福岡 大学 ワンゲル 部 ヒグマ 事件。 三毛別ヒグマ事件とワンゲル部ヒグマ事件とかいうなんJ民が好きな事件|5chまとめのモネッス

福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件

福岡 大学 ワンゲル 部 ヒグマ 事件

福岡大学ワンダーフォーゲル部の合宿として部員達は北海道の日高山脈へと出向く。 しかしカムイエクウチカウシ山 標高2000m規模 へとさしかかった九ノ沢カール地帯へとさしかかった時、彼らの周囲へ体長2m程のヒグマが姿を現したのだそうな。 当初ヒグマはワンゲル部員へ向けて襲いかかってくるような様子はなく、ただ周囲をうろついてはこちらの様子を伺うにとどまっていたとのこと。 もしもこの時点で大学生らが早々に『 撤退 』と『 下山 』を決定していたならば、その後の惨劇も避けられたやもしれません。 しかし一行はこういった選択をせず『 登山行を継続する 』道を選んでしまいました。 結果、ヒグマは徐々に部員たちとの距離を縮めはじめます。 そして大学生がテント外に置いていた荷物を漁るまでに到ってしまった・・・。 この一度ヒグマの手中に落ちた荷物を、こともあろうに隙をみてヒグマから若者たちは獲り返してしまいます。 ヒグマは一度自分の獲物と認知した物に対して強い執着心を持つことで知られている動物。 結果としてその後の彼らはヒグマからの執拗な追撃をうける状況へと陥ってゆくのです。 部員たちも彼らなりに追い払いの行為や退避行動をおこなったそうですが、結果として5人居た部員のうちの3名が順次ヒグマの持つ鋭い爪牙の犠牲となりその若い命を落としてゆくこととなりました。 辛うじて逃げ伸びることが出来た2名でさえも、当時の状況を知るに「 いつ命を落としてもおかしくなかった 」ことが判ります。 当時の状況は以前「 ウィキペディア 」にもその詳細な記事文が掲載されていたのですが、先日改めてこの項を開き直してみるといつの間にか「 記事削除 」の扱いに変わっていました。 古い事件とはいえたかだか40年程前の出来事・・・・。 実名が連記されていた記事文や被害者の手にてよる遺書的メモの内容なども詳細に掲載される形での公開文であったことを記憶しています。 投稿者らは後になり遺族への配慮などを思いかえして「 記事削除 」とされたのかもしれませんね。 勿論この事件のヒグマもハンターの手によって駆除されました。 どの事件でも大抵は加害クマは駆除されるという結末を迎えます。 被害を出したクマを駆除したからそれでお終い・・・・。 でも本当にそうでしょうか? いや きっとこの「 あいらぶヒグマ(羆)ちゃん 」の中に幾つか綴ったヒグマ被害の記録を読んだ皆さんならば気づいて貰えたはずです。 ヒグマが暮す山や森と人間が暮す街が隣り合わせである限り・・・。 ヒグマが生息する山や森に人間が登山や山菜獲りなどの目的で分け入ってゆく限り・・・。 ヒグマ被害と言う事象が起こるといった可能性は今後もこの世の中から、北海道から完全に消えることなどあり得ないはずですよね。 「 起こるかもしれない事 」 これを無視してはいけないのだもの・・・。 過去の悲しい史実をきちんと活かそう。 僕らは「 知る必要 」がある。 僕らは「 学ぶ必要 」がある。 共に学びましょう。 それがヒグマ事件を掲載する僕からのメッセージです。 福岡大学ワンダーフォーゲル部がうけたヒグマ被害。 この加害クマの剥製は中札内村にある札内川園地、そこに開設されている日高山脈山岳センター内にその姿をみることが出来ます。 「 日高山脈山岳センター 」 札内川園地・日高山脈山岳センター 北海道河西郡中札内村南札内713番地 0155-69-4378 10時~17時( 6月~9月は20時まで ) 園地内にはこの山岳センターの他にキャンプ場やテニスコート、パークゴルフ場などが開設されています。 札幌を基準に考えるとすれば現在地までの距離はおよそ 240km。 高速道路の利用を敬遠し、一般道を辿り移動して来るとなれば、ノンストップでも4時間は覚悟といったところでしょう。 やはり訪ねた施設に記されているヒグマ絡みの史実は とても悲しいお話 なわけで・・・・。 ここいら辺 ちょっと今回の僕は複雑な心境です (T T ) ううむ・・・。 目的であった過去に大学生を殺めて( あやめて )しまったヒグマの剥製は山岳センターの玄関口で早速お会いすることができました。 「 それを展示ですか? 」 といった感情を言葉にする方も来館者の中にはいらっしゃるのだと施設管理の方が教えてくれました。 「 ? 」 を投げかけた方の心中や御考えにも頷ける部分があると感じます。 しかし同時に ヒグマは時に人を襲うことがあるという現実。 過去には眼前に広がる山々の中でもそのような事故が起きたという歴史。 これらを踏まえて頂くことで、今から山へと分け入ろうとする方々にも山に対する備えばかりではなくヒグマの存在に対しても「 心構え 」や「 装備 」、「 知識 」などの充実を図っておいて欲しい。 ひいては野生動物を愛で、山を楽しみ、無事故で山を下りてきて頂きたいのだといった願いをこめて「 教訓的意義 」に重きを置いての展示。 こういった意義を唱えつつ展示を継続されているのですよと語るスタッフらの思いにも大きく頷くことができますよね。 「 悲しい歴史のものだから・・・ 」 と奥に仕舞い込み何も見せず隠してしまうことは容易いことだもの。 でも「 正しく学ぶ 」ためにはやはり「 事実 」は隠してはいけないし、しっかりと後世に伝えることが大切であるに違いありません。 そういったわけで展示継続の道を選んでいる施設がわの考え方に僕も強く賛同しています。 僕だってこの地を酔狂に訪ねたわけではないんだ。 ちゃんと大きな「 学び 」を貰い持ち帰ることができたということを皆さんへも伝えたいです。 傍らに立つ僕の身長は168cmです。 「 意外と小さい 」という感想は僕も持ちました。 福岡大学のワンダーフォーゲル部を襲った加害クマはその史実を確認するに「 体長は2mほど 」との記載が残されていることが多いようです。 ですが現実に目の前にある加害クマの剥製はそんな記録数値よりも「 小さい 」と感じています。 ヒグマに襲われた際、大学生らだって生き残りをかけてそれこそ死に物狂いで抵抗を試みたはず。 「 若い男性の力をもっての必至の抵抗 」 にも関わらずパーティーの何名かは命を落とす結果となりました・・・。 ヒグマの持つ「 力 」を侮ってはいけない。 せいぜい僕らが優位にたてるヒグマのサイズというのは赤ちゃん小熊のレベルなのかもしれません。 相手が今までの想像を超えた強さをもっていると感じ学習して頂けたのであれば、きっと読者の方々は相応の「 備え 」や「 策 」を持ち出し始めるはずです。 そんな行動や工夫の全てがきっと皆さんを自然や野生の 「 恐ろしい部分 」 から守ってくれると思います。 山を舐めるな! これは登山家らの間でよく語り継がれている有名な台詞。 その「 山 」の文字の中には「 野生動物 」という意味も含まれていることを決して忘れないでください。 僕らだって山の中、このクマと出逢ってしまったとしても相手を侮ってしまったかもしれません。 知らなければ、またいつか誰かがヒグマを侮ってしまう・・・・。 皆で伝えましょう、そしてヒグマとの共生や共存が少しでも安全な物と出来るように工夫してゆきましょう。 施設内には福岡大学ワンダーフォーゲル部の遭難報告書の展示もありました。 展示物の中には彼らの残した遺書や遺品の展示も見られましたよ。 しっかりと時間をとったうえで足を運んで頂きたい施設だと思うんだ。 彼らの「 無念 」さがきっと貴方の心に響くはずです。 山岳センター玄関口には登山情報も掲示されていました。 そこには今現在もヒグマ出没の情報が読み取れます。 こういった情報を軽んじることなく、貴重な資料情報として活用したうえ山を楽しんでください。 怖い話ばかりが続いてしまったかもしれませんね・・・・。 でも毎年北海道の山へは沢山の登山家や山菜採りの方々が入山しています。 営林署職員や送電線管理の方々なども多数入山されている。 相対的にみればヒグマの事故に遭われるかたというのは 本当に極わずか なのです。 しっかりとした事前工夫を施した方らがヒグマ事故に遭われる確率はとても低いと言えることでしょう。 互いに正しいルールに基づき、注意を怠らないことが大切なのではないでしょうか? ヒグマとの付き合い方って知識を充足させたり、備えを万端にしたり、ルールを覚えるまではやっぱり難しいですよね。 でもいつか既に身につけている交通ルール同様に、対ヒグマのルールも長い経験の蓄積を通して身につけてゆくことが出来ることでしょう。 文字通り 交通事故 と ヒグマ事故 の両方に気をつけて下さいねってことだ。 この道路では実際にヒグマが絡む乗用車の事故がありお亡くなりになった方が居たそうです。 鹿ばかりではなくヒグマも道路に飛び出すことがある・・・ とにかく気をつけるしかありません。 「 自分も直接訪ねてみようかな・・・ 」 そんな思いが浮かんだ時は可能であれば「 乗用車利用 」が良いかもです。 バイクで行くのはちょっと僕自身も遠慮してみたよ。 最近はヒグマの頭数が増えていて道路への飛び出しなど直接的な路上コンタクトが増えているとも聞いていたからね。 皆さんも参考にしてみてくださいな。 今回の中札内村へのクマ出張も実りの多いクマ旅になりました。 色々と教えてくれたセンタースタッフの方には大変感謝しております。 次回は田中義剛さんの経営する花畑牧場へ遊びに行く際にでも利用してみるとするか・・・。 今回は日帰りで足を延ばしていたので中札内の話はここでお終いです。 帰宅路で回った 帯広で食べた豚丼 の画像で最後を締めることといたしましょう。

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福岡大ワンゲル部・羆襲撃事件とは (フクオカダイワンゲルブヒグマシュウゲキジケンとは) [単語記事]

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福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件 福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件 【事件概要】 1970年7月、日高山脈を縦走せんとしていた福岡大学ワンゲル部5名が執拗にヒグマに襲われ、3人が次々と命を落としていった。 ドイツ語で渡り鳥を意味する。 20世紀初頭、青少年の間に、山野を徒歩旅行し、自然と親しみながら心身を鍛えようとする運動が始まり、これをワンダーフォーゲルと呼んだ。 戦後、日本でもこの運動が広がり、ハードな「山登り」を行う山岳部とは異なり、「山歩き」「自然散策」というイメージが強く、そこが学生の人気を集めた。 パーティー ・竹末一敏さん(経済学部3年 20歳 リーダー) ・滝俊二さん (法学部3年 当時22歳 サブリーダー) ・興梠盛男さん(工学部2年 19歳) ・西井義春さん(法学部1年 当時19歳) ・河原吉孝さん(経済学部1年 18歳) 5人は7月12日午前9時に、九州・博多から列車「つくし1号」で出発し、14日新得に到着。 新得署御影派出所などに登山計画書を提出し、その日の午後から登山を始めていた。 7月25日、中間地点のカムイエクウチカウシ山(1979m)にさしかかっていた5人だったが、大幅に予定が遅れていたため、翌日の登頂後に下山することにした。 カムイエクウチカウシとは、「クマが転げ落ちるほど険しい峰」という意味である。 発見したのは竹末さんで、テントから7mほど離れたところにヒグマはおり、当初パーティーは誰もヒグマを怖がっておらず、しばらく興味本位で見ていたが、やがてヒグマの方から近づいてきて、テントの外にあった登山用のザックを漁り、中の食料を食べ始めた。 発見してから30分ほど経った頃である。 メンバーはラジオの音量を上げ、火を点し、食器を打ち鳴らしてなんとかヒグマを追い払うことに成功した。 日本では飛騨・赤石・日高山脈などにみられる。 しかし午後9時頃、疲れて眠っていたパーティーはヒグマの鼻息で目を覚ますこととなる。 ヒグマはテントにこぶし大の穴を開けた後、去って行った。 これが2度目の襲撃で、メンバーは2人ずつ2時間交替で見張りを立てることにした。 【執拗に】 7月26日午前3時、起床。 結局のところ、メンバーは恐怖のため誰一人眠ることができなかった。 そして4時半頃、3度目のヒグマの襲撃を受ける。 ヒグマは執拗にテントを引っ張り続けるため、パーティーはテントを捨て、外に退避した。 ヒグマはテントを引き倒し、あいからず登山用のザックを漁っていた。 竹末さんの命令により、サブリーダーである滝さんと1年生の河原さんが営林署に連絡してハンターによる救助の要請をしに山を下り始めた。 2人は途中の八ノ沢で別の大学生パーティー「北海岳友会」(北海道学園大学の学生10人ほど)と出会う。 北海岳友会もまたヒグマ(おそらく同じ個体)に襲われていたため下山するとのことで、2人は伝達を頼み、また食料や地図、ガソリンなどを譲り受け、再び残る3人を助けようと戻って行った。 滝さんと河原さんは戻る途中で2組の大学生パーティーと出会ったのち、午後1時頃に他の3人と合流。 テントを修繕し、設営して、夕食をとった。 夕食を終え、寝にかかろうとしていた午後4時半頃、例のヒグマがまた現れ、テントのそばを離れず、それから約1時間も居座り続けた。 パーティーはその場に居続けることは危険だと判断して、八ノ沢で設営していた鳥取大パーティー(滝さんらが先ほど出会ったパーティー)のテントに入れてもらおうとした。 山を下りようにも辺りはすでに真っ暗だった。 それでも5人は無我夢中で歩き続けたに違いない。 午後6時半、西井さんがふと後ろを振り返ると、そこまでヒグマが来ていた。 全員一目散に下り始める。 ヒグマは河原さんを追い、他のメンバーは「ギャー」という叫び声を聞いた。 「チクショウ!」 暗闇のなか、河原さんの声がした。 河原さんは背後からヒグマに襲われており、格闘の末に鳥取大のテントの方へ足をひきずりながら下りていくのを竹末さんが目撃していた。 竹末さん、滝さん、西井さんの3人は鳥取大パーティーに助けを求め、彼らはホイッスルを吹いた。 やがて鳥取大パーティーと別れ、3人は岩場に登り夜を明かした。 興梠さんは逃げる途中に他のメンバーからはぐれ、別の場所に身を隠していた。 3人は河原さんの無事を祈りつつ、はぐれた興梠さんの名前を呼び続けたが、1回応答しただけで姿を見せなかった。 【残されたメモ】 7月27日早朝、深い霧のため視界は5mほどと、はぐれた2人を探したり、ヒグマの接近を察知するには絶望的な状況となっていた。 3人は午前8時頃まで河原さんと興梠さんを探したが、応答はなく、いったん下山することにした。 下りる途中、一番前を歩いていた竹末さんは下方2〜3mにヒグマがいるのを発見。 ヒグマは逃げる竹末さんを追い、この隙に滝さん西井さんはなんとか五ノ沢の砂防ダム工事現場までたどりつき、自動車の手配を頼む。 これが午後1時頃のこと。 それからさらに麓の中札内駐在所に到着したが、午後6時になっていた。 7月28日、遭難したメンバー達の救助隊が編成された。 だがハンターたちが発見したのは3人の変わり果てた遺体だった。 着衣は剥ぎ取られ、裸にベルトだけが巻かれている状態だった。 顔半分がなかったり、腹部から腸が引きずり出されるなど、目を背けたくなる光景だった。 検死結果によると、3人の死因は「頚椎骨折および頚動脈折損による失血死」であった。 致命的な傷は首、顔、股間の3点に限られる。 3人はいずれも逃げている最中に後ろから臀部を攻撃され、うつぶせに倒れたところを臀部や肛門部を噛み切られたものと見られた 悪天候により3人の遺体を下ろすことが出来なかったため、八ノ沢で荼毘に付され、遺族に遺骨が手渡されることとなった。 7月26日に仲間とはぐれた興梠さんはテントに一旦戻ったらしく、テント跡には彼の残したメモがあった。 文字からは彼がただひとり恐怖と闘い、震えながらこれを書いたことが窺えた。 26日午後5時。 夕食後クマ現れるテント脱出。 鳥取大WVのところに救助を求めにカムイエク下のカールに下る。 17:30 我々にクマが追いつく。 河原がやられたようである。 オレの5m横、位置は草場のガケを下ってハイ松地帯に入ってから20m下の地点。 それからオレもやられると思って、ハイ松を横にまく。 するとガケの上であったので、ガケの中間点で息をひそめていると、竹末さんが声をからして鳥取大WVに助けを求めた。 オレの位置からは下の様子は、全然わからなかった。 クマの音が聞こえただけである。 竹末さんがなにか大声で言ってた、全然聞きとれず、クマの位置がわからず。 ガケの下の方に2、3カ所にたき火が見える。 テントにかくまってもらおうと、ガケを5分ぐらい下って、下を見ると20m先にクマがいた。 オレを見つけると、かけ上って来たので一目散に逃げる。 前、後ろへ横へと転び、それでも振りかえらず前のテントめがけて、やっと中へかけこむ。 しかし、誰もいなかった。 しまった、と思ったが、もう手遅れである。 シュラフがあったので、すぐ一つを取り出し、中に入り込み大きな息を調整する。 しばらくすると、なぜか安心感がでてきて落着いた。 それでもkazeの音や、草の音が、気になって眠れない。 鳥取大WVが、無事報告して、救助隊が来ることを祈って寝る。 27日 4:00 目が覚める。 外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする。 テントの中を見まわすと、キャンパンがあったので中を見ると、御飯があった。 これで少しホッとする。 上の方は、ガスがかかっているので、少し気持悪い。 もう5:20である。 また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。 ああ、早く博多に帰りたい 7:00 沢を下ることにする。 にぎりめしをつくって、テントの中にあったシャツやクツ下をかりる。 テントを出て見ると、5m上に、やはりクマがいた。 とても出られないので、このままテントの中にいる。 8:00頃まで・・・・(判読不能)しかし・・・・・(判別不能)を、通らない。 他のメンバーは、もう下山したのか。 鳥取大WVは連絡してくれたのか。 いつ、助けに来るのか。 すべて、不安でおそろしい・・。 またガスが濃くなって・・・・ そしてテントの中に一人でいるところを、興梠さんはヒグマに襲われることになった。 29日、福岡大ワンゲル部5人を襲ったヒグマはハンター10人によって射殺された。 胃袋が調べられたが、そのヒグマは人間を食べていなかった。 悪戯するかのようにいたぶっていただけなのである。 そしてこのヒグマは4歳にして交尾をした形跡はなかった。 普通、2歳ほどで子どもを産むものらしい。 このヒグマを仕留めたハンターたちは「山のしきたり」により、この肉を食した。 【トピックス ヒグマ】 エゾヒグマ。 ネコ目クマ科。 (学名:Ursus Arctos Yesoensis 日本には本州にツキノワグマ、北海道にはヒグマがいる。 体格はヒグマの方が大きく、体長2m、体重300kgになるものもいる。 それぞれのテリトリーを持ち、ヒグマは子連れの母熊以外は単独で行動している。 アイヌの人々はヒグマを山の神「キムンカムイ」と呼び、畏敬の念をはらってきた。 彼らにとってヒグマは、山から皮と肉を運んできてくれる、まさに「神」だった。 北海道開拓が始まる頃、ヒグマの住む森に予備知識を持たない農民が送り込まれ、各地で事件が続発する。 明治から昭和のはじめまで、実に100人を超える死亡事故が発生した。 とりわけ凄惨の一言に尽きるのは、1915年(大正4年)12月に苫前町で起こった三毛別羆事件である。 死者7名、重軽傷3名という最悪の熊害事件であり、後に吉村昭が「羆嵐」という小説にして、その恐ろしさが人々に強く記憶されることとなった。 この事件でヒグマが人間を襲ったのは、冬眠に失敗した「穴もたず」という状態で、空腹になっていたからだった。 同時にヒグマも開拓によって平野部から山岳地帯に追いやられるようになった。 1966年、道内で「春グマ駆除」が開始される。 これはヒグマを発見しやすい春のうちに、被害が出る前に個体数を減らしておくものである。 この駆除では70年代前半までに年間約500〜600のヒグマが捕獲された。 やがて道内では絶滅が危惧される地域も出始めたため、捕獲数は70年代後半から減少し、春グマ駆除は1990年にいったん中止されることとなった。 ヒグマは立派な牙を持っているが、臼歯に肉を切り裂く鋭さはなく、植物類をすりつぶすのに適している。 雑食であり、特に植物食に依存している。 それは肉類に比べ、獲得しやすいからである。 よく里に近づくクマは、観光客による餌やりや道ばたに捨てられたゴミ類(ジュースの残りなど)に端を発していると言われる。 甘くてうまい味を覚えてしまうのである。 そうなってしまうと、多くの場合悲しい結果に終わる。 心ない人の餌やりは、クマを殺し、多くの住民を危険に陥らせる。 確かではないが、福岡大ワンゲル部を襲ったヒグマも何度もザックを漁っていたことから、以前に別のパーティーの持っていた食料を口にしていた可能性が高い。 それにヒグマは執着心が強い。 最初にテントの外に置いてあったザックを漁った時点でそれはヒグマのものになったのだが、メンバーがを取り戻したので襲ってきたものと考えられる。 泳ぎが達者で、木登りがうまく、のそっとした巨体ながら走るのも速い・・・。 ヒグマは人間をはるかに凌駕する身体能力を持っているが、人間を見ると必ず襲いかかってくるような獰猛な生き物ではない。 ただし、この事件のヒグマのように、興味本位で人間に近づいてきたりするものもいる(若い個体に多いという)。 我々が熊を恐ろしく思うように、熊からしても人間が怖い。 大抵のヒグマは人間に気づくと、ヒグマの方から逃げるか、ゆっくり離れていく。 突進してくることがあっても、威嚇である場合が多い。 その時、こちらが背を向けて走り出したり、騒いだりすると攻撃を誘発することになる。 また魚や動物の死骸などヒグマが「占有」している物が傍にある時は、それを奪おうとする意志を見せないためにも、こちらがゆっくりとその場を離れることが好ましい。 子連れの母グマと出会った時も同様である。 最も大切なことが出会わないことであり、熊鈴を携帯して山歩きする光景がよく見られる。 それ以外には声を出したり持ち物を打ち鳴らすなど、異質な音を出すことでこちらの存在をヒグマに知らせることが必要である。 そしてもし対峙してしまった時は、車内に避難したり、有利になるよう高所に陣取ること。 唐辛子の成分が使われるクマスプレーなどで抵抗するのが良い。 実は福岡大WV部事件によく似たケースが起こっている。 1962年7月25日のことだった。 札幌商業山岳部員10名が芦別岳(1772m)の登山中、テントの設営を終えて、一息いれたところにヒグマが出現し、雪渓に冷やしてあった缶をかじり始めた。 この時も福岡大の5人のように危機感を持っておらず、珍しいその姿に写真撮影したりしている。 ヒグマはやがてキャンプの周りをうろうろ回り始めたが、この瞬間から札幌商業のメンバーの行動は迅速だった。 「逃げろ」という大声と同時にメンバーは一斉に走り始めた。 命の危険があるので、荷物などはそのままだった。 しかしただ一人、2年生の津野尾君だけは靴を脱いでしまっており、逃げるのが遅れ、その後翌朝まで13時間にわたってヒグマに追い掛けられた。 津野尾君の手記によると、その距離5mに満たないほど追い立てられた末に彼はもうあきらめて、その場に座り込んだ。 そのうちにウトウト眠ってしまい、翌朝午前2時頃に目を覚ますと、ヒグマはまだ眠っていた。 そしてその間にソロリと逃げ切ったのである。 若い3人の命が失われた福岡大ワンゲル部事件。 よく事前調査をし、ヒグマの性質を知り、最初の襲撃時点で登頂にこだわらず山を下りたり、持ち物を手放すなどの対策をとれば被害はここまで大きくならなかったのかもしれない。 しかしあとからでは何とでも言うことができる。 人間常に最善の行動をとれるものではないし、彼らの恐怖と疲労も考慮しなければならない。 「事前調査の甘さがあるとするならば、現地のことが書かれたガイドブックに明確な指摘がなかったことこそ問題にされなければならない」と遭難報告書にも書かれてある。 3人の冥福を心より祈りたい。

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あいらぶヒグマ(羆)ちゃん 現実におきたヒグマ事件

福岡 大学 ワンゲル 部 ヒグマ 事件

福岡大学ワンダーフォーゲル部の合宿として部員達は北海道の日高山脈へと出向く。 しかしカムイエクウチカウシ山 標高2000m規模 へとさしかかった九ノ沢カール地帯へとさしかかった時、彼らの周囲へ体長2m程のヒグマが姿を現したのだそうな。 当初ヒグマはワンゲル部員へ向けて襲いかかってくるような様子はなく、ただ周囲をうろついてはこちらの様子を伺うにとどまっていたとのこと。 もしもこの時点で大学生らが早々に『 撤退 』と『 下山 』を決定していたならば、その後の惨劇も避けられたやもしれません。 しかし一行はこういった選択をせず『 登山行を継続する 』道を選んでしまいました。 結果、ヒグマは徐々に部員たちとの距離を縮めはじめます。 そして大学生がテント外に置いていた荷物を漁るまでに到ってしまった・・・。 この一度ヒグマの手中に落ちた荷物を、こともあろうに隙をみてヒグマから若者たちは獲り返してしまいます。 ヒグマは一度自分の獲物と認知した物に対して強い執着心を持つことで知られている動物。 結果としてその後の彼らはヒグマからの執拗な追撃をうける状況へと陥ってゆくのです。 部員たちも彼らなりに追い払いの行為や退避行動をおこなったそうですが、結果として5人居た部員のうちの3名が順次ヒグマの持つ鋭い爪牙の犠牲となりその若い命を落としてゆくこととなりました。 辛うじて逃げ伸びることが出来た2名でさえも、当時の状況を知るに「 いつ命を落としてもおかしくなかった 」ことが判ります。 当時の状況は以前「 ウィキペディア 」にもその詳細な記事文が掲載されていたのですが、先日改めてこの項を開き直してみるといつの間にか「 記事削除 」の扱いに変わっていました。 古い事件とはいえたかだか40年程前の出来事・・・・。 実名が連記されていた記事文や被害者の手にてよる遺書的メモの内容なども詳細に掲載される形での公開文であったことを記憶しています。 投稿者らは後になり遺族への配慮などを思いかえして「 記事削除 」とされたのかもしれませんね。 勿論この事件のヒグマもハンターの手によって駆除されました。 どの事件でも大抵は加害クマは駆除されるという結末を迎えます。 被害を出したクマを駆除したからそれでお終い・・・・。 でも本当にそうでしょうか? いや きっとこの「 あいらぶヒグマ(羆)ちゃん 」の中に幾つか綴ったヒグマ被害の記録を読んだ皆さんならば気づいて貰えたはずです。 ヒグマが暮す山や森と人間が暮す街が隣り合わせである限り・・・。 ヒグマが生息する山や森に人間が登山や山菜獲りなどの目的で分け入ってゆく限り・・・。 ヒグマ被害と言う事象が起こるといった可能性は今後もこの世の中から、北海道から完全に消えることなどあり得ないはずですよね。 「 起こるかもしれない事 」 これを無視してはいけないのだもの・・・。 過去の悲しい史実をきちんと活かそう。 僕らは「 知る必要 」がある。 僕らは「 学ぶ必要 」がある。 共に学びましょう。 それがヒグマ事件を掲載する僕からのメッセージです。 福岡大学ワンダーフォーゲル部がうけたヒグマ被害。 この加害クマの剥製は中札内村にある札内川園地、そこに開設されている日高山脈山岳センター内にその姿をみることが出来ます。 「 日高山脈山岳センター 」 札内川園地・日高山脈山岳センター 北海道河西郡中札内村南札内713番地 0155-69-4378 10時~17時( 6月~9月は20時まで ) 園地内にはこの山岳センターの他にキャンプ場やテニスコート、パークゴルフ場などが開設されています。 札幌を基準に考えるとすれば現在地までの距離はおよそ 240km。 高速道路の利用を敬遠し、一般道を辿り移動して来るとなれば、ノンストップでも4時間は覚悟といったところでしょう。 やはり訪ねた施設に記されているヒグマ絡みの史実は とても悲しいお話 なわけで・・・・。 ここいら辺 ちょっと今回の僕は複雑な心境です (T T ) ううむ・・・。 目的であった過去に大学生を殺めて( あやめて )しまったヒグマの剥製は山岳センターの玄関口で早速お会いすることができました。 「 それを展示ですか? 」 といった感情を言葉にする方も来館者の中にはいらっしゃるのだと施設管理の方が教えてくれました。 「 ? 」 を投げかけた方の心中や御考えにも頷ける部分があると感じます。 しかし同時に ヒグマは時に人を襲うことがあるという現実。 過去には眼前に広がる山々の中でもそのような事故が起きたという歴史。 これらを踏まえて頂くことで、今から山へと分け入ろうとする方々にも山に対する備えばかりではなくヒグマの存在に対しても「 心構え 」や「 装備 」、「 知識 」などの充実を図っておいて欲しい。 ひいては野生動物を愛で、山を楽しみ、無事故で山を下りてきて頂きたいのだといった願いをこめて「 教訓的意義 」に重きを置いての展示。 こういった意義を唱えつつ展示を継続されているのですよと語るスタッフらの思いにも大きく頷くことができますよね。 「 悲しい歴史のものだから・・・ 」 と奥に仕舞い込み何も見せず隠してしまうことは容易いことだもの。 でも「 正しく学ぶ 」ためにはやはり「 事実 」は隠してはいけないし、しっかりと後世に伝えることが大切であるに違いありません。 そういったわけで展示継続の道を選んでいる施設がわの考え方に僕も強く賛同しています。 僕だってこの地を酔狂に訪ねたわけではないんだ。 ちゃんと大きな「 学び 」を貰い持ち帰ることができたということを皆さんへも伝えたいです。 傍らに立つ僕の身長は168cmです。 「 意外と小さい 」という感想は僕も持ちました。 福岡大学のワンダーフォーゲル部を襲った加害クマはその史実を確認するに「 体長は2mほど 」との記載が残されていることが多いようです。 ですが現実に目の前にある加害クマの剥製はそんな記録数値よりも「 小さい 」と感じています。 ヒグマに襲われた際、大学生らだって生き残りをかけてそれこそ死に物狂いで抵抗を試みたはず。 「 若い男性の力をもっての必至の抵抗 」 にも関わらずパーティーの何名かは命を落とす結果となりました・・・。 ヒグマの持つ「 力 」を侮ってはいけない。 せいぜい僕らが優位にたてるヒグマのサイズというのは赤ちゃん小熊のレベルなのかもしれません。 相手が今までの想像を超えた強さをもっていると感じ学習して頂けたのであれば、きっと読者の方々は相応の「 備え 」や「 策 」を持ち出し始めるはずです。 そんな行動や工夫の全てがきっと皆さんを自然や野生の 「 恐ろしい部分 」 から守ってくれると思います。 山を舐めるな! これは登山家らの間でよく語り継がれている有名な台詞。 その「 山 」の文字の中には「 野生動物 」という意味も含まれていることを決して忘れないでください。 僕らだって山の中、このクマと出逢ってしまったとしても相手を侮ってしまったかもしれません。 知らなければ、またいつか誰かがヒグマを侮ってしまう・・・・。 皆で伝えましょう、そしてヒグマとの共生や共存が少しでも安全な物と出来るように工夫してゆきましょう。 施設内には福岡大学ワンダーフォーゲル部の遭難報告書の展示もありました。 展示物の中には彼らの残した遺書や遺品の展示も見られましたよ。 しっかりと時間をとったうえで足を運んで頂きたい施設だと思うんだ。 彼らの「 無念 」さがきっと貴方の心に響くはずです。 山岳センター玄関口には登山情報も掲示されていました。 そこには今現在もヒグマ出没の情報が読み取れます。 こういった情報を軽んじることなく、貴重な資料情報として活用したうえ山を楽しんでください。 怖い話ばかりが続いてしまったかもしれませんね・・・・。 でも毎年北海道の山へは沢山の登山家や山菜採りの方々が入山しています。 営林署職員や送電線管理の方々なども多数入山されている。 相対的にみればヒグマの事故に遭われるかたというのは 本当に極わずか なのです。 しっかりとした事前工夫を施した方らがヒグマ事故に遭われる確率はとても低いと言えることでしょう。 互いに正しいルールに基づき、注意を怠らないことが大切なのではないでしょうか? ヒグマとの付き合い方って知識を充足させたり、備えを万端にしたり、ルールを覚えるまではやっぱり難しいですよね。 でもいつか既に身につけている交通ルール同様に、対ヒグマのルールも長い経験の蓄積を通して身につけてゆくことが出来ることでしょう。 文字通り 交通事故 と ヒグマ事故 の両方に気をつけて下さいねってことだ。 この道路では実際にヒグマが絡む乗用車の事故がありお亡くなりになった方が居たそうです。 鹿ばかりではなくヒグマも道路に飛び出すことがある・・・ とにかく気をつけるしかありません。 「 自分も直接訪ねてみようかな・・・ 」 そんな思いが浮かんだ時は可能であれば「 乗用車利用 」が良いかもです。 バイクで行くのはちょっと僕自身も遠慮してみたよ。 最近はヒグマの頭数が増えていて道路への飛び出しなど直接的な路上コンタクトが増えているとも聞いていたからね。 皆さんも参考にしてみてくださいな。 今回の中札内村へのクマ出張も実りの多いクマ旅になりました。 色々と教えてくれたセンタースタッフの方には大変感謝しております。 次回は田中義剛さんの経営する花畑牧場へ遊びに行く際にでも利用してみるとするか・・・。 今回は日帰りで足を延ばしていたので中札内の話はここでお終いです。 帰宅路で回った 帯広で食べた豚丼 の画像で最後を締めることといたしましょう。

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