そ た りょう すけ。 りょう〇ちおすけ

V37 バッテリー交換

そ た りょう すけ

ここのところ、車検前後でバッテリーがあがった話に始まって、中華ジャンプスターターの紹介と、バッテリーまわりの話ばかりだったが、今日はおそらくバッテリー関係の最後の投稿となる筈。 今回は自分で整備したわけではないが、弱ったバッテリーをついに交換したので、その記録である。 さて、バッテリー交換をディーラーでお願いすると数万円になると予想されるため、自分で購入して、交換だけお願いするのだが、最初にバッテリー探しから。 ひと昔前の車なら車に搭載するバッテリーなんて1万円もしなかったという感覚なのに。 この規格のバッテリーをショッピングサイトで検索して、値段の安い順番に並べると、最初の方に出てきたのは、VARTAというメーカーの製品であった。 値段はポイント分を加味すると11,000円程度だった。 その上は、BOSHで15,000円程度。 いずれも一番よいクラスのバッテリーだ。 というか、S-95という性能になったとたん、一番いいグレードのバッテリーしかないような気がする。 さて、この安いVARTAというメーカー。 BOSHの黒くて格好いいパッケージと比較すると、白っぽいバッテリーで、一見安っぽく見える。 しかし、調べてみると、利用している人もいるようで、さらに調べるとヨーロッパ車には標準搭載バッテリーとして採用されているような有名なメーカーらしい。 そんなに有名なら、なぜ1万円で買えてしまうのだろうという疑問もあったが、安かったので買ってみた。 メルセデスでも採用されているので、ベンツのエンジンを搭載したV37ならちょうどいいか、というわけのわからない感覚もあった。 ショッピングサイトでは、注文した時から「メーカー欠品中」との記載があったので、気を長くして待つつもりだったが、1ヵ月弱してからようやく到着した。 性能が上がる分には得をした気分になるので、当然問題ないと回答した。 交換後、一応写真を撮ったが、夜だったので、少しわかりにくい。 やはり白っぽい色は安っぽく見える。 しかし、これでも、SilverDynamicという一番良いグレードのバッテリーだ。 CCA性能は720Aとの記載がある。 情報をよく見ると5時間率も64だし、S-95と同じ性能ではないかと思い始めた。 ショップの人は、性能が上がったと言っていたが、具体的に何が良くなったのだろうか。 それから数日間、エンジンの始動実験や電圧チェックをしているが、問題なくエンジン始動前は12. 5V前後で電圧は安定している。 ちなみに、アイドリング時の電圧は14V程度だ。 この状況が続くようなら、やはり標準搭載されていたバッテリーが、充電しても数時間後には11Vくらいまで電圧がさがってしまうくらい劣化したということになる。 今日日のバッテリーはもっと耐久性があるかと思っていたが、どうなのだろうか。 たまたま問題のある個体だったのだろうか。 ともかく、これで、11月から続いたバッテリー戦争は終戦を迎えた。

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「元ネタは知らないがよく見る言い回しランキング」: りょうのすけブログ

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本義は古代官人社会で交替の際の事務引き継ぎのことであるが、交替事務の重要性において国司の場合が他に勝っていたので、国司の別称となり、国務権限が国司官長( かみ ないし守を欠く場合介 すけ )に集中していくにしたがい、国司官長をさすことばとなった。 雑任 ぞうにん 国司の無力化と国司官長による国務の掌握とが決定的となるのが10世紀中葉であり、このころから受領が自己の郎等 ろうとう らを駆使し、部内に対し旧来の慣行にとらわれることなく、恣意 しい 的な支配を行うようになった。 この恣意的支配は、農民に対し過重負担をもたらし、国司苛政 かせい 訟訴とよばれる抵抗運動を引き起こした。 989年(永祚1)尾張 おわり 国郡司百姓等解 ひゃくせいらのげ は、農民らの受領支配に対する不満を示す好個の史料である。 受領らは、ほぼ2割前後の増徴を行い、私富を蓄積し、平安京において豪壮な邸宅を構えるなど、栄華を極めた。 ただし受領の栄華も摂関期が頂点で、院政期になると在地勢力の台頭により、収益はしだいに減少していった。 [森田 悌] 芸能などにおける受領受領は、古代では国司の別称で、守 かみ ・介 すけ ・掾 じょう ・目 さかん の四等官があったが、中世には実を伴わない官名として地下人 じげびと の名誉称号となり、職人や芸能人などの表彰に利用されるようになった。 近世に入るとその対象も多種多様にわたったが、なかでは刀鍛冶 かたなかじ 、菓子匠などの職人、浄瑠璃太夫 じょうるりたゆう ・人形操師 あやつりし などの芸能人で受領する者が多く、のちには主として浄瑠璃関係者に与えられ、官名はもっぱら掾に固定する。 大掾・掾・少掾の三階級があり、明治以降は宮家から口宣 くぜん を受けて掾号を名のった。 第二次世界大戦後では、義太夫節 ぎだゆうぶし の豊竹古靭 とよたけこうつぼ 大夫が1947年(昭和22)に山城少掾 やましろのしょうじょう を、人形遣いの吉田文五郎 ぶんごろう が56年に難波掾 なんばのじょう を受領している。 10世紀ころから遥任国守に対して,任地にあって吏務についての責任を負っている国守または権守,介などを(ずりよう)と呼ぶことがしきりに行われるようになり,受領の権限がひとり強大となって,それ以下の任用国司との地位の懸隔がしだいに大きくなったが,この受領の地位をめぐってしきりに競望が行われ,またその重任(ちようにん),(じようごう)を目ざして激しい運動が展開されるようになったのは,まったくその莫大な収入への期待によるものであった。 また国司の地位がやはり10世紀ころから盛行するようになった年官(ねんかん)の主たる対象となり,あるいは院宮分国や知行国のごとき制度が行われるようになったのも,やはり国司の地位がきわめて大きな収入源とみなされるようになったためである。

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本義は古代官人社会で交替の際の事務引き継ぎのことであるが、交替事務の重要性において国司の場合が他に勝っていたので、国司の別称となり、国務権限が国司官長( かみ ないし守を欠く場合介 すけ )に集中していくにしたがい、国司官長をさすことばとなった。 雑任 ぞうにん 国司の無力化と国司官長による国務の掌握とが決定的となるのが10世紀中葉であり、このころから受領が自己の郎等 ろうとう らを駆使し、部内に対し旧来の慣行にとらわれることなく、恣意 しい 的な支配を行うようになった。 この恣意的支配は、農民に対し過重負担をもたらし、国司苛政 かせい 訟訴とよばれる抵抗運動を引き起こした。 989年(永祚1)尾張 おわり 国郡司百姓等解 ひゃくせいらのげ は、農民らの受領支配に対する不満を示す好個の史料である。 受領らは、ほぼ2割前後の増徴を行い、私富を蓄積し、平安京において豪壮な邸宅を構えるなど、栄華を極めた。 ただし受領の栄華も摂関期が頂点で、院政期になると在地勢力の台頭により、収益はしだいに減少していった。 [森田 悌] 芸能などにおける受領受領は、古代では国司の別称で、守 かみ ・介 すけ ・掾 じょう ・目 さかん の四等官があったが、中世には実を伴わない官名として地下人 じげびと の名誉称号となり、職人や芸能人などの表彰に利用されるようになった。 近世に入るとその対象も多種多様にわたったが、なかでは刀鍛冶 かたなかじ 、菓子匠などの職人、浄瑠璃太夫 じょうるりたゆう ・人形操師 あやつりし などの芸能人で受領する者が多く、のちには主として浄瑠璃関係者に与えられ、官名はもっぱら掾に固定する。 大掾・掾・少掾の三階級があり、明治以降は宮家から口宣 くぜん を受けて掾号を名のった。 第二次世界大戦後では、義太夫節 ぎだゆうぶし の豊竹古靭 とよたけこうつぼ 大夫が1947年(昭和22)に山城少掾 やましろのしょうじょう を、人形遣いの吉田文五郎 ぶんごろう が56年に難波掾 なんばのじょう を受領している。 10世紀ころから遥任国守に対して,任地にあって吏務についての責任を負っている国守または権守,介などを(ずりよう)と呼ぶことがしきりに行われるようになり,受領の権限がひとり強大となって,それ以下の任用国司との地位の懸隔がしだいに大きくなったが,この受領の地位をめぐってしきりに競望が行われ,またその重任(ちようにん),(じようごう)を目ざして激しい運動が展開されるようになったのは,まったくその莫大な収入への期待によるものであった。 また国司の地位がやはり10世紀ころから盛行するようになった年官(ねんかん)の主たる対象となり,あるいは院宮分国や知行国のごとき制度が行われるようになったのも,やはり国司の地位がきわめて大きな収入源とみなされるようになったためである。

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