元郷 氷川 神社。 元郷氷川神社

茅の輪作り①

元郷 氷川 神社

この二つの社の狛犬が大変素晴らしい江戸の狛犬だったので、その後もグーグル・マップで神社を探し狛犬の有無を確認する作業を続けています。 日光御成街道とその脇街道の存在のせいか、想像以上の素晴らしい狛犬がまだかなり残っている事が分かりました。 10月9日、ジョギングの帰路埼玉県南の三つの社に立ち寄ってみました。 その中でも、川口市のでは街の中の神社とは思えない程の美しい広い境内と5つの狛犬を見る事が出来ました。 グーグルでは精々二つかと思っていたので嬉しい驚きです。 中でも上写真の本殿脇に奉納されている平成の狛犬には感銘を受けました。 それにしても一つの神社でこれ程多くの狛犬を見た経験は、都内ではだけです。 東京の狛犬を訪ねだした最初の頃浅学の私は狛犬は江戸に多くがあると誤解していました。 その後、北区の狛犬・で犬を見てはたと思いました。 この先の隅田川上流を超えた御成街道筋に同じような狛犬が見られるのではと・・・2018年10日9日、を訪ねて見ました。 まさに大当たりでした。 外連味のないすっきりした狛犬が数多く奉納されていました。 日光御成街道やその脇街道の街には嬉しい事に江戸の狛犬がかなり残っています。 無駄な飾りを省いた粋な江戸の職人らしい(地元の石工を含めて)狛犬が多く見られるのも大変嬉しい事です。 川口市・元郷氷川神社・天保12年(1841年・辛丑) 右に置かれた阿像、真っ赤な涎掛けを掛けられ彩色も施されています。 サイズは若干小型かもしれません。 一つずつ個性が異なる江戸の狛犬は見る楽しさを堪能させてくれます。 彩色のせいか優し気な風貌の狛犬の印象を受けました。 2018.10.09 左に置かれた吽像、静か台座の上に座している好ましい様子の石像です。 彩色のお陰で生き返ったように見えます。 台座には天保12年の彫りがハッキリと残っています。 2018.10.09 祭礼の準備でざわつく境内です、阿像から吽像を写しています。 久し振りに賑わう辺りの気配もあって二つの狛犬の辺りにも何処か精気が満ちているように感じます。 神社の境内には駐車スペースがありませんでした。 隣接する公園の横は車の通りも少なく、道も広くなっていたのでそこに止めて大急ぎで参拝を済ませました。 土地勘がないので神社のあり場所の見当が付きません、カーナビに従って進んでいると迷うことなく辿り着きました。 美しい鳥居を持つ神社の入り口から手彫りの狛犬が見えました。 *直ぐ近くのと同じ石工の狛犬と推定されます。 お参りを済ませてから狛犬を見させてもらいました。 2018.10.09 住宅街に囲まれた静かな環境の中に鎮座する整った佇まいを感じさせる神社です。 説明によるとこの地は旧鳩ケ谷市であったようです。 2018.10.09 川口市・八幡木八幡神社・昭和7年(1932年)狛犬 右に置かれた阿像、風貌や意匠がかなり個性的に見えます。 玉は一般的な足下に置かれているのではなく、足で抱え込んだ意匠です。 顔の表情と併せて動きのある狛犬に見えます。 若干大型のサイズの狛犬、状態は大変綺麗です。 2018.10.09 注連縄が巻かれているのではっきりとは確認が出来ませんが、左の置かれた吽像も足で子供を抱え込んでいるように見えます。 彫りには作り慣れた熟練が感じられます。 ユニークな良い狛犬に出会えました。 2018.10.09 阿像から吽像を写しています。 尻尾の形も、それ程多くの江戸の狛犬を見ていない素人の私には目新しく見えます。 2018.10.09 奉納した人の名前と年月日が台座に記されていましたが、石工の人の名前を見つける事は出来ませんでした。 駐車が心配なので急いで車に戻る事にします。 2018.10.09.

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茅の輪作り②

元郷 氷川 神社

大正12年の大震災により拝殿、鳥居が倒壊した為、昭和天皇の御即位の御大典を記念し、昭和2年拝殿・鳥居等を再建し、昭和61年5月25日氏子崇敬者の御奉賛により、新社殿御造営大事業が成された。 御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神の御子である素盞鳴命を又、夫婦神として櫛稲田姫命を主祭神としてお祀りしている。 素盞鳴命が八俣の大蛇を退治したことから、厄祓い・厄除けの霊験あらたかであり、主祭神が夫婦神であることから縁結び、夫婦和合、そして子育ての御神徳がある神として崇敬されて今日に至る。 配祀神としては、日本で一番尊く皇室のご先祖である天照大神をはじめ、衣食住はもとより諸々の産業の開運の神々が鎮座されている。 文化的な面も知られる青木鎮守の氷川さま 埼玉県川口市青木に鎮座する神社 旧社格は村社で、旧青木村(下青木村)の鎮守。 市内に数多く存在する氷川信仰「氷川神社」のうちの一社。 地名から「青木氷川神社」と呼ばれる事もあったが、現在は公式に「鎮守氷川神社」としている。 横尾忠則作の「自立の炎」と云う絵画や、はせがわいさお作「鎮守鎮守氷川神社の原風景の輝き」といった絵画が奉納されてたり、多くのミュージシャンがツアーの安全・成功祈願を行っていたりと、文化的な面でも知られる。 近年は御朱印にも力を入れており人気が高い。 室町時代に創建・青木村の鎮守 創建については不詳。 社伝によると、室町時代初期の応永年間(1394年-1427年)に創建と伝わる。 定期的に社殿の造営が行われている事から、氏子崇敬者より崇敬を集めていた事が窺える。 万延元年(1860)、境内に富士塚を造営。 現在の富士塚はこれを再整備したものとなっている。 新編武蔵風土記稿に記された当社 文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。 (下青木村) 氷川社 村の鎮守なり。 勧請年代は知らざれど、社頭に掛たる鰐口に依先之鰐口中絶求之也とあり。 此慶安二年のものなれば、其以前造立の社なる事知るべし。 随身門。 石鳥居。 元禄十三年新造の鐘をかく。 稲荷社。 弁天社。 別當般若院 本山修験中尾村玉林院配下。 栗崎山薬師寺と号す。 本尊不動を安ぜり。 下青木村の「氷川社」と記されているのが当社。 青木村は上青木村・下青木村に分村していて、「村の鎮守なり。 」とあるように当社は下青木村の鎮守であった。 御祭神である素盞鳴尊(すさのおのみこと)が詠んだ日本初の和歌。 綺麗に整備された境内・幕末の石灯籠 綺麗に整備された参道が続く。 撮影時は例大祭前日だったため、境内には露天などの準備が行われていた。 境内に入ってすぐ右手に厄割石。 厄落としに使われる石。 投げつける厄割玉は社務所で授与している。 参道途中右手に手水舎。 綺麗に手入れされた境内で、川口オートレース場がすぐ近くにありながらも、静かな空間を保っている。 手水舎近くにある一対の石灯籠が古い。 慶應三年(1867)の奉納で、激動の幕末のものが現存。 参道途中にある「縁結びの木」・三対の狛犬 参道途中、左手に立派な御神木。 椋(むく)の木で、2本の椋の木が根元で1つに結ばれている。 この事から「縁結びの木」として崇敬を集める。 当社の御祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)の夫婦神。 縁結びの御神徳があるとも云われる。 参道には三対の狛犬。 鳥居前に置かれた狛犬は最も新しい。 少し個性的な表情をした岡崎現代型。 参道途中、縁結びの木の近くにも狛犬。 狛犬は大正十五年(1926)に奉納されたもの。 こちらはズシンと存在感がある。 拝殿前の狛犬が最も古い。 嘉永四年(1851)に奉納された狛犬。 江戸後期のものであるが中期頃のような特徴的な狛犬。 良い状態で維持されている。 拝殿前には古い百度石。 江戸時代最後の年である慶應四年(1868)に奉納された百度石。 戦後に再建された権現造りの社殿 社殿は昭和六十一年(1986)に造営されたもの。 創建以来、幾度も社殿の造営が行われた歴史をもつ。 関東大震災で倒壊した拝殿は戦前に再建、戦災を免れたものの老朽化によって現在のものに造替。 扁額には「鎮守氷川神社」の文字。 権現造りの社殿。 綺麗に維持されており氏子崇敬者の想いが伝わる。 犬は安産の守り神 犬は沢山の子を産み、お産が軽い事から「安産の守り神」として古くから崇敬を集めた。 「戌の日(いぬのひ)」の安産祈願などがその最たるものであろう。 また、浅間信仰の御祭神・木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)は、火の中で皇子を出産したと云う故事から子宝・安産の御神徳として知られている。 こうした故事から富士塚の上に撫で犬が置かれたものと思われる。 抱きつくと力を貰える「元気の木」大欅 社殿の裏手に御神木である大欅。 通称「元気の木」と呼ばれる御神木で、樹齢400年以上。 生き生きとした姿から、木に抱きつくと「大いなる力を頂ける」と伝えられている。 冬は葉が落ちるが春になると力強い緑となる。 御神木の隣に案内板が掲げられているので参考にするとよいだろう。 多くの境内社・中には不動尊堂も 社殿の裏手には多くの境内社が鎮座。 朱色の鳥居が連なる先に稲荷神社。 小さな神狐像が数多く置かれている。 その右手に古峰神社。 社殿裏手の左手にも境内社が並ぶ。 元気の木の左手に三峰神社。 天神様こと天神社。 この一画には学業の神に願う合格祈願の絵馬が多く掛けられている。 更に不動尊堂。 これがかつて当社の別当寺「般若院」(現・廃寺)に祀られていた不動明王。 足立百不動尊の第88番に数えられる寺院であったが廃寺となり、当社に神仏習合時代の面影が残る。 手前に磯前神社。 弁天社と続く。 江戸時代の地誌に末社として稲荷社・弁天社が記されていたので、その頃から祀られているものであろう。 横尾忠則作絵画の奉納やミュージシャンのツアー祈願など文化的な側面 当社には宝物として、横尾忠則作「自立の炎」という絵画が奉納されている。 平成六年(1994)の社務所新築に合わせて奉納されたもの。 更に「吉兆」「スサノオ」という作品を残している。 中でも「スサノオ」は当社の御朱印帳のデザインにも採用。 毎月15日より100冊限定での頒布。 所感 川口市の青木鎮守である当社。 周辺には数多く氷川信仰の神社が鎮座しており、当社もそうした氷川信仰の一社。 川口オートレース場のほぼ隣といってよい立地に鎮座しているものの、整備された境内は清々しく静けさを感じる空間なのが素晴らしい。 文化的な側面の他、御朱印などにも力を入れており、人気を博している。 色々努力されているのが伝わる神社で、そうした努力の結果いつも賑わう神社となっている。 参拝者の事を考えた心遣いなども随所に見られ、対応も心地よく、気持ちよく参拝できる良社である。 神社画像 [ 鳥居・社号碑 ] [ 狛犬 ] [ 石碑 ] [ 参道 ] [ 石灯籠 ] [ 手水舎 ] [ 参道 ] [ 狛犬 ] [ 拝殿 ] [ 本殿 ] [ 百度石 ] [ 石碑 ] [ 絵馬掛 ] [ 富士塚 浅間神社 ] [ 神饌田 ] [ 椋の木 縁結びの木 ] [ 境内社参道 ] [ 稲荷神社 ] [ 古峰神社 ] [ 大欅 元気の木 ] [ 三峰神社 ] [ 天神社 ] [ 不動尊堂 ] [ 磯前神社 ] [ 弁天社 ] [ 社務所 ] [ 厄割石 ] [ 銅像 ] Google Maps .

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元郷氷川神社

元郷 氷川 神社

神社情報 元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ) 御祭神:素盞鳴命・市杵島姫命 相殿神:倉稲魂命・菅原道眞公・大山咋命・火産霊命・奥津比古命・奥津比賣命 社格等:村社 例大祭:10月第3日曜 所在地: 最寄駅:川口元郷駅 公式サイト: 御由緒 当社は室町後期に当地を治めていた岩槻方の武将、平柳蔵人により武蔵國一宮氷川神社を勧請し創建されました。 平柳氏の領する地は、平柳領十五ヶ村(元郷村、弥兵衛新田村、領家村、新井方村、十二月田村、樋爪村、二軒在家村、上新田村、中居村、小淵村、辻村、前田村、川口村、飯塚村、浮間村)と呼ばれ、元郷はその本村であり、平柳蔵人は自身が治める地域の安寧を祈願し、館を構える元郷に社を建てたのです。 そして鎭座以来数百年間に亘り、地域の鎮守神として氏子に崇敬されてきました。 主祭神は、素盞嗚尊ならびに市杵島姫命の二柱の神様です。 この二柱の神様は父と娘の間柄であることから、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神として信仰を集めております。 「子は全ての宝物にも勝る何よりの宝」であり、子孫繁栄は家の幸せの象徴でもあります。 その子宝(子授け)成就・子孫繁栄に霊験灼たかな社であることから「しあわせの宮」と称されております。 平柳領十五ヶ村の本村であった元郷村鎮守として崇敬を集め、かつては「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていたと云う。 この地域に数多く存在する氷川信仰の神社で、地名から「元郷氷川神社」と呼ばれる。 主祭神として素盞鳴命・市杵島姫命の父娘を祀る事から、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神とされており、現在は「しあわせの宮」と称され信仰を集めている。 室町時代後期に領主・平柳蔵人によって創建 社伝によると、室町時代後期に創建と伝わる。 当地を治めていた平柳高綱(平柳蔵人)が、霊夢により「」を勧請したと云う。 現在の元郷4丁目には平柳蔵人居館跡の碑が残る。 以後、高綱の死後も一帯は武蔵国足立郡平柳領と呼ばれ続ける事となり、当社は元郷村の鎮守として崇敬を集めた。 四ノ宮と称された江戸時代・新編武蔵風土記稿に記された当社 元和八年(1622)、現在の地に遷座。 荒川の度重なる水難を避けるために遷されたと云う。 この頃の当社は「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていた。 そのため扁額には「四ノ宮 氷川大明神」の文字が残る。 文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。 (元郷村) 氷川社 村の鎮守なり。 四郎の宮と称す。 其故を知らず。 昔平柳蔵人霊夢の告によりて大宮町の氷川を勧請せしと云、本地正観音は蔵人が守護佛にて運慶の作なりと云。 當社は荒川の堤際にありしを元和八年九月水難を避て今の地へ移せしと云。 稲荷社。 疱瘡神社。 牛頭天王社。 別當仙學院(以下略) 元郷村の「氷川社」と記されているのが当社。 村の鎮守と書かれており、「四郎の宮」と称していたとある。 但し、「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていた由緒は不詳とある。 武蔵国の一之宮もしくは三之宮とされたのが「」であるが、武蔵国四之宮は「」であったため、当社が「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていたのはこうした一之宮制度からくるものとは違い、この頃には既に不詳ながら地域に広まった何らかの伝承があったのであろう。 本地仏として領主・平柳高綱(平柳蔵人)の守護仏が祀られていて、運慶作と伝わっていた。 また上述のように荒川沿いに鎮座していたが、水難を避けるために遷座した旨も記されている。 別当寺は「仙學院」(現・廃寺)が担っていた。 明治以降の歩み・南平地区の経緯 明治になり神仏分離。 当社は元郷村の鎮守として村社に列した。 明治二十二年(1889)、町村制が施行され元郷村・平柳領領家村・新井方村・十二月田村・樋爪村・二軒在家村・弥兵衛新田の7ヶ村が合併し、南平柳村が成立。 当地は南平柳村元郷となり地域からの崇敬を集めた。 安政二年(1855)には、「安政江戸地震」「安政の大地震」とも呼ばれるM7クラスの大地震が発生。 江戸を中心に多くの死傷者が出た大地震。 この鳥居もその大地震の後に再建されたものであろう。 國土安全と天下泰平の文字が見える事からもそうした再建に向けた願いが伝わる。 鳥居を潜ると左手に手水舎。 綺麗に整備されていて清める事ができる。 朱色の社殿・四ノ宮と記された扁額・立派な天水桶 参道の正面に朱色の社殿。 昭和四十五年(1970)に竣功したもので、今も状態よく維持されている。 拝殿に掲げられている扁額には「四ノ宮 氷川大明神」の文字。 『新編武蔵風土記稿』にも由来は不詳と記されているが、当社が古くは「四ノ宮」「四郎ノ宮」と呼ばれていた歴史を伝える。 本殿は覆殿に保護される形で鎮座。 拝殿前には一対の立派な天水桶。 古くから歴史ある川口の特産・鋳物で作られた天水桶には「奉納氷川神社」の文字や神紋を見る事ができる。 犬は沢山の子を産み、お産が軽い事から「安産の守り神」として古くから崇敬を集めた。 「戌の日(いぬのひ)」の安産祈願などがその最たるもの。 当社が父娘神を祀る事と犬への信仰から「安産」に結びつき、狛犬への信仰も篤かったのであろう。 社殿横にある多くの境内社や石碑 参道の左手には境内社が多く鎮座。 『新編武蔵風土記稿』には末社として稲荷社・疱瘡神社・牛頭天王社が記載されている。 明治から大正にかけて近隣に祀られていた神社が合祀・遷座されたものが多い。 一番奥は「天満宮」で、江戸時代の頃、別当寺「仙學院」持ちの天神社があったようなのでそれであろうか。 他にも一画には多くの石碑が置かれている。 当地周辺の富士講によるものか、富士登山記念碑や参拝記念碑などが並び、戦前のものが多く当地の歴史を伝える。 季節を感じさせる月替りの御朱印・男女一対の子守勾玉 御朱印は社務所にて。 丁寧に対応して頂いた。 当社の御朱印は月替りの御朱印。 季節を感じる事ができるよう植物の印が月替りで変更となる。 1月に頂いた際は福寿草で、「しあわせの宮」と称される当社らしく、中には「幸」の文字が隠れていた。 (挟み紙も切り絵風のものなど用意しているとのこと) 2017年6月より初穂料を400円に変更し、境内整備に充てるとの掲示あり。 毎月の御朱印についてはに情報が出ているのでそちらをご覧頂きたい。 また、2017年11月より、川口市内の9社による御朱印巡り「川口九社詣 勾玉巡り」が開始され、当社はそのうちの一社となっている。 更に授与品として「子宝勾玉」というものを用意しているのが特徴的。 緑と桃の2種類の天然石(翡翠)の勾玉で、男女一対で夫婦で持つ御守。 子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神とされる当社らしい御守となっている。 所感 川口市の元郷鎮守である当社。 室町時代に当地の領主であった平柳蔵人によって創建された歴史を持つ。 領地を平柳領十五ヶ村と呼び、元郷村はその本村とされ中心であり、そうした地の鎮守として崇敬を集めた。 平柳領は江戸時代以降も武蔵国足立郡平柳領と呼ばれ、明治になり村の合併で南平柳村が成立、これが現在も周辺を南平地区と呼ぶ事に繋がるなど、今も僅かにその名を残している。 当社の歴史を見てもかつて「四ノ宮」「四郎ノ宮」と呼ばれた謎や、氷川信仰にしては珍しい夫婦神ではなく父娘神を祀る事など、色々と興味深い。 御朱印など色々な努力も伝わり、現在は「しあわせの宮」と称される良社である。 神社画像 [ 参道 ] [ 鳥居 ] [ 参道 ] [ 手水舎 ] [ 拝殿 ] [ 本殿 ] [ 天水桶 ] [ 狛犬 ] [ 社務所 ] [ 御籤掛 ] [ 境内風景 ] [ 石碑 ] [ 境内社 ] Google Maps .

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