に• JUSTY• HONKY TONKY CRAZY• DREAMIN'• BEAT SWEET• BLUE VACATION• ONLY YOU• ON MY BEAT• FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR 33都市全36公演• 9月16日 宇都宮市文化会館• 9月19日 千葉県文化会館• 9月24日• 9月27日 鹿児島市民文化ホール 第1ホール• 9月29日• 10月7日• 10月8日 倉敷市民会館• 10月10日 京都会館 第1ホール• 0月13日• 10月16日 宮崎市民会館• 10月21日 青森市文化会館• 10月22日 秋田県民会館• 10月25日• 10月26日 岩手県民会館• 10月29日 群馬県民会館• 11月4日• 11月6日 愛媛県県民文化会館• 11月12日 群馬音楽センター• 11月16日• 11月17日• 11月19日• 11月23日• 11月26日• 11月27日• 11月30日 日本武道館• 12月1日 日本武道館• 12月3日 四日市市文化会館• 12月4日 静岡市民文化会館• 12月7日• 12月8日 大阪城ホール(追加公演)• 12月10日 茨城県立県民文化センター• 12月14日 山形県県民会館• 12月16日• 12月20日 レインボーホール• 12月22日 新潟県民会館• 12月24日 渋谷公会堂 全22曲• LIAR GIRL• ANGEL PASSED CHILDREN• BLUE VACATION• ハイウェイに乗る前に• PSYCHOPATH• CLOUDY HEART• MARIONETTE• わがままジュリエット• LONGER THAN FOREVER• 季節が君だけを変える• WORKING MAN• RENDES-VOUS• HONKY TONKY CRAZY• PLASTIC BOMB• BEAT SWEET• IMAGE DOWN• NEW YORK• MEMORY• ONLY YOU• DREAMIN'• ビデオ『』• ビデオ『』 1988年 "LAST GIGS" 全2公演• 4月4日• 4月5日 東京ドーム 全23曲• PROLOGUE• ハイウェイに乗る前に• BABY ACTION• BAD FEELING• 1994-LABEL OF COMPLEX• DRAMTIC? DRASTIC! MARIONETTE• わがままジュリエット• LONGER THAN FOREVER• CLOUDY HEART• WORKING MAN• PLASTIC BOMB• JUSTY• IMAGE DOWN• BEAT SWEET• NEW YORK• ONLY YOU• DREAMIN'• ON MY BEAT• BLUE VACATION• RENDEZ-VOUS• HONKY TONKY CRAZY• NEW YORK(4月5日のみ)• 本項目は4月5日演奏分。 HYSTERIA(1985年、八曜社)• GIGS(1987年、)• RENDEZ-VOUS(1988年、)• 大きなビートの木の下で(1986年、CBSソニー出版)• B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS. (2002年、)• (氷室京介、松井常松と小・中学校の同級生。 当時、一緒にバンド活動を行った。 (イベントで共演するなど交流があった。 1986年、新宿都有3号地で豪雨の中の競演が有名。 アルバム『JUST A HERO』収録の「1994-Label Of Complex-」にヴォーカルで参加。 (に布袋と結婚。 山下のツアーに布袋と松井がサポートで参加した他、イベントでも共演した。 (かつて同じ事務所に所属し、新宿都有3号地での共演、アルバム『FOUR FIGURES』に布袋が参加するなどの交流があった。 (第4のメンバーとして知られる。 アルバム『BEAT EMOTION』『PSYCHOPATH』参加。 (アナーキー・イン・ザ・U. 、GOD SAVE THE QUEEN など初期のライブではピストルズの曲が頻繁に演奏された)• (ボウイというバンド名は彼から取ったという俗説もある ) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2020年4月12日閲覧。 Chris True. 2013年2月9日閲覧。 月刊カドカワ1991年4月号 総力特集氷室京介70ページ• 116(2004年 宝島社)• 高橋まことのぼちぼちブログ• 寿記-寿的超日常記-• BUCK-TICK LOVE ME( )• 135(2004年 宝島社)• 写真集「 RENDEZ-VOUS」の年表• B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS. 、117ページ• 136(2004年 宝島社)• 2」、。 「ROCKIN'ON JAPAN FILE」、p. 76、、1988年。 『』 2004年6月6日 出演時のコメントより• DVD『Top Runner 完全版』 2005年• 40(2004年 宝島社)• 『』1990年5月3日放送分より• のインタビューより• 「PATi PATi」1991年11月号インタビューより• 『』でのコメント。 布袋寅泰『よい夢を、おやすみ』(1993年 八曜社)• オリコン 2011年4月19日• 高橋まことのぼちぼちBLOG• 2011年4月18日参照• BEAT主義日記• 2011年5月5日放送 特別編 「氷室京介 密着250日」でのコメントより• 、2011年6月11日参照• BEAT主義日記• 高橋まことのぼちぼちBLOG• ORICON. 2012年2月2日. 2012年2月8日閲覧。 2012年2月2日. 2012年2月8日閲覧。 朝日新聞 2013年3月11日• ORICON STYLE 2013年3月11日• 読売新聞 2013年3月11日• 東京スポーツ 2013年3月15日• マイナビニュース 2013年3月16日• 高橋まことのぼちぼちBLOG• 「ATMIC DRUM 高橋まことのぼちぼちBLOG」2013年3月14日の記事より• BEAT主義日記 - HOTEI OFFICIAL BLOG• ATOMIC DRUM 高橋まことのぼちぼちBLOG 2016年5月24日. 2016年6月4日閲覧。 BEAT主義日記 - HOTEI OFFICIAL BLOG 2016年6月1日. 2016年6月4日閲覧。 ATOMIC DRUM 高橋まことのぼちぼちBLOG 外部リンク [ ]• - 公式ウェブサイト• - UNIVERSAL MUSIC JAPAN• - 公式ウェブサイト(会員制).

次の