ダビデ と ゴリアテ。 ダビデとゴリアテの戦いの地を発見か

ダビデとは?生い立ちや聖書、ゴリアテのエピソードなど解説

ダビデ と ゴリアテ

第一サムエル記17章49節:は袋の中にてを差し入れ、石を1つ取り、石投げでそれを放ち、の額を打った。 石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。 50節;こうしては、石投げと1つの石で、このに勝った。 の手には、一振りの剣もなかったが、このを撃ち殺してしまった。 この当時王国の最大の敵はでした。 を故郷とする、航海に長けた民族です。 彼らが進軍を始め、シェフェラの谷を通って、山脈に向かいました。 高地をその手に収め、のところで王国を二分するつもりだったんです。 サウル王率いる王国はこの動向を読み取り王は自軍を率いて山を下りエラの谷で、ペリシテ軍と対峙しました。 とペリシテ軍は何週間もにらみ合っていました双方とも攻撃もままなりません。 攻撃するには山を下り、谷を越えて相手側に登らなくてはならなくて敵に身をさらす事になります。 この状況を打開するため、ペリシテ側は最強の兵士を谷底へ送り込みました。 その兵士が呼びかけます 「今日こそ、の陣をなぶってやる。 ひとりをよこせ。 ひとつ勝負をしよう」 これは古代の戦場の習わしである一騎打ちですね。 血みどろの決戦無しに争いを治める方法でした。 が送り込んだのは屈強の巨人で2m以上あり青銅の鎧で全身を固め剣と大小の投槍を持ち、かなりヤバそうなやつです。 恐怖のあまり、側で これに応じる者はいませんでした。 自殺しにいくようなものです。 勝ち目はありません。 しかし とうとう、進み出た者がいました それが若い羊飼いの少年です。 そしてサウル王に「あのと戦いましょう」と申し出ました。 サウル王は33節「あなたは、あののところへ行って、あれと戦うことはできない。 あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。 」 と答えました。 誰がどう見ても勝ち目は無いですね。 しかしは34 節「はサウルに言った。 「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。 獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。 それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。 」と主張します。 の言っていることは誰が聴いても荒唐無稽だったと思います。 しかし他に誰も名乗り出ないので、サウルに選択の余地はありませんでした。 そしてサウルはに一騎打ちの許可をしました。 サウルはに自分の着ていたよろいかぶとを着させ、頭には青銅のかぶとをかぶらせ、身にはよろいを着けさせました。 は思い切って歩いてみましたが、甲冑は重すぎてには邪魔でした。 そしてサウルに「こんなものを着けては、歩くこともできません。 慣れていないからです。 」と言ってはそれを脱ぎ、自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にしました。 はの戦いの方法があったんですね。 サウルは良かれと思って戦場においての当然の方法にならってに甲冑と剣を与えたんです。 しかしは別に甲冑を着て戦うつもりはなかったんですね。 しかしサウルは良かれと思って与えてくれたんでとりあえず着てみました。 でもやっぱり違うのでサウルに断りました。 NOと言えない日本人的なだと、サウルに貰った甲冑と剣をもらって、 「あ、すいませんありがとうございます。 いやぁこの甲冑動きやすいですねぇ。 これやったらに勝てそうですわ」とか言って、めっちゃ重くて動きずらいのに無理してに向かっていって瞬殺されていたかもしれません。 NOと言うのは不従順ではありません。 人には自分の賜物は分からないし、自分に合ったやり方は分かりません。 だから自分のやりやすい方法というのを伝える必要もあります。 の元へ山を下り始めました。 コリアテはその姿を見て 「さあ、来い。 おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」 とを愚弄しました。 は袋から、一つの石を取り石投げに入れると振り回して放ちました。 石は巨人の眉間を打ち、は一発で倒れました。 少年は駆け寄るとその剣を取り。 首をはねました そしてそれを見たペリシテ軍は一目散に逃げ出しました。 このとの戦いはに勝ち目は一見なさそうですよね。 実際 「と」と言えば、番狂わせの形容として使われています。 予想外の勝利ということですね。 しかし、なぜ に勝ち目はないと思ったのでしょうか? 子供だから 勝算はない。 華奢な少年と巨人のです。 しかもは経験豊かな戦士ではただの羊飼いです。 注目すべきはが身に着けていたのが当時の最新鋭の武器だったことです。 きらめく甲冑、剣に 大小の投げやり 一方 が持っていたのはただの石投げに過ぎません。 「が持っていたのは、石投げにすぎない」 しかし勝算はこの石投げです。 古代の戦場には3種類の兵隊がいました まず騎兵。 馬と二輪戦車に乗って戦います。 次に歩兵。 これは剣と盾で身を固め、ある種の鎧を着た徒歩の兵隊です。 そして砲兵 弓の射手や、投石手などで編成されます。 投石手というのは革製のポーチを持っていてこのポーチは2本の長い紐付で 弾にする石や鉛玉をこのポーチに入れ こんな風に回転させて一方の紐を放す事で 標的に向けて投擲するんです。 これがの武器でした。 石投げはパチンコとは違うんですね。 子供のおもちゃではありません。 非常に強力な武器なんです。 が石投げをこのように回している時おそらく1秒間に6、7回転させていたと思います。 そして石が放たれるとものすごく高速になり恐らく秒速35mはあったと思われます。 選手のピッチャーが投げる野球のボールよりも速いです。 しかもこのエラの谷にある石はただの石ではありません。 といって普通の石の2倍の密度があります。 計算してみるとの石投げから放たれた石のパワーは 45口径の拳銃に匹敵するんです。 とてつもない威力のある武器なんです。 その精度は 歴史上の記録から経験豊かな投石手なら200m離れた敵に 重傷を負わせ 殺すことさえできたそうです。 中世のーから投石手は飛んでいる鳥を落とせる事もわかります。 驚くほど正確なのです。 がと対峙した時200mも離れてはいません。 ずっと近かったに向けて投げたときはまさにの弱点である眉間に狙いを定めていたのです。 歴史上の戦いを振り返ると度々起きている事ですが 様々な局面で投石手が歩兵を圧倒しているのです 戦国時代のではの当時最強と謳われた騎馬軍団を鉄砲で圧倒しています。 今となっては戦争で接近戦なんて普通しません。 全ての兵士が投石手といっていいです。 さて はどうでしょうか? 重装歩兵です 当然 一騎打ちの際は、重装歩兵どうしで戦うつもりでした。 これから始まるのは、こんな剣を交えた接近戦です。 サウル王も同じ考えでした。 が「と戦いたい」と言った時、王は自分の鎧を与えようとしました 「と戦う」というなら当然 それは「接近戦」で 「歩兵 対 歩兵の戦い」だろうと思ったんですね。 ところがは そんなことは考えもしませんでした。 そんな戦い方はしません。 なぜかというと羊飼いだからです。 一番の仕事は羊の群れを獅子やオオカミから石投げで守ることでした。 それが彼の強みです。 この羊飼いは使い慣れた強力な武器を手に巨人に向かったのです。 50kgの鎧で動きが遅くの重たい武器は白兵戦でのみ有効です。 つまり、こそ格好の餌食で勝ち目はなかったんです。 それなのになぜ は勝てないと思い込み、番狂わせだと言うのはなんですね。 見かけに騙されやすい人間故の誤算です。 そしては羊飼いならではの投石でを打ち負かしました。 神様は全てを益としてくださいます。 羊飼いとしてのを益と変えてくださり、用いてくださったんです。 ローマ人への手紙8章28節 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてくださることを私達は知っています。 僕達が生きてきた過去のことを益と変えてくれるのが神様です。 僕は昔ネット依存で、中学の時にチャットばかりやっていたせいでキーボードを打つのがとても速くなりました。 しかし今はそれが益となっています。 生駒聖書学院に入ってからレポートやメッセージや証を書く機会が一段と多くなって、いつもワードを開いてパチパチやってるんですね。 それに自分は書くことが賜物だという確信があるので、そのために日々書き物をしています。 その全てはパソコンで作業をするので、速くキーボードを打てることによって、自分の主から与えられた思いや考えを文字によって全部表現することが出来ます。 僕は言葉で説明しようとするととても口下手でダメなんでけど文章で説明するととても理論だって、言いたかったことが言えるのでタイピングが速く出来るというのは、これからの信仰生活でも福音を伝えていくためにもかなり役に立つことになります。 それに生駒聖書学院の3年間の中で、一人耳の聞こえない生徒がいるんですけど、その生徒のために授業中の先生の講義内容を全てほぼ完コピで打つことが出来て、彼が健常者と同じように授業が受けることが出来る手伝いが出来たのがとても感謝しています。 との戦いはが奇跡的に勝ったというよりも、が勝って当然の戦いだったと言っても過言ではありません。 敵の見かけに騙されてはいけません。 僕達にとってのサタンとの戦いも、との戦いと同じことですね。 大きく強く見せようとしますがその実態は偽りであり見せかけだけです。 大きく見える問題もその実、大したことがないものばかりです。 それに惑わされて臆病になり、負けると思ってはいけません。 僕達には万物を造られた万軍の主が味方しているんです。 僕たちはイエス様を信じる信仰によって、イエス様の十字架によってすでに勝利しているんです。 例え負けているように見えても最後には勝利するんです。 そのことを覚えていないといけません。 見せかけだけのサタンと、目には見えないけど圧倒的な強さを誇る神様の前では勝利は見えてるし、すでに勝利してるんです。 尻尾まいて逃げてはいけません。 逃げるのなら負けです。 勝利というのは戦ってこそ勝利するんです。 立ち向かわないといけません。 のように僕たちにもあるいは自分の方法というのがあり、それが第一コリントの10章13節にも書かれている試練ととも脱出の道も備えてくださっているという方法かもしれません。 に囚われてはいけません。 神様が与えてくださった個性を最大限に用いましょう。 あなたは唯一無二のルな存在なのだから。 第二テモテ1章7節:神が私達に与えてくださったものは臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。 は主がともにいてくださるという自信がありました。 それを何よりも信じていたからこそ圧倒的な勝利を迎えることが出来たんです。 栄光から栄光へ、勝利から勝利へと変えられていく信仰の道を歩むのに大切なのは神様を信じるという信仰のみです。 聖書には7000の約束のみことばがあるそうです。 僕達がその約束のみことばを信じるなら約束は成就されるんです。 神様が与えてくださった自分の賜物、良いもの、今までのことを益と変えてくださるということを信じましょう。 クリスチャンには決して忘れてはいけないことがあります。 それは僕達はすでにイエスキリストの十字架を信じる信仰によって勝利者だということです。 良ければクリックお願いします。 gtoryota.

次の

ダビデとゴリアテ — ものみの塔 オンライン・ライブラリー

ダビデ と ゴリアテ

発音で ゴライアス( Goliath)とも呼ばれる。 身長は6半 (約2. 9メートル )、身にまとっていた銅の小札かたびら()は5000 (約57キログラム)、の鉄の刃は600シェケル (約6. 8キログラム)あったという。 このため他より大型な生物の種小名や乗り物など、巨大さの象徴としてこの名が使われている。 王治下のの兵士と対峙し彼らの神であるを嘲ったが、羊飼いの少年であったがから放った石を額に受けて昏倒し、自らの剣で首を刎ねられ絶命した。 この故事にちなんで、弱小な者が強大な者を打ち負かすのを「ジャイアント・キリング」と呼ぶ。 概要 [ ] ダビデとゴリアテの戦いは「第一サムエル記」第17章に記されている。 ペリシテ軍はエフェス・ダミムに陣を敷き、イスラエル軍はの南西にある ()に陣を敷き対峙した。 ペリシテ陣営からゴリアテという巨漢の戦士が現れると「勇者を一人出してで決着をつけようではないか。 もしお前たちが勝てばペリシテはお前たちの奴隷となる。 ただし俺が勝てばお前たちはペリシテの奴隷となれ」と40日間、朝と夕の2回にわたってイスラエル兵たちを辱めた。 しかしイスラエル兵はゴリアテに恐れをなし、戦いを挑もうとする者はいなかった。 羊飼いのダビデは、イスラエル軍に参加していた兄に食料を送り届けるために陣営を訪れていたが、この話を聞くと憤り、イスラエル軍を率いていたサウルにゴリアテの退治を申し出た。 サウルは初めは難色を示したが、他に手段がなかったため、ダビデの出陣を許可した。 サウルは自分の鎧と剣をダビデに与えたが、ダビデは「慣れていないので歩くこともできないから」とそれらを身に着けず、羊飼いの武器である杖と、投石器と、川で拾った滑らかな5個の石という軽装でゴリアテに挑んだ。 ゴリアテは「さあ来い。 おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」と嘲ったが、ダビデは 「お前は剣と槍を頼りに戦うが、私はお前がなぶったイスラエルの戦列の神、万軍のの名を頼りに戦う。 戦いは剣と槍の力で決するものではないことを人々は知ることになるだろう。 これはイスラエルの神の戦いである」と返答した。 これを聞いたゴリアテはダビデに突進した。 ダビデは袋の中から1個の石を取り出し勢いよく放つと、石はゴリアテの額に命中し、うつ伏せに倒れた。 ダビデは剣を所持していなかったため、昏倒したゴリアテに近寄って剣を奪い、首をはねて止めを刺した。 ペリシテ軍はゴリアテの予想外の敗退により総崩れとなり、イスラエル軍はダビデの勝利に歓喜の声をあげた。 イスラエル軍は敗走するペリシテ軍を追って、ガテやまで追撃して勝利を収めた。 この戦いによりダビデの名声は広まり、サウルの側近として仕えるようになった。 なお、聖書の記述で、ゴリアテを殺したのは、ダビデである()とする他、エルハナンが殺した()とする箇所がある。 歴代誌でも同様の記述 があり、ゴリアテの兄弟のラフミ(ラーミ)が殺されたと記述されるが、に翻訳されたときに矛盾を解消するため付け加えられたとも言われている。 サムエル記に描かれた戦いでは他にイシビベノブ、シパイ、の人物(本名不詳)の3人の巨人が登場し、ゴリアテと共に巨人の子孫とされる。 イシビベノブは重さ300シェケルのの槍を持っていた。 脚注 [ ]• 2010年8月27日閲覧。 ただし、版では「4キュビット半(約2m)」となっている。 同書のサムエル記の部分は日本語訳が2017年現在まだないが、フラウィウス・ヨセフスの『』(第6巻171節に該当の記述がある)はこの版を参考にしているので、そちらの日本語訳(『ユダヤ古代誌 2』秦剛平 訳、ちくま書房、1999年、P165)で確認は可能(表記はギリシャ語の「4ペークスと1スピタメース(約6フィート8インチ)」になっている。 なお筆者のヨセフスは4キュビット半でも「とてつもなく巨大な男」「怪物」とゴリアテを評している(同書同節)。 なお『ユダヤ古代誌』第6巻188節では、「ゴリアテは武具が重すぎ身軽に走れず、ゆっくりダビデの方に向かった」という説明がされている。 サムエル記下21章の記述ではNew King James Version(NKJV)の版に「killed [the brother of] Goliath」が見られるが、このカッコ内は訳者による注訳である。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 地上に降りて人間の娘と交わった天使()の子供。 身長は3000キュビットあったとされる。 - アラビア語の「アイン・ジャールート」とは「ゴリアテの泉」という意味。 - の元兵士。 身長は251cmで確実な記録が残る最も背の高い兵士。

次の

銀河の「ダビデ」と「ゴリアテ」

ダビデ と ゴリアテ

目 的 問題を克服するために天の御父の助けを求めるよう子供たちを励ます。 準 備• 祈りをもって以下の聖句を研究する。 サムエル上17:1-11——イスラエルの民とペリシテ人の間で戦いが起こった。 ゴリアテはイスラエルの民のだれとでも一対一で戦おうと挑戦してきた。 サムエル上17:12-58ダビデはゴリアテを殺した。 イスラエルはペリシテ人を破った。 子供たちを参加させ,レッスンの目的を達成するのに最も役立つ「話し合いと応用のための質問」と「レッスンを豊かにする活動」を選ぶ。 『聖書』人数分• 子供たちが足を乗せることができるような3枚の平らな石(または3枚の紙)。 それぞれの石には次のような言葉を書いた紙をはる。 「あなたは重い病気にかかっており,その病気は数日間続く。 」「近所の人たちが麻薬に手を出していて,あなたを仲間に入れようと躍起になっている。 」「あなたは親しい人が死ぬのではないかと非常に心配している。 視覚資料6-37「ゴリアテを殺すダビデ」(『福音の視覚資料セット』112) レッスン 一人の子供に開会の祈りをさせる。 導 入 小川や水たまりを渡る際に飛び石を使ったことがあるかどうかを質問する。 床に置いた3枚の平らな石(または3枚の紙)を使って一人の子供に渡り方を実演させる。 これらの飛び石がどのように役立つかについて話し合う。 けれども注意して渡らないとよろけて倒れてしまう場合もあると指摘する。 一人の子供に最初の石に書いてある言葉を読ませる。 そのチャレンジはどのような場合に障害となり得るかを子供たちに尋ねる。 次に,チャレンジはどのような場合に飛び石となってわたしたちが善い人になるのを助けるかを尋ねる。 ほかの二つの石についても同様に話し合いを行う。 人生で遭遇するチャレンジはわたしたちの対応の仕方次第で,障害にもなるし,飛び石にもなることを子供たちに理解させる。 人生で遭遇する問題のために不機嫌になったり,怒ったりすると,それらは障害となる。 前向きな姿勢で問題に対処し,問題を通して学ぶならば,わたしたちはより善い人になることができ,それらのチャレンジはわたしたちにとって飛び石となる。 子供たちに順番に飛び石を通って渡る体験をさせるとよい。 難しいチャレンジを飛び石としたダビデという名の少年について学ぶことを子供たちに告げる。 ダビデはチャレンジをどのようにしてつまずきの石ではなく,飛び石として利用したかを子供たちに理解させる。 話し合いと応用のための質問 レッスンの準備に当たって,以下の質問と参照聖句を研究する。 子供たちが聖文を理解し,生活に応用するうえで最も役立つと思われる質問をする。 教室で子供たちと一緒に参照聖句を読み,それについて話し合うのは,聖文に対する子供たちの理解を深めるのに役立つ。 イスラエルの民はゴリアテとの戦いで,何を得るか失うかの瀬戸際に立たされていましたか。 (サムエル上17:8-9。 彼らは自由を守るために戦っていたことを説明する。 イスラエルの民はだれもゴリアテと戦いたくないと思ったのはなぜですか(サムエル上17:4-7)。 ゴリアテは身長が約3メートルで,身に着けていたよろいの重さは約68キロあったと考えられています(「レッスンを豊かにする活動」1参照)。 ダビデはなぜ戦場に来ていたのですか(サムエル上17:17-18)。 ダビデのいちばん上の兄はダビデがゴリアテについて尋ねたときなぜ怒ったのですか(サムエル上17:26-28)。 ダビデの兄は弟をどのように誤解しましたか。 わたしたちは自分の兄弟や姉妹を誤解しないようにするにはどうすればよいですか。 他人の力や能力をねたまないようにするにはどうすればよいですか。 ダビデはゴリアテを殺すことができるとサウル王に納得させるために何と言いましたか(サムエル上17:34-37)。 ダビデは自分がくまやライオンを倒したことをだれのおかげだと言いましたか(サムエル上17:37)。 わたしたちは障害を乗り越えられたときに,だれのおかげでそのようになったと考えるべきですか。 ダビデはゴリアテを殺すことができるとサウル王に納得させるために何と言いましたか(サムエル上17:34-37)。 ダビデは自分がくまやライオンを倒したことをだれのおかげだと言いましたか(サムエル上17:37)。 わたしたちは障害を乗り越えられたときに,だれのおかげでそのようになったと考えるべきですか。 ゴリアテは戦いのためにどのような準備をしていましたか(サムエル上17:5-7)。 ダビデはどのような武器を使いましたか(サムエル上17:38-40)。 ダビデはゴリアテにはない何を持っていましたか。 (サムエル上17:45-47。 ゴリアテに立ち向かうダビデのほんとうの武器は主の助けであったことを説明する。 )(「レッスンを豊かにする活動」3参照)わたしたちはチャレンジに遭遇したときだれに頼るべきですか。 その助けを得るのにふさわしくなるためには何をしなければなりませんか。 主は,わたしたちの望みがダビデの場合のように義にかなったものであって,望んでいることが主の 御心 みこころであるならば,わたしたちを助けてくださることを説明する。 ゴリアテはダビデが戦いに来るのを見たとき,どのような反応を見せましたか(サムエル上17:42-44)。 ダビデはよろいに身を包んでいたゴリアテをどのようにして殺しましたか(サムエル上17:45-50)。 ゴリアテは自分の肉体を守ろうとしたのに対して,ダビデは自分の霊を守ろうとしたことを説明する。 ゴリアテの体のほとんどはよろいで覆われていましたが,額を守るものがありませんでした。 このため,よろいは役に立ちませんでした。 わたしたちの霊の一部が霊的なよろいで覆われていなかったらどうなりますか。 わたしたちは霊的な守りを十分に整えるにはどうすればよいでしょうか。 レッスンを豊かにする活動 以下の活動を,レッスンのどの部分でも,また幾つでも使うことができる。 復習やまとめ,チャレンジに利用してもよい。 3メートルの長さに切ったひもまたはロープを見せる。 教室の天井か壁に一方の端を付けて示すか,二人の子供にひもの両端を持ってまっすぐにするように言って,ゴリアテの身長がどれほど高かったかを示すとよい。 ゴリアテが身に着けていたよろいの重さを示すために,希望する何人かの子供に体重を言ってもらい,合計で約68キロにして,どれほど重かったかを示す。 そのような相手と戦うとしたらどのような気持ちになるか子供たちの意見を聞く。 実物の石または紙に描いた石を示す。 子供たちにいすを円形に並べさせ,教師がその中に立つ。 一人の子供に石を渡して,あなたが「おそれずぎをなせ」(『子供の歌集』80)をハミングしている間に,隣の席の子供に順に回すように言う。 あなたがハミングをやめたら,子供たちは石を回すのをやめる。 あなたはゴリアテで,子供たちに何かのチャレンジを与えることを告げる。 ハミングをやめたときに石を持っていた子供はチャレンジの前向きな解決の方法を答えなければならない。 以下のチャレンジか,教師が自分で考えたチャレンジを使う。 あなたには弟がいて,弟はみんなからちやほやされているように感じます。 そのことに腹を立てたあなたは,弟をたたきたいという気持ちになります。 あなたの親友が誓いを立てる仲間に入りました。 彼らはあなたが仲間に入らないので笑い者にしています。 あなたはみんなと仲良くしたいのですが,誓いを立てることは悪いことだと知っています。 あなたは学校で友達ができずにつらい思いをしています。 一人の子供にサムエル上17:44,別の子供にサムエル上17:45を読ませてダビデとゴリアテのやり取りの一部を演じさせる。 ダビデは主を信じる信仰を通してどのように勇気を得たかについて話し合う。 わたしたちは皆,生活の中で「ゴリアテ」すなわち障害に遭遇することを説明する。 ゴリアテがイスラエルの民の平和と自由を奪おうとしたように,これらの障害はわたしたちの平和と自由の道に立ちはだかる。 教会の第9代大管長であったデビッド・ O・マッケイが少年のころどのような問題に出遭い,平安を得るために何を行ったかを以下の話から見つけるように言う。 「〔わたしが幼かったころの〕ある夜中に,……わたしはふと目を覚ますと,窓の方にだれかが歩いて来る足音を聞いたような気がしました。 ……そのときはきっと,言いようのないほどの恐怖に襲われていたと思います。 大きく息を吸い込みました。 心臓のどきんどきんという音が聞こえるようでした。 …… 母の教えを思い出し,またわたしの心の中から自然にわいてきた気持ちから,お祈りをして主の助けを求めました。 わたしにとって祈りの方法は一つしかありませんでした。 それはベッドの横でひざまずく方法でした。 闇 やみの中でベッドから起き上がってひざまずくことは決して易しいことではありませんでした。 けれどもわたしはそうしました。 神の慰めと守りを求めて,それまでに経験したことがないほど熱心に祈りました。 『アーメン』と言ったそのときに,わたしは普段の生活で聞くのと同じようにはっきりとした声を聞きました。 『恐れることはありません。 だれもあなたに害を与えることはありません。 』その瞬間に恐れはまったくなくなりました。 すぐに安らぎを覚えて,ベッドにもぐり込むと安らかな眠りに就いたのでした。 できれば本課の最後のページの絵をコピーして全員に配る。 子供たちに克服したいと思っている「ゴリアテ」すなわちチャレンジを幾つか選んで,巨人の体の上に書かせる。 次にそれらのチャレンジを乗り越えるための方法を考えて,それを別の紙に書き,それを石の形に切る。 すべてのチャレンジを乗り越えることはできないが,天の御父に助けを求めるならば,天の御父はそれらに対抗する力を与えてくださることを説明する。 子供たちに,それぞれ立ち向かうチャレンジを一つ選び,信仰と祈りをもって努力するよう勧める。 「おそれずぎをなせ」(『子供の歌集』80)を歌うか,歌詞を読む。 まとめ 証 あなたの個人的な「ゴリアテ」を克服するために天の御父から与えられた祝福に対する感謝の気持ちを述べる。 (その経験を述べてもよい。 )もしわたしたちが祈り,信仰を持ち,自分にできることを行うならば,天の御父は助けてくださることを 証 あかしする。 家族との分かち合いの提案 物語,質問,活動などのレッスンの一部を家族と分かち合ったり,読書課題を家族と一緒に読んだりするよう,子供たちを励ます。 読書課題 本課の復習のため,家庭でサムエル上17:44-50を研究するよう,子供たちに提案する。 一人の子供に閉会の祈りをさせる。

次の