柄本 明 志村 けん。 柄本明、志村けんとの初共演「地獄だった」今でも「毎回怖い」

柄本佑の父・柄本明の俳優としての「哲学」と志村けんについて。

柄本 明 志村 けん

俳優・柄本明さんと志村けんさんとの関係や、アドリブが多いと言われる2人のコントの裏側についてスポットを当てます! 3月2日放送のNHK『ファミリーヒストリー』は、柄本明さん(68)のルーツに迫る内容です。 祖父が織物工場を経営して倒産したことや、母親が戦時中に敵機の襲来を伝える「女子通信隊」に入隊していたエピソードなどが明かされるらしいですね。 詳細は放送を観るとして… 柄本さんといえば俳優としての実績も素晴らしいですが、私にとって最も印象的なのは、志村けんさんとの芸者コントなんですよね(笑) 2人の息がぴったりなので、プライベートでも仲が良いんだろうな~と思いきや……本当は交流は全くないってことはご存知でしたか? 「(志村けんさんとのコントは)緊張感があって大変な仕事」と語る柄本明さん。 ちょっと意外だったので、柄本明さんと志村けんさんとの関係などについて調べてみました。 Sponsored Link 柄本明のプロフィールについて!芸者コントが上手いのは祖父の影響? 独特なキャラクターで知られる柄本明さんのプロフィールをあらためて見てみます。 1998年の『カンゾー先生』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を、2004年の『座頭市』で第58回毎日映画コンクール男優助演賞を受賞をゲットしたのが記憶に新しところです。 両親が映画や演劇好きで、生家が銀座・歌舞伎座の裏手にあったことが俳優を志すきっかけになったとか。 子供のころは劇場に通い詰め、年間200本の作品を観ていたそうですね。 これこそが、柄本明さんの渋い芝居の原点かもしれません。 2日に1本くらいのペースで観ていれば、それはもう目が肥えて芝居も上手になるでしょうね。 また、母方の祖父がハコ屋(芸者の斡旋業)をしていたことも、重要なポイントかと思いますね。 これは勝手な私の想像ですが…… 柄本明さんは幼少期、たまに芸者さんの三味線を触らせてもらったり、歌や踊りを見せてもらったりしたんじゃないかな~と。 だから、あれほど志村けんさんとの芸者コントがハマってるんだと思いますね(笑) Sponsored Link 柄本明 志村けんとの関係…仲良しは嘘!コントはアドリブ?! たびたび『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『志村けんのバカ殿様』に出演している柄本明さん。 代表的なのは芸者ネタですが、ほかにもバリエーションは色々あって、どれも面白いコントばかりですよね。 日頃から仲が良く、ネタ合わせも和気藹々…という雰囲気なんですが、実は交友関係のような付き合いは一切なく、スタジオでも「普段の会話はほぼ無い」というから驚きです。 柄本明さんがスタジオに入っても志村けんさんは他の撮影で忙しく、台本合わせをするとしても、食事の時間など空いている時にササッとやる感じみたいです。 「じゃ、そんな感じで」というノリでリハーサルも行わないとか…。 う~ん、細かな打ち合わせをしないであれだけの爆笑コントを作り上げてしまうんですから、2人ともやはりプロ中のプロですね。 カッチリした台本合わせやリハーサルを行わないからこそ、あの世界観ができるのかも…。 柄本明さんにとっては良い緊張感があるらしく、過去のインタビューでこのように語っています。 志村けんという天才と一緒にお仕事をやらせていただくのは光栄なことですが、実はコントは大変な仕事。 リハーサルなんかもないですし、怖いです ……怖いと言いつつ、それも楽しんでいる風も伺えませんか?笑 2人でコントをすることになったのは、志村けんさんが突然、『加トちゃんケンちゃん ごきげんテレビ』に柄本明さんを呼んだのがきっかけだったとか。 旅館のお客さん(柄本明さん)を相手にオバちゃんマッサージ師(志村けんさん)がボケまくるコントでしたが、台本ほとんど無しのアドリブだったようです。 ネタの内容はここでは細かく書きませんが、もう何となく展開が頭に思い浮かんでニヤニヤしませんか?笑 突然呼ばれて対応する柄本明さんも凄いですが……そのポテンシャル見抜き、何ら交流もない柄本明さんに声をかける志村けんさんも素晴らしいですよね。 やはり、プロはプロを見抜いてしまいますか。 今後、2人のコントを観るときはちょっと違ったアングルで観られそうです。

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「笑われる存在」を貫いた孤高の人 演劇研究者が語る「志村けん」の凄み

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ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさん(本名・志村康徳=しむら・やすのり)がコロナウイルスによる肺炎のため亡くなったことが30日、分かった。 29日午後11時10分、都内の病院で死去した。 70歳。 死因は新型コロナウイルスによる肺炎。 関係者によると、「同じ年だけど、志村さんを尊敬していた。 落ち込んでしまって、何か話せる様子じゃない」という。 柄本は33年前、TBS系「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」に志村の指名で出演。 最初は設定だけのアドリブで、「地獄だった」と振り返ったこともあったが、その後は息ぴったりの関係となり、芸者コントなどを生み出した。 photo• 芸能 八田亜矢子が第1子男児出産「予想以上の可愛さ」 []• 芸能 [6月13日 13:53]• コラム [6月13日 13:00]• コラム [6月13日 13:00]• ドラマ [6月13日 12:01]• AKB48 [6月13日 10:18]• 芸能 [6月13日 10:14]• 芸能 [6月13日 9:57]• 芸能 [6月13日 9:40]• 芸能 [6月13日 9:24]• 芸能 [6月13日 9:11]• AKB48 NGT奈良未遥「ヤンヤン」芸人負けんトーク目指す []• AKB48 [6月13日 10:18]• AKB48 [6月11日 22:30]• AKB48 [6月11日 21:06]• AKB48 [6月8日 20:27]• AKB48 [6月8日 16:20]• AKB48 [6月8日 10:00]• AKB48 [6月5日 15:27]• AKB48 [6月5日 15:00]• AKB48 [6月2日 16:35]• AKB48 [6月1日 23:30]• ジャニーズ 国分太一が広末涼子とタッグ 音楽特番7年連続MC []• 芸能 [6月11日 21:03]• ジャニーズ [6月10日 6:00]• 芸能 [6月9日 20:30]• ジャニーズ [6月9日 5:00]• 結婚・熱愛 [6月7日 6:19]• ジャニーズ [6月6日 17:03]• 結婚・熱愛 [6月6日 7:07]• 結婚・熱愛 [6月6日 4:00]• 芸能 [6月6日 0:57]• 結婚・熱愛 [6月5日 18:17]• ハリウッド ブラッド・ピット人種差別抗議デモ参加 バイク乗り []• ハリウッド [6月12日 9:42]• ハリウッド [6月11日 9:24]• ハリウッド [6月11日 6:15]• コラム [6月9日 14:35]• ハリウッド [6月9日 9:30]• ハリウッド [6月9日 9:30]• ハリウッド [6月8日 14:42]• ハリウッド [6月7日 12:56]• ハリウッド [6月7日 12:56]• ハリウッド [6月7日 12:55]• 映画 老人と若い女性が起こす奇跡「ぶあいそうな手紙」 []• コラム [6月13日 13:00]• シネマ [6月12日 4:01]• シネマ [6月12日 0:38]• シネマ [6月11日 11:28]• シネマ [6月9日 17:45]• シネマ [6月9日 5:00]• 坂道 [6月8日 20:07]• シネマ [6月8日 18:41]• コラム [6月6日 13:01]• シネマ [6月4日 19:33]• ドラマ 荒木宏文らD-BOYS「クレイジーレイン」に出演 []• ドラマ [6月13日 12:01]• 芸能 [6月13日 8:00]• ドラマ [6月13日 5:27]• ドラマ [6月13日 5:02]• ドラマ [6月13日 5:01]• ドラマ [6月12日 17:45]• ドラマ [6月12日 10:10]• ドラマ [6月12日 5:00]• ドラマ [6月11日 16:42]• ドラマ [6月11日 10:11]•

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柄本明と志村けんの仲が良い訳…何故仕事の時に口を利かないのか?

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「笑われる存在」貫く その日の東京は、閑散とした街並みに満開の桜と雪が舞っていた。 夜半に志村けんさんが逝ってしまった。 日本中の多くの子どもたちが、彼のコントに笑い転げてきた。 その一方で、私たちはどこか、大人になったら彼から「卒業」するものと思っていなかったか。 実際、人気テレビ番組「ドリフ大爆笑」「志村けんのだいじょうぶだぁ」を見て育った私の同級生たちは、中学・高校に上がるにつれて「卒業」していった。 今になって思う。 彼の笑いは分かりやすいが、その凄(すご)みは分かりにくい。 思春期を迎えると、尖(とが)った社会風刺やシュールなセンスに笑いの価値を見いだしがちだ。 それに対して「マンネリを恐れるな」と語る志村さんは真逆の存在である。 私は、ザ・ドリフターズがその存在の大きさに対して、正当に評価されていないと感じてきた。 今後は、その功績がテレビ史や音楽史などの文脈で語られるだろうが、ここでは演劇史のなかの「志村けん」を記そう。 舞台の「生中継」 通常、日本の演劇史にドリフは登場しない。 だが「8時だョ!全員集合」は、バラエティー史に燦然(さんぜん)と輝くテレビ番組であると同時に、舞台の生中継だった。 ドリフのメンバーは目の前の観客に向けてコントをしていたのであり、テレビカメラを意識するのは、オープニングの「8時だョ!」とエンディングの「歯磨けよ」「風邪ひくなよ」のときだけだった。 また、番組名物でもある「屋台崩し」や廻(まわ)り舞台も、歌舞伎の技術の応用だった。 1970年代において、最も多くの日本人を楽しませた演劇は、歌舞伎でもアングラ演劇でもなくドリフなのであり、演劇史にも特筆されるべき存在なのだ。 そして、志村さんは「全員集合」終了後も、舞台に立つコメディアンとしての矜持(きょうじ)を持ち続けた。 スタジオ収録のコントであっても、フロアの堅さを嫌い、必ず板を1枚敷いたという。 芸の幅も広い。 音楽が底辺にあって動きで笑わせる芸は、エノケン・ロッパに代表される東京の喜劇の水脈を引いているだろう。 その一方で、近年は藤山寛美への敬愛を語り、笑って泣ける松竹新喜劇の演目を上演していた。 「だいじょうぶだぁ」でせりふのないシリアスドラマをつくったこともある彼は、泣かせる人情喜劇も芸域に入っている。 それはまるで、日本の喜劇のいくつもの支流が「志村けん」という大河に流れ込んでいるかのようだ。 名優からも畏敬 舞台出身の俳優は、そんな彼の凄さをとうから知っていた。 文学座の故太地喜和子さんは、座員に対して「だいじょうぶだぁ」のコントを演技の手本に見せていたというし、柄本明さんは共演することを「怖い」と語っている。 志村さんは、数々の名優にも畏敬される存在だった。 にもかかわらず、志村さんはテレビの前の私たちに、自らを偉大な存在に見せなかった。 「文化人」になることなく、いつも「バカ殿」であり「変なおじさん」だった。 80年代以降、日本のお笑い芸人は「笑われる存在」から「笑わせる存在」になることで、社会的地位を向上させてきたと思う。 そのこと自体は、笑いの評価が低すぎたからであり、当然のことだ。 だが、志村さんは、頑(かたく)ななまでに「笑われる存在」にとどまろうとした。 20年前の雑誌インタビューで、彼は次のように語っている。 「素人いじってるような企画自体は、個人的には好きじゃないの。 芸人として自分が笑われるのはいい。 でも、他人を笑うのは好きじゃない。 オレが笑われている部分では害がないじゃない」 いつしか、志村さんは孤高の人になっていた。 それは、自ら求めたというよりも、周囲が変化していくなかで信念を貫き通した結果だろう。 代わりになる人は誰もいないのだ。 その厳然たる事実を胸に、今はただ、残された映像を観(み)て志村けんを笑いたい。 笹山敬輔(ささやま・けいすけ) 1979年富山市生まれ。 筑波大大学院博士課程人文社会科学研究科修了。 専門は日本近代演劇。 近著に「興行師列伝-愛と裏切りの近代芸能史-」。 解熱鎮痛剤「ケロリン」で知られる富山めぐみ製薬の社長を務める。 富山市在住。 あわせて読みたい関連本•

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