パン を ふん だ 娘 ラスト。 パンをふんだ娘

パンをふんだ娘とは (パンヲフンダムスメとは) [単語記事]

パン を ふん だ 娘 ラスト

アンデルセン童話のひとつ「パンをふんだ娘」。 デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが手掛けた『童話と物語の新集』に収録されました。 日本では1975年に影絵劇としてテレビ番組で放送され、広く知られることとなります。 ではあらすじを紹介していきましょう。 ある村に、インゲルという名のとても美しい娘が住んでいました。 裕福な家庭へと奉公に出されることとなりますが、彼女は以前から自分の美貌を鼻にかけてわがままに過ごしていたため、奉公先でもまともに働くことはありませんでした。 ある日里帰りをすることになり、奉公先の夫人からお土産にパンを貰います。 家までの帰り道、先ほどまで降っていた雨が振っていたため、道にぬかるみができていました。 インゲルは自分のドレスを汚したくなかったため、お土産に貰ったパンをぬかるみに投げ入れ、その上へと飛び乗ります。 ところがパンは彼女を乗せたままぬかるみの底へと沈んでいき、二度と浮かび上がることはありませんでした。 後にこの出来事は人々の間で伝承となり、噂話が絶えることはありません。 その様子は、地獄に落ちたインゲルの耳にも伝わります。 また村に住む母親もこの噂を聞き、愚かな娘をもったことを嘆き悲しみながら死んでいきますが、それを聞いてもインゲルはまったく反省せず、自分がなぜ地獄に落ちたのかも理解していません。 ある日そんな噂話を聞いて、インゲルを憐れんだ少女がいました。 少女は年老いて死ぬまで、インゲルが天国に行けるように祈りを捧げ、涙を流し続けます。 そしてついにその祈りは聞き届けられ、インゲルは灰色の小鳥として生まれ変わりました。 それからは、どれだけ小さなパン屑も粗末にせず、他の鳥に分け与える日々を送ります。 分け与えたパン屑の量が、インゲルの踏んだパンと同じ量になった時、彼女の罪は許され、ようやく天国に行くことを許されたそうです。 作者であるアンデルセンは、熱心なカトリック教徒としても有名です。 「パンをふんだ娘」をはじめ「人魚姫」や「マッチ売りの少女」などの物語には、彼の信仰心が反映されています。 カトリックにおける「パン」とは、「キリストの肉体」を象徴するものです。 つまり本作においてインゲルは、神の体をふんでしまったということ。 地獄に落とされたのは、彼女が神を冒涜し、怒らせたからだと考えられるでしょう。 後にインゲルは、優しい少女の祈りのおかげで小鳥として蘇りました。 小さく弱い存在の小鳥は、偉ぶることはできず、また1羽だけで生きることもできません。 神はインゲルを小鳥の姿にすることで、罪を償わせる機会を与えたのでしょう。 童話「パンをふんだ娘」から学べる教訓は? 物語の冒頭でインゲルは、生まれ故郷の村から裕福な家庭へ奉公に出されます。 作品によっては養女となるパターンもありますが、どちらも「貧しい村で一生を終えるより幸せに暮らせるだろう」と願った、母から娘への優しさでしょう。 奉公先の家族もインゲルのことを気遣い、里帰りの際にはパンを持たせてくれるなどあたたかく彼女に接していました。 ところが当のインゲルは、その優しさに気づくことはありません。 自分の美貌にかまけて奉公先でもわがままばかり言い、ドレスを汚したくないからとパンをぬかるみ投げ入れてしまうのです。 さらに地獄に行ってもその慢心をあらためることはなく、灰色の小鳥になったことでようやく周囲の人々の優しさや、食べ物を大切にしなければいけないことに気づくことができました。 人の優しさに感謝の気持ちをもつことの大切さを表しているとわかるでしょう。 また、かつて日本にも、「米粒を残すと目が潰れる」という言い伝えがありました。 毎日の食卓に何気なく並ぶ米ですが、かつて米はお金よりも貴重だといわれていたのです。 そこから米粒には仏が宿っていると考えられるようになり、米粒を粗末にすると罰が当たるとされるようになりました。 インゲルも、小鳥の姿になったことで食べ物を得る苦労を知り、他の鳥たちに分け与えるほどその大切さやありがたみを知ることとなったのです。 繊細なイラストが光る「パンをふんだ娘」.

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スペイン巡礼18日目!パンをふんだ娘のトラウマとキリストの肉体

パン を ふん だ 娘 ラスト

投稿者: ニッキ - インドネシアの話。 「貧しい家から出て行って大出世した男が貧相な母を嘲笑う。 母は『謝らなければおまえは石になる』と呪う。 男は石になる」。 アンデルセンの「パンを踏んだ娘」に似ている。 「世界名作全集」は所詮「欧米名作全集」なのですね。 …と言いたい所だがやっぱアンデルセンはただものではない。 ちゃんと続きがある。 「パンを踏んで地獄に堕ちました。 終わり。 」という話を聞かされた子供が「女の子がかわいそう!」と泣き出す。 そして子供はやがて老女になり死の間際に「わたくしも娘のようなことをいたしませんでしたか?高慢ではありませんでしたか?どうかお見捨て下さいませんように」とお祈りをして息を引き取る。 そこで初めて娘は改心し…と。 インドネシアだけでなく世界中にその類の教訓話はあるのでしょう。 多分著者も子供の頃それを聞いて…「それだけでいいの?」と。 パンを踏んだ娘には「インゲル」という名前があるがその心を動かした人の名前はどこにも記されていない。 名もなき者がテロリストや哲学者や宗教者より人の心を動かしてしまうという素晴らしさ。 でもこれ原題は「海つばめ」じゃなかったかな?「パンを踏んだ娘」の方が分かりやすくて営業向きだけど著者はがっかりでしょう。 ポエジーがないから。 「神様〜」とか「人間中心〜」とかそういう所が苦手なんですが、やっぱすごいな、と。   靴を汚したくなくて白いパンを踏んだため、泥の中に沈んでしまった『パンをふんだ娘』とか、病気の男の子のために咲いた花(『天使』)とか、解説のいうところの「深い宗教的な諦念」が感じられます。   『人魚姫』は子供の頃は、助けてくれた人魚姫から王子を奪うなんて、隣の国の王女はひどい!と思っていたんですが、今読むと徹頭徹尾、人魚姫の片思いですね。   「王子のへやの外のビロードのクッションで寝てよろしい、というおゆるしが出ました。 」なんていう一文もあって、これってセクシャルなメイドみたいなものじゃないの?(倉橋由美子版では人魚姫は愛人として書かれてるとか。 ) 王子にとって人魚姫は結婚相手どころか、恋愛対象ですらなかったのでは。  人魚姫が王子を殺しに行くのが、新婚初夜のあとのふたりの天幕だというのもなんだか気持ち悪い。   さらに、人魚姫は海の泡になって終わり、ではなくて、泡から空気の精となり、300年のあいだ、よい行いをすると、「不死のたましい」を授かり、神さまの国へのぼっていけるというラストでした。 妹は「なにその苦行」と言ってましたが、ほんとだよ。   一方で、『野の白鳥』でエリザがさまよう森の描写の美しさとか、子供向けの本ではわからなかったアンデルセンの魅力も感じられた巻でした。   以下、引用。   「小さい時、よくわたしの前かけをふみつけたけれど、大きくなったら、わたしの心をふみつけはしないかと、それがしんぱいだよ。 」  世の中のすべてのものは、紙の上に描きうつすことができるものだということを、青銅のイノシシにおそわっていたからです。 しかも、フィレンツェの町は、そのページをくる人にとっては、一さつのりっぱな絵本なのです。   こうして、大きい天使も小さい天使も、みんな声をそろえてうたいました。 祝福を受けたあのよい子も、引っ越し日のがらくたものやくずの中にまじって、せまい暗い通りに投げすてられた、ひからびた、みすぼらしい野の花も、みんないっしょに。   王子は姫に、いつまでも、ここにいるようにといいました。 そして、王子のへやの外のビロードのクッションで寝てよろしい、というおゆるしが出ました。   小鳥のことを、だれよりも深く思いやって、どうかしてなぐさめてあげたいと思っていたヒナギクのことは、だれひとり思いだす人はありませんでした。   「だが、わしの読んだ本というのは、日本のえらい天子さまよりおくられてきたものじゃ。 うそいつわりであるはずはない。 」  それというのも皇帝が、心臓のあるほうのがわを、いちばん上だと思っていらしったからです。 そうです。 心臓は皇帝の場合でも、左がわにあるんです。   まわりの草のなかやコケの上には、なん百という���タルが、みどりいろの火のように光っていました。 手でそっと一本の枝にさわりますと、まるで流れ星のように、ふってきました。  .

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パン を ふん だ 娘 ラスト

アンデルセン童話のひとつ「パンをふんだ娘」。 デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが手掛けた『童話と物語の新集』に収録されました。 日本では1975年に影絵劇としてテレビ番組で放送され、広く知られることとなります。 ではあらすじを紹介していきましょう。 ある村に、インゲルという名のとても美しい娘が住んでいました。 裕福な家庭へと奉公に出されることとなりますが、彼女は以前から自分の美貌を鼻にかけてわがままに過ごしていたため、奉公先でもまともに働くことはありませんでした。 ある日里帰りをすることになり、奉公先の夫人からお土産にパンを貰います。 家までの帰り道、先ほどまで降っていた雨が振っていたため、道にぬかるみができていました。 インゲルは自分のドレスを汚したくなかったため、お土産に貰ったパンをぬかるみに投げ入れ、その上へと飛び乗ります。 ところがパンは彼女を乗せたままぬかるみの底へと沈んでいき、二度と浮かび上がることはありませんでした。 後にこの出来事は人々の間で伝承となり、噂話が絶えることはありません。 その様子は、地獄に落ちたインゲルの耳にも伝わります。 また村に住む母親もこの噂を聞き、愚かな娘をもったことを嘆き悲しみながら死んでいきますが、それを聞いてもインゲルはまったく反省せず、自分がなぜ地獄に落ちたのかも理解していません。 ある日そんな噂話を聞いて、インゲルを憐れんだ少女がいました。 少女は年老いて死ぬまで、インゲルが天国に行けるように祈りを捧げ、涙を流し続けます。 そしてついにその祈りは聞き届けられ、インゲルは灰色の小鳥として生まれ変わりました。 それからは、どれだけ小さなパン屑も粗末にせず、他の鳥に分け与える日々を送ります。 分け与えたパン屑の量が、インゲルの踏んだパンと同じ量になった時、彼女の罪は許され、ようやく天国に行くことを許されたそうです。 作者であるアンデルセンは、熱心なカトリック教徒としても有名です。 「パンをふんだ娘」をはじめ「人魚姫」や「マッチ売りの少女」などの物語には、彼の信仰心が反映されています。 カトリックにおける「パン」とは、「キリストの肉体」を象徴するものです。 つまり本作においてインゲルは、神の体をふんでしまったということ。 地獄に落とされたのは、彼女が神を冒涜し、怒らせたからだと考えられるでしょう。 後にインゲルは、優しい少女の祈りのおかげで小鳥として蘇りました。 小さく弱い存在の小鳥は、偉ぶることはできず、また1羽だけで生きることもできません。 神はインゲルを小鳥の姿にすることで、罪を償わせる機会を与えたのでしょう。 童話「パンをふんだ娘」から学べる教訓は? 物語の冒頭でインゲルは、生まれ故郷の村から裕福な家庭へ奉公に出されます。 作品によっては養女となるパターンもありますが、どちらも「貧しい村で一生を終えるより幸せに暮らせるだろう」と願った、母から娘への優しさでしょう。 奉公先の家族もインゲルのことを気遣い、里帰りの際にはパンを持たせてくれるなどあたたかく彼女に接していました。 ところが当のインゲルは、その優しさに気づくことはありません。 自分の美貌にかまけて奉公先でもわがままばかり言い、ドレスを汚したくないからとパンをぬかるみ投げ入れてしまうのです。 さらに地獄に行ってもその慢心をあらためることはなく、灰色の小鳥になったことでようやく周囲の人々の優しさや、食べ物を大切にしなければいけないことに気づくことができました。 人の優しさに感謝の気持ちをもつことの大切さを表しているとわかるでしょう。 また、かつて日本にも、「米粒を残すと目が潰れる」という言い伝えがありました。 毎日の食卓に何気なく並ぶ米ですが、かつて米はお金よりも貴重だといわれていたのです。 そこから米粒には仏が宿っていると考えられるようになり、米粒を粗末にすると罰が当たるとされるようになりました。 インゲルも、小鳥の姿になったことで食べ物を得る苦労を知り、他の鳥たちに分け与えるほどその大切さやありがたみを知ることとなったのです。 繊細なイラストが光る「パンをふんだ娘」.

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