日蓮 正宗 葬式。 仏事ー常識と非常識

日蓮正宗の葬儀について解説!厳しいマナーや作法に注意が必要!

日蓮 正宗 葬式

顕正会や創価学会は日蓮正宗の信徒団体の一つでありました。 なので、当時はいくつか種類がありました。 顕正会、創価学会の他に法華講があります。 法華講は日蓮が名前をつけたらしく、鎌倉時代から存在してます。 ちなみに日蓮正宗から顕正会が破門になったのは昭和47年に8月12日です。 創価学会は平成3年です。 ただし、ややこしいですが、創価学会員は創価学会員である前に日蓮正宗の信徒でした。 日蓮正宗の信徒が創価学会という日蓮正宗の信徒団体に所属していたわけです。 だから、創価学会が破門になっても創価学会員は日蓮正宗の信仰をしてました。 しかし、創価学会が僧侶不在の葬儀や平成5年には日蓮正宗の本尊を無断複製したニセ本尊を創価学会に籍を置く日蓮正宗信徒に買わせたり、交換させるといった行為を行いました。 それでも、いきなり創価学会に籍を置く日蓮正宗信徒を日蓮正宗は破門にしませんでした。 時を経て平成9年に創価学会に籍を置く日蓮正宗信徒を破門にして、創価学会と日蓮正宗は完全に無関係となりました。 創価学会員です。 日蓮正宗の悪僧ども 日顕宗 は、売春や遺骨投棄事件、ネットでデマ情報を流し司法より断罪されております。 その悪僧どもの事を日顕宗と言います。 遺骨投棄事件は、日蓮正宗の悪僧ども 日顕宗 が信徒の遺骨をごちゃ混ぜにして使い古しの米袋に入れて、日蓮正宗大石寺の境内に穴を掘って投棄した事件です。 遺骨投棄された、御家族や御親族の深い悲しみや怒りは、決して消える事はありません。 貴方様は、日蓮正宗の法華経信仰を真面目にやられている学生さんでしょうが、知っておいた方が宜しいでしょう。 日蓮大聖人様は 「同じ米穀なれども・謗法の者をやしなうは仏種をたつ・命をついで弥弥(いよいよ)強盛の敵人となる」 と仰せになりました。 謗法の者とは、日顕宗の悪僧どもです。 そんな悪僧どもをやしなうは、仏種を断つ事になります。 ちなみに、日蓮正宗には他にも正信会なる僧侶グループがありましたが、そこも日蓮正宗とは違う思想です。

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日蓮正宗の葬儀について解説!厳しいマナーや作法に注意が必要!

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こんにちは。 北海道全域対応、札幌市の葬儀会社「北のお葬式」です。 日本で行われる葬儀の多くは仏式葬儀ですが、仏教には様々な宗派が存在し宗派ごとに葬儀の流れや作法も異なります。 今回は仏教宗派の中でも、日蓮正宗の葬儀について解説します。 日蓮正宗の歴史や特徴葬儀の流れ、特徴的なマナーなや作法などをご紹介します。 日蓮正宗とはどんな宗派? 日蓮正宗とは、鎌倉時代の僧侶・日蓮聖人が開いた「日蓮宗」から独立して生まれた宗派です。 日蓮聖人の没後に、思想の違いから分裂し、弟子の一人である日興(にっこう)が開創しました。 総本山を静岡県の大石寺としています。 日本での歴史は750年を超える宗派で、全国各地はもとよりアメリカや台湾を中心に海外にもたくさんの寺院があり、その数は700を超えると言われています。 日蓮正宗では日蓮宗と同様に「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」の教えを大切にし、日々のお勤めで妙法蓮華経の題目「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」を唱えることで今世での救いと成仏が叶うとされています。 教えや題目を唱えることを大切にし、教義を厳しく守ることに重きを置いています。 日蓮宗とは元が同じなので題目など共通部分もありますが、大きな違いは「本尊」が何を指すかという考え方です。 釈迦を本尊とする日蓮宗に対して日蓮正宗は日蓮聖人そのものを本仏として崇拝の対象としており、この部分が大きな違いとなっています。 日蓮宗の歴史や概要、葬儀の流れについてはこちらで詳しくご紹介しています。 日蓮正宗の葬儀、特徴や流れについて 日蓮正宗における葬儀とは、故人の魂が無事に三途の川を渡るために日蓮大聖人に迎えに来ていただく儀式です。 教義を厳格に守ることを大切にする宗派のため、葬儀での儀式や流れも日蓮正宗の定めると通りに進めることを重用しています。 日蓮正宗の葬儀では、「南無妙法蓮華経」の題目を参列者全員で唱えることや、祭壇には仏花ではなく緑の葉を持つ樒(しきみ)を供えることなどが特徴です。 樒を供えた祭壇は「樒祭壇」とも呼ばれ、常緑樹で強い生命力を持つ樒が邪気を払い、「故人の魂が来世でも強く生きられるように」という意味が込められています。 葬儀の流れは題目三唱など日蓮宗の葬儀と似ている部分もありますが、鳴り物などは鳴らさず、多少簡略化されています。 日蓮正宗の葬儀の流れ 1.題目三唱 「南無妙法蓮華経」の題目を全員で唱えます。 2.読経、焼香 経典、妙法蓮華経の中の「方便品」「寿量品」を読み上げます。 焼香は僧侶、喪主、遺族、親族、一般参列者の順に行います。 焼香は3回と決まっています。 3.弔辞、弔電 弔辞、弔電の披露が行われます。 4.読経、題目、観念文 経典、妙法蓮華経の中の「自我褐」、「観念文」が読み上げられ、再度「南無妙法蓮華経」の題目を三唱します。 注意点は?日蓮正宗ならではの葬儀作法 日蓮正宗には独特の葬儀作法やマナーがありますので、確認しておきましょう。 焼香の回数は3回 日蓮正宗では焼香の回数は3回と決まっています。 家族と祭壇に一礼した後、右手で抹香をつまみ額に押し頂いて3回焼香します。 その後は静かに合掌をして故人の冥福を祈り、再度祭壇へ一礼して席に戻ります。 「お布施」という言葉は使わない 葬儀では読経や戒名などのお礼として寺院に「お布施」をお渡ししますが、日蓮正宗ではお布施という言葉は使いません。 お渡しするお金はお寺や僧侶にではなく、全てご本尊へのお供えという位置づけのため、お布施ではなく「ご供養(くよう)」と呼びます。 相場や目安の金額もないとされています。 参列者全員での題目三唱と読み方 葬儀の中では参列者全員で「南無妙法蓮華経」の題目を唱える場面があります。 この時の読み方は「なんみょうほうれんげきょう」です。 日蓮宗では「なむみょうほうれんげきょう」と読むこともあるので、間違えないようしましょう。 まとめ 日蓮宗から分裂、独立して生まれた日蓮正宗。 総本山は静岡県の大石寺で、海外も含め全国各地に700以上のお寺があります。 教義と題目を大切にし、経典・妙法蓮華経の「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」の題目を唱えることで今世での救いと成仏が叶うとされています。 葬儀の流れは、参列者全員で題目を唱えるなど日蓮宗と似ている部分もあります。 焼香が3回と決まっている、「お布施」という言葉を使わないなど、日蓮正宗独自の作法やマナーもありますので、日蓮正宗の葬儀に参列する際は注意しましょう。

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日蓮正宗ってどんな宗教?葬儀・結婚式のマナーなどを解説!|葬儀・葬式なら【よりそうのお葬式】

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まずは具体例をひとつ…。 (名古屋市に住むWさんの場合) Wさんの生まれ故郷(こきょう)は岐阜県の山間(やまあい)集落です。 Wさんは学校を卒業すると名古屋の会社に就職しました。 以来、名古屋で結婚し、子供も育て、もうWさんにとっては名古屋の街が、故郷(ふるさと)と言っても過言ではありません。 Wさんには幼少期、お盆になるとお坊さんが自宅にやってきてお参りしてもらった記憶はあります。 しかし、名古屋ではこれといった信仰をする訳でもなく、お盆の時期は毎年、家族で海外旅行にでかけました。 お盆の供養は一度もしたことはなく、先祖の墓が今、どのようになっているのかさえ知りません。 子育てもひと段落した昨年、両親を岐阜から名古屋に引き取ることになりました。 引っ越しも終え、両親も名古屋の生活にようやく慣れてきた矢先、Wさん宅に突然の不幸が襲いました。 つい昨日まで元気だった父親が自宅で倒れ、病院に救急搬送されたものの、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。 「なぜ、こんなに早く…」 あっけない別れに、Wさん一家は呆然(ぼうぜん)としました。 Wさんのお母さんは、突然の夫の死にショックで寝込み、病院に駆けつけることさえできません。 病院の霊安室でお父さんの遺体と対面し、悲しみに暮れていると、病院の担当者からは事務的な説明がなされます。 「手を尽くしましたが、搬送された時にはすでに手遅れでした。 残念です。 ところで、当院の霊安室は狭いので、申し訳ありませんが、なるべく早くご遺体をお引き取りください。 ご遺体を、病院の建物から玄関先まで運び出す業者が決まっていますので、そちらへは当方で手配します。 そこから先は、W様が依頼した葬儀社の方に搬送していただきますので、業者に連絡をしてください」 たとえ真夜中であろうと、病院では遺体を長時間、預かってはくれません。 とにかく、早く引き取るよう催促されます。 病院の中には、様々な利権がからみ、出入り業者を通さないとご遺体を動かすことすらできない施設もあるほどです。 Wさんは、どうして良いか分からず困惑(こんわく)していると、 「よければ、当病院に出入りしている葬儀社を紹介しますが、どうしますか?」 との病院の担当者の言葉に、 「はい、お願いします」 と返事をしてしまいました。 30分ほどで葬儀社の担当者がきました。 さっそくお父さんの遺体を白布で包み、寝台車へと運び出します。 Wさんの自宅はマンションで、お父さんを自宅に連れ帰っても寝かせておく場所がありません。 仕方なく、病院から葬儀社が運営する葬儀場(葬儀会館)へ直接運んでもらうことにしました。 葬儀場(葬儀会館)に到着すると、さっそく担当者と打ち合わせがはじまります。 「W家様は、仏式ですか? それとも何か違う宗教ですか?」 「私は無宗教ですが、田舎の墓は確か、どこかのお寺にあったはずです」 「宗派によって、葬儀の形は違いますので、何宗か判りますか?」 「えっと、うちの宗旨はなんだっけ?」 寝込んでしまった母親に聞く訳にもいかず、訃報の連絡を兼ねて親類に聞いてみます。 田舎のおじさんは 「W家は浄土真宗だから、ナンマイダだよ」と言われました。 「いいかい、真宗は真宗でも西ではなく東の方、大谷派だからね。 ただの浄土宗でもない。 間違えないように」と言われ、なんだかチンプンカンプンです。 そのままをメモして、葬儀社の人に伝えます。 「どこか、お世話になりたいお寺さんは、ありますか?」 と聞かれても、Wさんはこれまでお寺と付き合ったことがありません。 「この近辺にお寺があるかどうかさえ判らない…」。 すると葬儀社の担当者は言います。 「よろしければ、弊社と業務提携(ていけい)しているお寺があります。 そこは、お願いすれば、浄土真宗に限らず、日蓮宗でも、真言宗でも、禅宗でも、どんな宗派にも通用する戒名(かいみょう)をつけてくれますし、俗名(ぞくみょう)のまま葬儀を行なってもくれます。 ご予算によっては、直葬(直接、火葬場でお経を唱えるだけ)コースもお願いできますよ」 「えっ? なんでも屋? 変な寺だな…」 Wさんは、そう思いましたが、他にあてもありません。 「お願いします」 こうしてWさん本人も、お父さんも、ほとんど無宗教なのに、実家が「浄土真宗」だという親戚のおじさんのひとことで、浄土真宗の葬儀をお願いすることになりました。 そして、葬儀社から紹介されたお坊さんに、「浄土真宗」に通用する、なるべく安価な戒名をつけてもらい、浄土真宗のお経とやらを唱えてもらって、お父さんの通夜・葬儀・初七日の法要を済ませました…。 最近、テレビで「無宗教なのに、どうしてお坊さんを呼ばなければならないの?」「無宗教ならいっそ、お坊さんのいないお葬式もアリでは?」とCMが流されるようになったのは、こうした変な葬儀が、まかり通っているからです。 これは葬家本人に限らず、葬儀に携(たずさ)わる業者の人たちも、大きな疑問をずっと抱えてきたからと言えます。 このテレビCMは、いわば「日本宗教界のタブー」に手を付けたのであり、日本宗教界、とくに既成仏教各派(葬式や法事収入だけで成り立っている寺)は大ショックを受けているようです。 しかし、だからといって、本当に葬儀には「お坊さんは、まったく要らない」のかといえば、そうではありません。 なぜなら、 葬儀と告別式とは違うからです。 単に遺族や友人らが、 故人にお別れを言うのは「告別式」です。 一方 「葬儀」には、故人の生命の奥底に刻まれた苦しみを抜き去り、強力に成仏へと導くために、仏の救済を一心に願うための儀式という、大切な意義がそなわっているのです。 ですから、故人を送るご遺族としては、正しい理解と正しい認識のうえに、正しい信仰姿勢を持ち、正しい僧侶を招いて、正しい葬儀を行なうこと ~ それこそ、故人の成仏には必要不可欠であると理解しなければなりません。 要するに、 「信じてもいないのに、形式にとらわれて、坊さんを呼んでくる葬式」 が間違っているのであって、 「正しい信仰に基づき、正法の僧による正しい葬儀を行なうことが大切である」 と私は言いたいのです。 (無宗教であることが、正しい?) さてそこで、まず「信仰を持つこと」の意義を考えてみましょう。 あるいは、困った時に神仏の加護(かご)を期待して神社仏閣で願(がん)をかけ、お守りなどを購入することが、信仰だと思っている人もいます。 正しい信仰の姿とは、一人ひとりの人間の生命の救済、つまり、この世の中に蔓延(まんえん)する「生・老・病・死」の四苦や、経済的な苦しみ、人間関係に絡む悩みなどを含む、人間のいかなる苦悩にも打ち勝っていく活力(かつりょく)を得ていくため、自身の心身を鍛(きた)えること、これこそ信仰の姿と言えます。 また、すべての人々に、人間として生まれてきた真実の幸福を築かせ、貴い人生を全うするために生きる智慧(ちえ)を教えていくのが真実の宗教、教えであると言えます。 したがって「信仰」には、人間の全生命の問題と生き方、人間の幸不幸にかかわる重大な意義や働き、人生の価値を左右する絶大な力が具わっていることを、まず知ってください。 また、「信仰」には数え切れないほどのものがあります。 そうした数ある宗教のなかには、「気休め」や「不思議な威力(いりょく)や、ご祈祷(きとう)などを売り物にするもの」「信者に幻想を懐かせるなどして、現実生活から逃避(とうひ)させる麻薬(まやく)のようなもの」など、いい加減な宗教があります。 一方で、人間の苦しみや悩みを、喜びや生きがいに変え、大難を乗り越えて人々に生きる力を与える貴い教えもあるのです。 そうした厳しい観点から選ぶとき、日蓮大聖人が説かれた南無妙法蓮華経の信仰こそ真実最高のものであることを、誰でもが明確に知ることができます。 では、本来あるべき、正しい信仰の功徳(ご利益)について考えてみましょう。 真実の信仰は 一、世界中のすべての人々を、真に幸せな即身成仏という境界に導くことができる 二、強盛な信仰心を通して、南無妙法蓮華経の御本尊に託する願いや希望を成し遂げ、悩みや苦しみに打ち勝っていく強い心を育てることができる 三、御本尊に具わる仏の功徳、南無妙法蓮華経の利益により、現世に限らず、父母や先祖代々の人々をも成仏させ、また未来の子孫に福徳を得させることができる などがあり、そのほかにも正しい信仰・南無妙法蓮華経の功徳は計り知れません。 日蓮大聖人は、妙法を信受する功徳について、 「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。 真実なり甚深なり、是を信受すべし」(聖愚問答抄 平成新編御書406頁) と教えられています。 葬儀や法事を執行することで、両親をはじめ先祖の菩提を弔い、成仏へ導いていくことは大切です。 しかし、「供養する」「恩返しをしたい」という心さえあれば、信仰(宗教)は何でも良いというものではなく、あくまでも、我が家の信仰が、成仏を確かに託せる正しいものかどうかを見極めていくことが大事なのです。 また、深い仏法の法理が分からない人が、「葬儀とは、こんなものだ」との浅い認識を宣伝などで広めることは「浅識謗法」といって、大変な罪をつくることにもなるのです。 ここでまた、ひとつの譬えをお話しましょう。 ここに、病人がいるとします。 家族は大変心配し、枕元で見守っていますが、 「近くに知っている医師もいないし、何科へ連れて行けばよいのかも分からない」 から、病院へ連れて行こうとはしません。 そのうち、 「病院へ運ばれても、ひとりじゃ寂しいだろうし、家族が側についていてあげた方が、本人は安心するのではないか」 と考えるようになり、適切な治療を受けさせることもなく、苦しむ病人の傍(かたわ)らで、「がんばれ、がんばれ」と応援し続けました。 その結果、適切な治療を受ければ助かったかもしれないのに、病人は死んでしまったのです。 家族は、 「最期まで、家族とともに過ごせたから、本人もきっと喜んでいるに違いないね」 と満足でしたが、大変な苦しみに、のたうちまわされた病人にとっては、たまったものではありません。 皆さんなら、こんな時どうしますか? やはり、専門の知識や良識をもち、経験豊富な医師のもとへ、一刻も早く病人を連れて行き、適した治療を受けさせようとするのではないでしょうか。 これと同じことが葬儀においても言えるのです。 何度も繰り返しますが、「遺族が、時間をかけて、ゆっくりとお別れを言い、満足して火葬場へと連れて行く」ことは「告別」であって、「葬儀」は、故人を成仏させることを第一に考えなければなりません。 ここのところが、現代の人々には判らないのです。 《日蓮正宗の葬儀》 これらに対し、日蓮正宗の僧侶によって執行される葬儀こそ、真実の仏の教えである法華経・南無妙法蓮華経を基として、あくまでも故人の生命を確実に成仏へと導くことを最優先させる、また確かにその力を具える唯一のものと、確信をもって言えます。 (葬儀の歴史) そもそも、人類の起源以来、生ある者は必ず滅びるの言葉通り、生死を繰り返してきました。 この厳粛な事実は、いまだ発展途中だった人類にあっても、経験的に理解していたことでしょう。 しかし、人が死ぬという現象に対して、遺族が弔いの儀式を行なうようになったのは、かなり時代がくだってからのことです。 インドでは、お釈迦様在世中、お釈迦様の父・浄飯(じょうぼん)大王の葬儀の模様が、浄飯王般涅槃経というお経に詳しく書かれています。 その様子は現代とさほど変らず、火葬も行なわれたと記されています。 日本では、上古、土葬が行なわれていましたが、仏教伝来とともに火葬が伝えられました。 初めは貴族などの特権階級の間で火葬は行なわれ、10世紀以降には広く民間の風習として広まったようです。 (法華経が説く三世の生命 輪廻・流転の生命) 仏の真の教えである法華経では「三世の生命」が説かれます。 よって人は皆、いつかは亡くなりますが、故人の生命は今世での寿命を終えても、次の生へと生まれ変っていくのです。 そのとき、自身の生前の振る舞いの良し悪しが、生まれ変る先の苦楽の果報(かほう)を決定づけることになります。 私たちは、ごく普通の人間です。 なかには「命がけで他人を救った」という立派な人もいますが、たとえ善良な人であっても、たとえば、自分では気づかぬうちに誰かの心を傷つけてしまっていたり、種々の煩悩(ぼんのう)によって罪障を積んでいることもあるのです。 むしろ、数え切れないほどの小さな罪障を、一生の間に作っている人が普通といえるでしょう。 そうした、誰もが積んでしまった罪障(ざいしょう)を消滅するために、私たち日蓮正宗の僧俗は、南無妙法蓮華経の御本尊のもとに、日々に仏道修行を行なっています。 こうした日頃からの罪障消滅の修行の延長線上にあるのが「葬儀」です。 葬儀は、その人の一生を締めくくる「総決算」を行なう儀式であると同時に、新しく生まれ変わる先を定める重大な「結縁(けちえん)」の儀式でもあるのです。 ですから葬儀は、「お別れを言う」「感謝の心を伝える」だけのセレモニーではなく、故人が今生を終え、苦楽さまざまの未来を開く境目でもあり、遺族が一心にその即身成仏を御本尊の功徳に託(たく)する大事な大事な儀式なのです。 もちろん、成仏とは本来、自身が仏道修行を行なう結果、得られる幸福な生命状態です。 しかし、なかには、御授戒を受けていても信仰活動が充分にできなかったり、御本尊に縁のある家庭に生まれても、勤行・唱題や寺院参詣ができていなかったりと、信仰姿勢は、人によってはまちまちです。 よって、生前、南無妙法蓮華経の信仰を固く持(たも)てた人も、そうでなかった人も、ともに日蓮正宗の「正しい葬儀」を執り行なうことによって、御本尊の功徳に浴し、生前に積み重ねた罪障(ざいしょう)を消滅させて、成仏(じょうぶつ)の境界(きょうがい)へと、御本尊の強大な仏力・法力によって到らせることができるのです。 日蓮正宗の葬儀では、故人が御本尊のご威光(いこう)によって一切の罪障を消滅し即身成仏の利益(りやく)を受けるため、正法の師(僧侶)により故人の生命に引導(いんどう)が渡されます。 その引導は、日蓮大聖人が仏法の根源として建立された本門戒壇(かいだん)の大御本尊と、その大御本尊を基とする唯授(ゆいじゅ)一人の血脈への尊崇(そんすう)という正しい信仰を基とします。 ですから、こうした成仏のための引導は、正法を伝持する正師(正法の僧)から渡されてこそ、故人は御本尊の功徳によって即身成仏することができるのであり、私たちはこのことを忘れてはなりません。 こうした厳然とした道理からいえば、「本尊(しかもコピー)と、法華経が唱えられる人がいれば、日蓮正宗の僧侶をわざわざ呼ばなくても構わない」と考える「創価学会」や「顕正会」、「正信会」等の葬儀では、成仏はぜったいに叶(かな)わないこと~これは一目瞭然(りょうぜん)です。 必ず施主が日蓮正宗に入信し、日蓮正宗用の仏壇を自宅に設置していただくことを条件とし、葬儀をお受けすることになっています。 日蓮正宗では、あくまでも葬儀の本義は、故人ならびに遺族の信仰を最も重んじます。 よって、「信じていない」「無宗教である」と明らかにする方からの願い出による葬儀は、ぜったいに受け付けることはありません。 その点は、葬儀を迎えるご家庭においては、事前に充分に菩提寺のご住職と話し合っておくことが大切です。

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