混沌さん 著作権。 混沌の再来・後編 クリア(闇)

【TikTok】吉本興業所属のクリエイター#混沌さん 、吉本退所へ 迷惑系YouTuberのへずまりゅうと同行 謝罪動画も低評価80%超え [Time Traveler★]

混沌さん 著作権

無断転載を助長しているようなもの。 今回は、SNSを使っていると良く見かける「無断転載」について焦点を充て、無断転載のトラブルや感じていることなどをまとめていきたいと思います。 免責事項として、本noteにより何らかのトラブルが発生したとしても、責任を負いかねますのでご了承くださいませ。 ーーーーーーーーーーーーーーー いいねやRTをする前に!そのアカウントって本物? ほやけんはInstagramでワンコやニャンコ、爬虫類やフクロウなど愛玩動物を飼育している方をフォローしまくり、仕事で疲れた時とか癒されたりしているのですが、そのカワイイ子たちを別アカウントが「可愛い」とか言うて無断で投稿しているのを見ると飼い主さん以上に苛立ちを覚えています。 撮影した本人以外が勝手に画像や動画などをSNSへ上げると、著作権法が定める著作財産権のひとつである「複製権」の侵害になります。 もちろんその動画や写真にクレジットが入っていれば、その画像の転載元がどこなのか分かるので まだマシですが、まとめアカウントを運用している人がそこまで配慮していることはあまりありません。 制作した人(著作者)の気持ち テキストでも画像でもイラストでも音楽でも、その作品に関わった人たちがどのくらい時間を費やしていて、どのくらい大切に作り上げているのかを考えてみてほしい。 テキストであれば文章の構成から根拠となる調査やアンケートをとることもあるだろうし、出版するのであれば校閲や入稿のやりとり、挿絵を入れるのであれば画像の手配などの時間を要しているかもしれない。 個人的なブログや今書いている文章も、拙いなりに時間をかけてまとめてるんすよ。 画像だと日常の写真であれば撮影時間は少ないかもしれないけど、例えば富士山からの朝日やその瞬間しか撮影できない風景、海外の情景を撮影するとなると、移動費や機材の準備から持ち運び、撮影手法などのスキルを得るまでの時間とか、たくさん時間をかけてる。 イラストであれば構図からラフ画・下書き、線画に塗色なども時間をかけようと思えばいくらでも描くことができます。 自分が終わりって思うまで作り込むことができる。 そして絵を描けるようになるまでにいっぱい練習して時間かけまくってる。 どの作品もクリエイターや関わった人たちが頑張って時間かけて作り上げたやつなんすよ。 「可愛いー!あたしのアカウントで載せちゃお!」って。 あたかも自分の作品のように紹介しちゃうのが「無断転載」になり、クリエイターの価値を下げるような言動だとほやけんは思っています。 引用と転載は違う ここまでのnoteで参考となる記事をいくつか紹介していますが、「これは無断転載じゃないんか??お??」と思っている人がいるかもしれないので念のため。 本noteに記載している記事は転載ではなく「引用」という掲載方法です。 「この文章自分が書いたんだぜゼハハハハ!!」みたいに【あたかも自分が書いたもの】とするのではなく、明確に別のソースであることを分けて載せる手法です。 こちらの記事が分かりやすかったので引用にて紹介しておきますね。 自分の言葉でいくら無断転載についてわちゃわちゃ言っても説得力もないしそもそも分かりにくいけんね。 作品と作った人に敬意を示そう もし「作品を世に伝えたいんだからいいじゃん」と思う人がいたら、作品を作った本人たちの目の前でその言葉を堂々と言えるかを考えてみてほしい。 堂々と言えないなーと思ったら、それは後ろめたいことをしている意識があると思うし、無断転載の罪悪感を抱いているんじゃないかと。 別に無断転載の温床アカウントに対して「無断転載はダメだよ!」って声を挙げるよう求めているわけではないです。 だって無断転載された本人ではないですからね・・・。 明らかに無断で画像や動画をとってきているようなアカウントに対して、「いいね」やリツイート、シェアなどをしない、無断転載の画像を拡散させないように 意識するだけでもいいです。 「いいね・RT」をしたくなるような画像や動画がたくさんあるけど、「その画像は公式や本人から発信しているものかどうか」も含めて見てほしい。 可愛いと思うワンコがいたらその公式アカウントで好きって伝えてほしい。 無断転載の画像でいいねされても、本人たちは分からないし、むしろフォロワーの「いいね」から流れて本家に伝わってショックを受ける可能性もあります。 悲しい気持ちになるのか、スキに転載してくれていいよってなるのか、それは公式さんの気持ち次第だけど、嬉しく思う人は少ないと思う。 撮影をした人、ペットと暮らしている人、動画を制作した人、デザインをした人、絵を描いた人、文章を考えた人、作詞をした人、作曲をした人ー・・。 それぞれ思い入れがあって生まれた作品。 無断転載によって公式が投稿しなくなるなんてことがありませんように・・・。

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【著作権】グレーなファンアート|ほやけん|note

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東京都知事選挙(2020年7月5日投票)に立候補したNHKから国民を守る党党首の立花孝志氏が2020年6月29日、新橋駅SL広場前で街頭演説を行った。 複数のユーチューバーが、立花氏の選挙カーに登壇し応援演説をした。 その中で披露された「混沌ラップ」がSNS上で話題となっている。 「TikTok」上でこのラップを披露し、自らも「混沌さん」と呼ばれるようになった配信者自身が、「混沌ラップ」を立花氏の選挙カー上から披露した。 30日現在「混沌さん」の「TikTok」のフォロワー数は約23万人、YouTube上のチャンネル登録者数は4万人を超える。 「混沌ラップ」の元ネタは、男性声優18人による音楽原作キャラクターラッププロジェクト「ヒプノシスマイク」の楽曲。 2019年4月に公開された「Hoodstar」という楽曲の、いわゆる「歌ってみた」作品である。 もっとも、今回都知事選にかかわる街頭演説にこの歌が用いられたことに対して、ヒプノシスマイクのファンだとみられるユーザーからは、 「こんなことにヒプマイ使われんのめっちゃ嫌」 といった声も上がった。 立花氏の応援には、「混沌さん」のほかにも多数の動画配信者が訪れた。 立花さんは前28日、自身のツイッター上で「迷惑系YouTuber」が応援演説に来ると予告。 告知されたのは強引にコラボ放送を迫ることで知られる配信者だった。 この配信者は、J-CASTニュースでも、首里城公園内に設置されたメッセージボードに落書きを行ったことで報じている(首里城復興ボード、ユーチューバーの「落書き」で撤去 施設側「残念な気持ちでいっぱい」)。 今回の街頭演説は、この動画配信者を目玉とし、立花氏のYouTubeチャンネル上でも生配信が行われていた。

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川上未映子さん「あらゆることを、混沌のままに表現していきたい」(インタビュー前編)

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いまいる場所にいたるまでに、そのひとにはどんな転機があり、どんな選択を、決断をしてきたのか。 何を受け入れ、何を捨て、身につけ、いまそこにいるのか。 創刊5周年を記念して、&wは、居心地のいい「明日のわたし」に還っていくための目印となる言葉を受け取る旅に出ます。 まず最初は作家の川上未映子さんによる、「女性であること」と、「表現すること」についてのお話から--- インタビュー:島﨑今日子 / 写真:馬場磨貴、ヘアメイク:吉岡未江子 世界で、フェミニズムの波がまた満ちてきた。 2017年秋、文芸誌「早稲田文学」から増刊「女性号」が発行され、話題をさらった。 表紙はクールなピンクが基調で、現代の書き手を中心に古典まで女性82人の作品、女性と文学の関係が鋭角的に一望できる。 責任編集を担ったのは同誌編集委員の作家、川上未映子さんである。 思い通りのものを作るためにと広告まで買い取った作家は、巻頭言にこう書いた。 「そこで本当は何が起きているの。 あなたは、どこからきて、どこへいくの。 ねえ、いまあなたは、なんて言ったの?」 私が編集責任をする機会は恐らく最初で最後、それなら「女性号」だなという気持ちがありました。 いろんな書き手に女性について書いてもらうことは今までにもあったと思いますが、女性が、女性について、文学の問題として引き受けるというのが骨子でした。 あくまで詩歌、小説、文学について、「女性」と「書く」という表現がどのように関係があるのか。 あえてフェミニズム号としなかった意図は、文学に収斂(しゅうれん)させたかったから。 社会学の分野では先行する優れた論文も議論もありますし、そちらにまで範囲を広げるのはあきらかに私の能力を超えるもので、現実的に不可能でした。 もちろん、大枠ではフェミニズムと重なるんです。 女性と言ったとき、おのずとフェミニズムは包括されるし、同時に逆説的に女性以外のものについても考えるようになればいいなと、編集の段階からメンバーと話していました。 だから「女性号」が出たあとに、トランスジェンダーの方がツイッターに「巷(ちまた)にあふれている特集から弾き出されている私たちは、女性号からも弾かれてどこへ行けばいいのか」というようなことを書き込んでいるのを読んで、まっとうな反応だと思ったんです。 世の中に対して、フェミニズムは「女性もいるんだよ。 私たちもいるんだよ」とずっと存在を訴えてきました。 マイノリティーとされる人からそのような声があがったことは当然のことだし、すごくうれしかった。 そろそろ女性が女性について語るときに身構えることをやめたいんです ほとんど、96%くらいは好意的な反応でしたが、「80人以上の女性だけの書き手、そしてピンクの表紙」への、条件反射的な否認の雰囲気は感じましたよね。 「女性号」と聞いただけで、エーッとなる。 「女性がこんなに集まって過剰な攻撃性を感じる」なんて言う評論家もいて、「なんか最近、女性が元気でこわいなあ」みたいな、そんな素朴な感想でどうするんだと(笑)。 仕事してないなあと思いましたね。 やっぱり、優遇されていることにも気づかない言論人の多くは、ことジェンダーにかんする自分たちの紋切り型の思考に甘いし、疑ってないですね。 「女性が女性について表現する特集」が組まれる程度で、それが特殊なことと映ること自体が、異常な状態だってことを想像もしない。 女性たちは、そして多くの男性たち、そのほかの性の方たちも、こういう特集が出ること、必要であるってことに共感してくれて、喜んでくれて、励みになりました。 ただ、私は、そろそろ女性が女性について語るときに身構えることをやめたいんです。 もっと自由に女性たちが集まってもいいし、集まらなくてもいいしって感じでやっていきたい。 だって、ラーメン職人たちがラーメン特集やっても、うどんの職人は「うどんへの攻撃だ」とか「麺の中でラーメンが一番偉いと思ってるのか!」なんて怒らないでしょ(笑)。 もちろんラーメンとジェンダーを同列に語ることは難しいけれど、いろんな人がいるんだから、そのときどきで様々な特集が出るのは当然のこと。 それが許せない人って、いったい思想誌とか論壇誌とかの現状について、どう思っているんでしょうね。 つねに「男性号」じゃんね(笑)。 もちろん、結果的に男性の書き手だけが集まってしまうことでその特集や雑誌の質が落ちるとは思わないし、構造的な必然性があるんだけれど、そういう状況において「女性号」が刊行されたことの意味を、ちょっとは真面目に考えてほしいですよね。 仕事なんだから。 「こわい!」とかの、素朴な感想じゃなくてね(笑)。 ウーマンリブが日本で台頭したのは1970年代初頭、フェミニズムが席捲したのは80年代だった。 76年生まれの川上さんは、どこで「女であること」に違和感を持ち、向き合うことになったのか。 やっぱり、女性という身体を持っていて、女性というジェンダーを生きていたら、ずっと女であることを意識しているはずなんです。 それこそ思春期以前から欲望の対象とされていることに気づかされますよね。 でも、家も学校も文化も少女漫画もそれが当たり前、内面化されてしまっているので言語化できない時期が長いんですよね。 だからずっと違和感がありながら、差別構造が問題視できない。 私の場合も遅くて、これはおかしいと思うようになったのは20代でした。 生きていると、いろんなイシュー(issue)がありますよね。 そのイシューって、複数を同時期に理解することはなかなかできなくて、問題の最初に来たものが切実になる。 幼い頃から私にとって差し迫った問題は、ジェンダーより今で言う格差だったんです。 小学生のときには、「なんでいつか死ぬのに生まれてきたんだろう」という存在論的なビッグイシューもありました。 内面化されたジェンダーは、イシューとして取り出すのが遅かったんですよ。 若い頃から広告やテレビを見ていて、「なにゆうてんねんあのおっさん」「どう考えてもおかしいやろ」とかブツブツ言ってましたけれど、いろいろな人と出会う中でだんだんと見えてきたんです。 確実に「あれもおかしい」「これもおかしい」って気がつき、構造を意識しはじめたのは、自分が働くようになってからです。 川上さんは、高校卒業後、ひそかに願った美術系大学への進学を諦めて働きだした。 弟の進学費用を稼ぐため、昼夜働くフリーター生活を選ぶ。 今考えたら、これにもジェンダーがからんでますね。 弟はひとつ下なんですが、「男やから大学出してあげな」という気持ちがどこかにありましたね、母親にも私にも。 うちの場合に限らず、限られたリソースであれば、それはやっぱり男にとられますよ。 でも弟には私よりもはっきりとした才能があったので、それを生かすのは、基本的に男女関係なく、当然だという考えもありました。 才能はいくらお金があっても得られない。 でもその幸運を形にするためにお金が必要なら、そんなの私がいくらでも稼いでやる、という気持ちでした。 働いていると、やっぱり、見えてきますよ。 ただ私は哲学や倫理学的な問題が一大事で、表現者であったので、ダイレクトにフェミニズムにはいきませんでした。 小説『乳と卵』は女体を持っていることへの違和感を書いたものですが、あれも、異議申し立ての形で作品として問うということではなかった。 やっぱり、創作の人間なので、状況や問題を分析して白黒つけたい、はっきりさせたい、という感じではないんです。 違和感があったら、違和感をそのまま書くというのが私の闘い方であり、私の表現。 私がフェミニズム、ジェンダーというものとあまり接続してなかったのはそういった理由があるんだと思います。 創作は正しさの追求ではありません。 作品の幅を限定する可能性もあるので、多くの作家がイデオロギーに接近するのを躊躇(ちゅうちょ)するのはよく理解できます。 私も自分の作品をイデオロギーを使って理解されることには慎重でありたいし、メッセージに還元されるような作品を書いてしまうことほどつまらないことはありません。 今後も、あらゆるイシューに対して、「べき」を書くのではなく、混沌のままに表現していきたいと考えています。 ただ、それでも私がちょっと変わったのは、ジェンダー抜きには語れない『きみは赤ちゃん』というノンフィクションを書いたからです。 川上 未映子(作家) 1976年8月29日、大阪府生まれ。 2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』が第137回芥川賞候補に。 同年、第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。 2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。 2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。 2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。 2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。 短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。 2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。 「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。 他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など著書多数。 2017年9月に刊行された『早稲田文学増刊 女性号』では責任編集を務めた。 3月30日、最新短篇集『ウィステリアと三人の女たち』(新潮社)が刊行予定。

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